「 DE&I に関する 有毒なポジティブ思考 には賛成できない 」 : 有色人種のPRプロフェッショナルが告白

DIGIDAY

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DE&I(多様性、公平性、包摂性)に関して、2020年がアカウンタビリティ(現状に関する説明責任)の年だったとすれば、2021年はアクション(行動)の年だ――少なくともそうなると思われていた。

ジョージ・フロイド氏殺害事件のあと人種的公平性を求める声が高まるなか、業界の多くの企業がDE&Iに関する統計資料を公表し、支持姿勢やアクションプレッジ(行動の誓い)を表明する動きがあった。だが米DIGIDAYの過去の調査で取材した多くの幹部や社員によれば、エージェンシーにおけるDE&Iの進捗状況を理解するのは、一時的な数字をみるよりもはるかに複雑なのだという。

匿名を条件に本音を語ってもらう「告白」シリーズ。今回は有色人種のコミュニケーションスペシャリストに、停滞する多様性への取り組みとインターセクショナリティ(交差性)をめぐるフラストレーションについて語ってもらった。なお、読みやすさを考慮して、インタビューには若干の要約編集を加えている。

――業界がいまだに真のDE&Iを達成できていないのはなぜだと思う?

多様性と職場文化の観点から私がもっとも強く思うのは、トキシックポジティビティ(有毒なポジティブ思考)には賛成できない、ということ。これこそが企業の停滞を招く原因だ。誰だって「この会社はとてもすばらしい、良いことばかりだ」と言いたい。だが実は良いことずくめというわけではないと明るみに出せば、その人は「ネガティブ思考の人」とか「いつも文句言いたげな有色人種」とみなされてしまう。私たちは率直に声をあげて会社に説明責任を果たさせることはするが、文句ばかりのクレーマーとは常に一線を画すようにしている。

――トキシックポジティビティの定義とは? それはDE&Iのめざす目標にどのような役割を果たすのか?

それは、いつも賞賛しあっている文化だ。自分たちの行いで良かった点は何でも口にする。こんな取組みをした、あんな取り組みをした、ということはできる。だが、そこで止めてしまって、ほかに何をやらねばならないか、あるいは自分たちがどこでつまずいているのかについては何も触れないとしたら、それはトキシック、すなわち有毒だ。口にのぼる話が常にポジティブな方向に歪められていると、私たちはいったん立ち止まって、中間的な部分やネガティブな部分も存在するのだと認識することさえ忘れてしまう。それこそが有毒だ。

有色人種の方々のために、私が何を期待するか、また私たちが何を変えていけるかについて、お伝えしておこう。特に「私たちには○○が必要だ」と手を挙げるときだ。相手はそれをきちんと聞かずに「それで、何をしてほしいの?」と尋ねる。有色人種の人に対してその質問をすること自体は構わない。だが、わざとできないフリをすることで相手にあきらめさせるという、武器としての無能(weaponized incompetence)がトキシックポジティビティと一緒にやってくる。「自分は白人なんで、ここであなたが何を本当に望んでいるのか分からなくて。でもできる限りのことはやっているよ」。こんな反応が返ってきたら、あなたを責任をもって導いてくれる第三者機関を雇うことだ。あるいは有色人種、LGBTQIA、障がいのある人たちなど多様なメンバーで構成されたアドバイザリーボードを味方につけるのも良い。

――あなた個人の職務経験のなかでこのようなことはあったのか?

当初から私はダイバーシティ推進者としてかなり幅広く活動していた。(多様性をもつ採用候補者が)我々の会社に興味を持ってくれるようにするため、採用チームのサポートをしていた。だが、もちろん人手不足もあっただろうが、彼らは「忙しすぎてできない」という。それで一度もその件を再考することはなかった。もしあなたが私に「ネットワークを広げ多様な人材採用を試みているんだ」と話したところで、私たちがそのための時間を作ることができなければ、出発点に逆戻りではないか?

どうすればこうしたリソースを活用できるのかを誰もわかっていないために、多くの扉が閉じられたままになっている場合もある。だがそこであきらめてしまったのでは、それも解決にはならない。もっとも難しいのは、会話が空回りすることだ。「我々にはさらなる変化が必要だ。この数字はまだ横ばいだし、職場ではいまだにこんなことが起きている」といったような意見を経営陣に吹き込むとする。すると経営陣は、「そうか、じゃあ君はどうすれば良いと思う?」と返す。ここで扉が開かれているのは良いことではある。だが、その意見が本当に歓迎すべき提案と受け取られるのか、あるいは「とにかくこっちから問いは投げた。何も答えなかったのはそっちだよ」といったやりとりに終わるか。そこは、その人の口調、質問のしかた、その意見に対してどれほどの受容力があるかによって、決定的な違いが生じてくる。

――業界としてどのような対応をすべきと考えているか?

有色人種のひとりとして、この件には積極的に参画して、フィードバックを求められることがあればそこへ出向いて話をするなど、自らの責任を果たさねばならないと思うし、エージェンシーも同様だといえる。特に私たちはマイノリティだということを考えれば、ひとつの小さなグループの人たちだけに責任を負わせることはできないからだ。もし企業が、多様性に係る数値目標を達成してLinkedInに投稿することばかり考えているのだとしたら、実際には誰の役にもたっていないということになる。全体での変化を継続していくためには、たくさんの未確定要素に取り組む必要があるだろう。

[原文:‘There are a lot of doors being closed’: Confessions of a PR professional of color on toxic positivity and weaponized incompetence in DE&I

(翻訳:SI Japan、編集:小玉明依)

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