張本氏を追い詰めたネットの功罪 – 中川 淳一郎

BLOGOS

イラスト&題字 まんしゅうきつこ

ついにこの日が来てしまった……。11月28日、『サンデーモーニング』(TBS系)の「週刊御意見番」に出演中の野球解説者の張本勲氏(81)が年内で同番組を降板すると発表したのだ。23年間にわたりスポーツに対して「喝!」や「あっぱれ!」を入れてきたが、降板理由については「シニア人生をゆっくりしたい」と述べた。

11月29日、THE PAGEに掲載されたこれ関連の記事では、「広岡(達朗)氏は、女子ボクサーに関する女性蔑視発言が、社会問題に発展したことが降板の決め手になったのではないかと見ている」と降板理由を分析している。

女性蔑視発言とは、東京五輪女子ボクシング金メダリストの入江聖奈について「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ」とコメントしたこと。

この件が炎上し、張本氏は翌週、同番組で謝罪した。

張本氏は「批判を一切聞かない堅物」的扱いを受けてきたが、「先発完投型の投手が『100球』でマウンドを降りることに『喝!』を入れた」的な批判をネットでされると、その後は持論を封印し、「喝!」をあまり出さなくなる、といったナイーブな面もある。

入江に対する発言以降も明らかに「喝!」は減ったし、「昭和オッサン的発言」も封印した。そして番組はつまらなくなった。もう、同氏にとって、自由に発言ができなくなる限界にきたのだろう。

ダブルブッキングが生んだ大沢親分との名コンビ

Getty Images

元々このコーナーは「親分」こと大沢啓二氏と張本氏が隔週で出ていたのだが、ある時スタッフがダブルブッキングをしてしまい、2人が同時に登場したところ、キャラの違いから最高の化学反応を起こし、以来、2人でのコーナーが続いた。

2010年に8歳年上の大沢氏が78歳で亡くなった後からは「助っ人」と称するゲストのアスリート出身者が登場し、張本氏とコンビを組んだ。大沢氏との時代は、和服の大沢氏がコーナー開始時に浪曲だか演歌だかのようなものを歌いながらスタジオ入りし、「サンデーモーニング~」のサウンドロゴが流れたが、「助っ人」時代からはTBSのプロ野球中継のテーマソングで始まるようになった。大沢・張本体制の時の2人の役割分担は以下のようなものだった。

【大沢氏】
・常にどっしりと構え、「長屋のご隠居様」的人格者
・やんちゃ発言をする後輩の張本氏を「まぁまぁ、そう言うなって」となだめる
・自分の発言に矛盾等があったらすぐに笑い倒して「確かにそうだな!」と納得し、「喝」を「あっぱれ」に替える柔軟性がある大人
・こうしたことから「人格者」として扱われてきた

【張本氏】
・常に何かにカッカと怒っていて、イライラしている
・言っていることが理不尽なことが多く、テレビ越しにツッコミを入れたくなる存在
・自分の信念が頑なにあり、それに反することには「喝!」を入れる。それが故にその信念に違和感を抱く視聴者からは反感を買う

こうした前提がありつつ、張本氏の番組中の発言のベースとなっているものを、2018年に私がBLOGOSで書いた「自説を撤回し、大谷翔平の二刀流を認めた張本勲氏に『あっぱれ!』〜中川淳一郎の今月のあっぱれ〜」から見てみよう。これは、大谷翔平の二刀流に対して「どちらかに専念すべき、むしろピッチャーで」と言っていた張本氏が2018年シーズン開始から30試合を見たうえで判断する、と言うようになったことが発端だ。

大谷が一定の評価を二刀流で挙げたことを30試合を経過したうえで張本氏は認めた。なお、私は張本氏はあくまでも至宝の野球選手である大谷が二刀流でケガをしたり、選手生命が短くなったりすることを心配していると捉えていた。「夢を見させてくれ!」といった一般人の願望よりも大谷の長きキャリアのためには二刀流は心配だよ、という同業者の先輩からの「親心」だったのでは、とも思う。

この時の原稿では、張本氏が世間から「問題である!」と言われてしまう発言のベースに何があるかを箇条書きにした。以下、一部引用。
https://blogos.com/article/300778/

