ブログ文化衰退 振り返る一時代 – BLOGOS編集部

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冨田実布

毎日のようにSNSで炎上を見かける昨今。特に有名人や、政治家などの公職者は批判の的になりやすく、仕事に影響が及んだり、ときには職を失う事態に発展したりする例も少なくありません。

そんなネット界で、ときには炎上の火の粉を振り払いながら発信を続け、今ではオピニオンリーダーとして活躍する人たちがいます。参議院議員の音喜多駿さんと元経済産業省官僚の宇佐美典也さんです。2人の原点はいずれも、ブログ発信。給与公開や選挙戦、官僚退職など等身大の姿を晒しながら、都議会や自身の詳しい業界の内情を明かすなど積極的に発信を続けてきました。

BLOGOSでもお2人の記事を転載の形で紹介し、度々話題を呼んできました。3月末のサイト更新終了を前に、お2人に「ブログと私のキャリア」というテーマで語っていただきました。【文:川島透】

――プロフィール――

宇佐美さんは官僚を辞めた直後の2012年10月のインタビュー記事から、音喜多議員は都議会議員選挙で初当選した直後の2013年8月から参加していただきました。この間、宇佐美さんは専門とするエネルギー関連のコンサルタントや「ABEMA Prime」のレギュラーコメンテーターとして活躍する傍ら、多くの書籍を執筆。音喜多議員は都議会議員に再選した後、2019年に参議院議員選挙で初当選し、現在では日本維新の会の政調会長を務めています。

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自分の給与を暴露したのがきっかけだった

冨田実布

宇佐美典也:振り返れば私がBLOGOSと縁を持ったのは2012年の夏ごろのことで、当時はまだ経済産業省の官僚という立場でNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)に出向していたときに、自分の給料をブログで公開してネット上で注目されたことがきっかけでしたね。それを機に編集部から連絡をもらって、BLOGOSに転載されるようになって今に至るという具合です。

音喜多駿:私も都議会議員に初当選した直後の2013年8月に、現役都議の給与をブログで公開したことがきっかけで、BLOGOSに初めて転載された記事もそれです。

宇佐美:そうだったのか。我々は給料暴露仲間だったんですね。

経産省を退職した日に庁舎前で。宇佐美典也氏提供

音喜多:暴露というと下世話に聞こえますが、都議会で行われていることなんて、一般の人は知りません。だからこそ中で起きていることを書き続けて注目を集めることができましたし、給料公開もその目玉コンテンツの一つで、都議会に興味を持ってもらうよいきっかけとも言えるんじゃないでしょうか。当時は誰もやっていなかった、表に出ていない“ニッチ”な情報を公開したからこそ、なんとかブログ界にポジションを獲得することができたんでしょう。

宇佐美:確かにメタに見たら、当初の我々は、表に出ていないニッチな世界をブログで表に出すというやり方で立ち位置を確立した感はありますね。

冨田実布

音喜多:そういう意味で、自分自身のブログで一番印象に残っているのは、2014年のセクハラ野次問題(※1)の記事です。単純に「このままこの話を埋もれさせてはいけない」という問題意識で怒りに任せて書いた稚拙な文章が、各転載サイトに転載されるとSNS上でも勢いよく拡散されて、翌日の夕方からはテレビも含めた取材依頼が来始めました。

※1:2014年6月18日の都議会本会議で、塩村文夏都議に対して「早く結婚したらいい」「子どもを産めないのか」などの野次が飛んだ問題。全国ニュースでも連日取り上げられ、自民党の鈴木章浩都議は5日後「早く結婚したらいい」という発言をしたことを認め、塩村都議に直接面会して謝罪した。

宇佐美:あれはすごかったですね。まさに音喜多先生のブログがなかったら表に出てこなかった話だったんでしょうね。

都議会議員に初当選したときの様子。音喜多駿議員提供

音喜多:そうですね。ブログが起点になって地上波でも流れるようなニュースになって、世間にまで影響を与えたというのは、私にとって初めての経験でした。共感した人がブログに流入してくる状況が1週間か2週間くらい続いたことで、「ブログの発信で物事を動かせる時代がついに来たのかもしれない」と思いました。

宇佐美:そこからの流れで音喜多先生は2年後の2016年に、当時の舛添要一都知事をスキャンダル(※2)追及する立場でブレイクしましたね。私は結構白けて見ていましたが、うちの親からも話題に上がるくらいだった。

※2:舛添要一都知事(当時)をめぐっては、2016年2月に明らかとなった高額な海外出張費をはじめとして、別荘への往来に公用車を用いたことなど、一連の「政治とカネ」疑惑が問題視された。この問題を受けて、舛添都知事は6月に辞職している。

音喜多:当時はアクセス数の面で、「舛添バブル」といってもいいような状況でした。タイトルに「舛添」と入れるだけで閲覧数が跳ね上がるという。情報の鮮度としては新聞より私が中で書いた方が生々しいし、早い。テレビも私にコメントを取りに来ました。

宇佐美:音喜多先生としてはブロガーとして“正のフィードバック”のすごくよいループだったんでしょうね。

燃やすだけの炎上芸で何がしたいの?

