「言うべきこと言わない、言われたことだけしかしない」とはみずほ銀行の一連の問題の背景の一つとなった理由で銀行の体質に問題があったと報じられています。今回はみずほ銀行がやり玉に挙げられていますが、こんなことはほぼすべての日本企業が同じだと思っています。つまり、みずほ銀行だけではなく、ニッポン株式会社全般の問題なのです。
この問題が生じている背景を少し考えてみましょう。
日本はアメリカを真似てマニュアル文化を作り上げました。日本のそれはアメリカのそれをはるかに凌駕し、独自の進化を遂げ、人間の個性をすべて否定したといってもよいでしょう。
アメリカでなぜ、マニュアル文化が発展したのでしょうか?それはあの大きくて四角い国土は東西南北で文化も社会構成も違うからです。アメリカ東部は欧州の伝統を引き継ぐ一方、西海岸は自由で民主的です。アメリカからネクタイ文化が減ったのは西側の影響です。北部はかつて五大湖の周辺に重工業や自動車産業が発展したものの黒人などの出稼ぎを背景としており、不安定な社会地盤がありました。南部はメキシコ人を含むヒスパニックと保守的思想の白人との社会構成があります。
そもそも移民国家で個々人の常識観が違う中でこのような地政学的条件があるのです。そこでアメリカ企業がナショナルブランドとしてビジネスを発展させるためにはマニュアルが必要だったのです。マクドナルドやスターバックスの共通点はアメリカのどこに行っても同じ味で安心感がある、でした。これが彼らのビジネスの本質です。アメリカが契約社会とか訴訟社会と言われるのもまるで違う発想の人たちを成文化したルールで縛り上げるためなのです。
ところが日本はそもそもほぼ単一民族で一時期、一億総中流を標榜した国、教育水準も比較的高い中でなぜ、マニュアル文化を導入しなくてはいけなかったかのでしょうか?
日本でマニュアル文化が進んだきっかけは日本マクドナルド創業者の藤田田氏だと考えています。マックの日本1号店は1971年に銀座に出来たわけですが、私が20代の頃、よく耳にしていたのは「マクドナルドを退職した人材を引っこ抜け」でした。逆に言えばマックの社員やバイトは当時としては極めて優秀だと評価されました。それはマニュアルに基づく社員教育の徹底です。
日本企業、特に外食産業はこれに目覚め、マニュアル化を一気に推し進めたといっても過言ではないでしょう。これはその後の製造業にも展開されます。当時、PDCA(Plan-Do-Check-Action)活動が企業で盛んになり私も当然、その波に巻き込まれています。この発想の基本は効率の水平展開でした。製造業においてはベルトコンベアを流れる半製品にどうやって部品を取り付け、間違いをなくすか、徹底した追及が行われます。足のおき方、何歩どう動く、ということまで決め、秒単位の管理を求められました。これが日本独自に進化したマニュアル文化です。
つまりアメリカではサービスの均一化が目的だったマニュアルが日本では効率化の一環に置き換わったのです。ところでアメリカではこのマニュアル文化はかなり緩くなっています。コアのサービス部分は保持しながらスタッフと顧客の接点に於いて融通を利かせ、よりカスタマイズすることが増えています。紋切り口調ではよいチップを頂けないからでしょう。
日本はマニュアル文化の強化が従業員の個性の否定を生みました。ルールを決めるのは上の人、全ての答えは上の人、よってスタッフはごく狭い範囲のことを言われたとおりにするのです。先日、「ゆるブラック企業」の話をしましたが、これにみられるのは人に考えることを許さないのです。
私も時折そんな現場を耳にします。「お前の個性など聞きたくない!」と上司が部下を叱責しているシーンです。会社で決めたルールは絶対であり、それがどんな理由だろうと個人の判断やアレンジは許さないというものです。以前、私が日本の銀行の取引先の担当者に結婚祝いでペアのワイングラスを差し上げたところ、上司が出て来て、こういうのは困る、だけどさほど高くないなら会社の特別の許可のもと、頂くことを許す、と言われて辟易としたことがあります。
では誰がルールを決めるのか、といえば概ね会議のはずですが、日本の会議は打算の象徴。各部門の顔を立てるので中途半端なルールが生まれます。これを下に押し付けた時、「誰がこんなルールにした?」といっても誰が決めたかわからない責任者不在のルールとなるのです。
とすれば最終的には責任を取りたくない課長や部長がお手盛りルールを生み出したといわれても仕方がないのでしょう。
私は残念なのです。日本には本当に才能豊かな人が多いのにそれに蓋をかぶせてしまっています。これに誰も気が付かず、直そうともしないのです。もったいないと思います。
では今日はこのぐらいで。
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