・アメリカの野球はダメだ。レベルが低い
・日本人選手がアメリカに行くことは日本のフアン(ファンのこと)を考えると由々しき事態であると考える
・サッカー欧州CLなども含め、遠い国の話には興味がないと考える
・新しいトレーニング方法には批判的で「走り込んで足腰を鍛えよ」と主張する
・女性アスリートに対する「あっぱれ」が多く、「ちゃん」づけをする
・Red Bull等が主催する危険なスポーツに対しては「何が楽しいのかね」と言う
・バドミントンや柔道、卓球等のスポーツで日本人選手が活躍すると「あっぱれ」を入れるが、なぜか錦織圭だけに対しては厳しい。「またケガしたよ」とも言う

乱暴にまとめてしまえば「保守的」といえることだろう。彼に対する批判はこれらへの対抗論説となる。まぁ、いちいちここでそれらを挙げる必要もなかろう。張本氏の発言に同意できない皆様方が思っていることこそ、ネットに書き込まれる同氏への批判だ。

また、「『ワシの球速は180km』400勝投手の金田正一さんにあっぱれ」でも、張本氏に対しては私は好意的に書いている。
https://blogos.com/article/411017/

ここで書いたのは、張本氏がいかに野球が好きで、時に「昭和の老害」的なズレたことを言うものの、決定的に差別的なことは言わない、ということだ。文中では、張本氏がMLBの試合で鳩がグラウンドに入り試合が中断した時に「あっぱれ!」を入れたことについて言及した。張本氏は「野球が好きな鳩だねぇ」と相好を崩したのである。これだけでもハリーの愛嬌を感じるではないか。そもそも同氏は在日コリアンであり、被爆者である。相当差別を受けてきた人間だ。そして、子供達のために地方の野球教室に参加し、時々同番組にも「ヴァーチャル出演」をしてきた。

物議を醸した張本氏の「昭和的表現」

さて、私が先日上梓した『炎上するバカ させるバカ 負のネット言論史』の前書きでは張本氏に言及している。画像を参照していただきたいが、入江に対してしたような女性アスリートに関する発言は過去に何度もしており、その都度視聴者は「またハリさんが昭和老害的なこと言ってるw」的に扱っていたが、昨今の風潮ではもはや許されなくなった、ということを書いた。1つが女子カーリング選手に対して「掃除が上手そう」と言ったことで、もう1つは卓球の女子ペアが試合中に何やら囁き合っていた時に「試合後ケーキでも食べに行こうかね、とか言ってるのかね、かわいいね」と言った件だ。

上で述べたように、張本氏は今の風潮はさておき、とにかく女性のアスリートに対しては「かわいい」という視点で見ている面がある。恐らく「スポーツというものは男がやるものだったが、そこに女性も入ってきた。男ほどのパワーはないし、男と競ったら負けるけど、女性の中だったら『可愛さ』『美しさ』という要素もあってほしいね」という気持ちがあるのではないか。

カーリングの「掃除が上手そう」発言については、ブラシ状の道具で氷の表面をこすり、ストーンの動きを調整する動きを、家庭におけるホウキでの掃き掃除に引っ掛けたのだ。多分、「女性は家庭的であれ」的価値観を持っているのだろう。

だからこそ張本氏が週刊新潮12月2日号で大谷翔平の妻はどんな人間であるべきか? といった質問をされた際につけられた見出しは「『二刀流』継続を支えられるのは『内助の功』」だったのだ。

これだけ見ると昭和的だが、実際の発言を見ると若干印象は変わることだろう。張本氏の娘が幼かった頃、娘は学校行事に他の家の父親は来てくれるのになぜ張本氏は来ないのかと聞いたのだという。それに対する張本氏の答えがコレだ。

「さすがに胸が痛みましたよ。ただ、そんな時に妻は『お父さんにはお仕事があるのよ』と言い聞かせてくれた。その“内助の功”には頭が下がる思いです。プロ野球選手という特殊な職業を理解して、内助の功で支えてくれる相手が見つかれば、大谷選手も安心してプレーに専念できると思います」

ここでは「内助の功」という言葉が昭和的だと批判を浴びるかもしれないが、今流に言えば、「妻の理解」ということになるだろう。ある程度現在のジェンダー関連の発言に慎重な選手だったら「妻が私の分も頑張ってくれているため」や「妻には負担を強いていますが」などと言うだろうが、張本氏の場合は「内助の功」と言ってしまうのが、同氏の感覚なのだ。要するに「妻への感謝」という意味では現代の選手と同じなのである。だが、表現が昭和的である。ここが叩かれる。

タイトルとURLをコピーしました