編集部:舛添都知事の辞任後、小池百合子氏が都知事選出馬を発表して、音喜多議員が小池氏支援を発表した頃、宇佐美さんは「最近の音喜多駿を見ていて思うところ」というタイトルで次のような内容のブログ記事を書きました。

「基本的に音喜多は野党の立場に立つ『批判の人』であり続けてきたわけで、『セクハラヤジ問題』のような政権側のよく燃える素材を見つけては燃やして、見つけては燃やして、という炎上芸を繰り返し名を上げてきた」

「私自身としては『じゃ、燃やして燃やしてそのあとに何を作るんだろう』という疑念を彼に関してはずっと感じている。一言で言えば『何をしたいの?』ということなのだが、この点彼に何回聞いても『情報公開』という以上の答えが返ってきたことはない」

宇佐美:このときのことはよく覚えています。こういうブログを書いた理由は、当時はかなり実社会での仕事が充実してきて、音喜多先生と近しいと思われるとまずい状況もあって半分は仕事の都合で予防線として書きましたが、半分は本気でした。ブロガーもやっぱり普通の人間なので、仕事が充実してくると必然的に人間関係や書く内容にもいろいろな制約が出てくるんですよね。

冨田実布

音喜多:当時は多くの人が焼き畑農業みたいなブログの使い方をして、過激なことを書いては注目を集めていましたね。私はといえば、何を残すのかという意識は確かに希薄で、「いやまずは問題提起から始まるんだ」という一心でした。未だにそういう芸風で発信している部分もありますが、一方でそれだけでは通用しなくなったのも感じます。立場も変わりましたしね。

宇佐美:昔はブログを書けばフィードバックがあって、他の書き手とつながったり、メディアや企業から声がかかったりという“正のループ”がありました。しかしどこかの段階で、読み手と書き手の関係がギスギスして「分断」というものを感じるようになりました。書き手からすると、読み手が特定のテーマに関してあらかじめポジションを取って、ブログ記事に対して持ち上げるか叩くかの二択で待ち構えているようで、すごく書きづらくなっていきましたね。

音喜多:Twitterで拡散された内容を読んだ人が、記事の中身を読まずに要約や見出しだけを見て叩いて炎上することも増えている気がします。

冨田実布

宇佐美:転換期はどこか考えると、BLOGOS的に言うと怒られるかもしれないけど、「長谷川豊事件」は大きかった気がします。あの叩かれ方はすごかった。まあ叩かれるようなことを書いたのですが。

※3:元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が、人工透析患者に関して誹謗中傷・公序良俗に反すると捉えられかねない表現を用いた記事をブログに投稿し炎上。BLOGOSは記事を転載したが、のちに取り下げて謝罪した。

音喜多:2016年に起きたことでしたね。私自身の参院選挑戦前だったので、よく覚えています……。

宇佐美:長谷川さんからしてみると、ブログを書いて炎上して盛り上がるくらいで終わると思っていたんじゃないでしょうか。でもそれなりにブログの存在が大きくなってきて、炎上がネットの一部のコミュニティの中だけの話では許されなくなっていた。よくも悪くも、ブログが実社会に影響を与える存在になってしまった。

音喜多:長谷川豊さんの例のような差別発言で批判を浴びるのは悪い炎上ですけど、他方で賛否両論が巻き起こる問題提起の役割を果たす「よい炎上」もたくさんあったと思うんですよね。

宇佐美:そうですね。最近はネットの言論空間に、炎上を出しに議論を発展させて最終的に何かよい結論を得ようという、いわゆる「アウフヘーベン」的な文化がなくなったように感じます。

音喜多:コメントに対しアンサー記事を書いて、往復書簡のようなことをするケースもありましたね。今は炎上したらTwitterで集中砲火を浴びて焼け野原になって、こちらが反応して議論しようとしても、世の中の興味はもうすぐ次に行ってしまっているようなところがあります。

宇佐美:豊洲市場の移転問題なんかに関してはネットの言論空間がそういう形で議論を主導していったような気がします。しかし今やブログでオピニオンなんて、リスクとリターンが全く釣り合ってなくて、ある程度名のある人には書けなくなっています。

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