日本は「化石賞」受賞を恥じるな – WEDGE Infinity

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英国のグラスゴーで行われた今年の第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)は、久しぶりに注目されたCOPとなった。過去最も注目されたCOPは、2009年にデンマークのコペンハーゲンで行われたCOP15である。このCOPは、「ポスト京都議定書」と言われた京都議定書後の枠組みを決める重要な回だったが、議論が紛糾して合意文書の「採択」ができず、最終的に「留意する(take note)」という苦肉の策で終わった。

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このことは、COPの国際交渉の歴史における〝最大の失敗〟と言われている。その後、世間のCOP交渉に対する関心は次第に低くなっていった。15年のCOP21で、新しい枠組みとなるパリ協定が採択され再び注目されたものの、それ以降のCOPが大きくメディアを賑わせることはなかった。

今回のCOP26がこれほど注目されたのは、19年から20年にかけて起きた「国際的な脱炭素トレンド」以降、はじめて開催されたCOPだからである。特に、筆者に来る問い合わせや取材を受けて感じることは、さまざまな業界の関心が非常に高いということと、その一方でそうした事業者の実務的な関心とメディアの関心のポイントのズレが非常に大きいということである。

恥ずべきことではない日本の「化石賞」

従来、日本の温暖化政策の文脈では、「日本が世界にアピールできる高い削減目標を自ら設定して称賛されることで、それをテコに強く他国にも働きかけ、世界の気候変動政策においてリーダーシップを発揮する」、つまり外交上の「点数」を稼ぐことが求められていると考えられていた。

従って、毎回受賞される「化石賞」は、他国から称賛されていないことを示すわかりやすい話題であり、日本のメディアはこれを政府の失点として必ず取り上げる。筆者は実際、今年もメディアから「化石賞受賞についてどう思うか」、「日本の存在感はあったか」、という問い合わせを受けることが最も多かった。

しかし、このような視点でCOPにおける日本の立場を評価することは、次に述べる2つの点で的外れである。

まず1点目は、「化石賞」を受賞したからといって、もとより大した意味はないということである。そもそも日本は今回「化石賞」をたった1回しか受賞していない。「化石賞」は通常COPの会期中毎日受賞されているが、今年のCOP26において、「化石賞」を最も多く受賞したのは、5回の受賞と殿堂入りを果たしたオーストラリアで、次いで2回の英国、米国、ブラジルが続いている。

そして、この賞自体大して注目されていない。この賞を主催する環境NGOのyoutubeチャンネルでは、連日受賞の報告動画を上げているが、多くてもせいぜい数百回、少ないものでは数十回しか再生されていない。

最も再生回数が多い動画は、日本が受賞された11月2日のものだが、それはそもそも「化石賞」を報じているのがほとんど日本のメディアだからだろう。そして、日本が化石賞を受賞したことを伝える英文記事は、今年も日本の英字メディアだけだった。これでは、日本の一部メディアは滑稽なマッチポンプを演じているに過ぎないということになる。

2点目は、日本がCOPにおいて存在感を追い求めることにどれだけの意味があるのかというということである。日本の二酸化炭素(CO2)排出量は世界第5位とはいえ、世界の排出量に占める割合は3.2%しかない(英石油大手BP による2020年のエネルギー統計)。自国の削減量自体のインパクトはそもそも大きくない。

また、途上国も含めすべての国が参加するようになったパリ協定以降のCOPは、もはや各国同士で削減目標値をギリギリと交渉しあう場ではなくなっている。つまり、自国が高い目標を提出したからといって、それが称賛され、説得力をもって他国の目標値に干渉できるということはない。

現在COPで求められているリーダーシップとは、各国の事情を汲みつつ全体の利害を調整し、より高い目標へ世界を導く力のことであり、単に身を切ることではないだろう。

注目すべきは合意内容

今回、日本の岸田文雄首相は、滞在時間8時間という強行軍でCOP26に参加し、世界リーダーズサミットでスピーチを行った。

その内容は、「アジア・エネルギー・トランジション・イニシアティブ」を通じ、アンモニアや水素などによってアジアの火力発電のゼロエミッション化推進を支援するというもので、「誰一人取り残されることがあってはならない」という強いメッセージとともに、非常に洗練されていたよく練られたものだった。

筆者は、このスピーチは過去に日本政府が発信してきた気候変動に関するステートメントの中で最も優れたものだったのではないかと考えている。正直、岸田氏の自民党総裁選における公約を見る限り、ここまでの準備ができるとは期待していなかった。その意味で、日本政府はやるべきことはやったと評価してよいのではないだろうか。

ただ、COPを評価する上で本来重要なのは、日本の立ち振舞いなどではなく、そこで決まった合意内容だろう。例えば、今回のCOP会期内に発表された主な政府合意としては、「100カ国超によるメタン削減枠組み」、「24カ国による2040年ガソリン車販売禁止宣言」、「46カ国による石炭火力廃止宣言」などがある。日本が参加したのは、メタン削減枠組みだけだが、他の二つは今後の日本に大きな影響がある重要なテーマであり、今後の国際世論の高まりなど、その動向を注視する必要がある。

また、これら二つの合意は、米国と中国も参加していない。バイデン大統領は、前政権の「アメリカ・ファースト」から脱却し、パリ協定に復帰、気候変動を外交安全保障上の重要テーマと位置づけて欧州や中国などと協調すると標榜していた。しかし、蓋をあけてみれば、これら二つの合意に参加しなかった。つまり、米国は中国と同じ後ろ向きの側についた。

そしてさらに、ほとんど中身のない「米中共同声明」まで発表している。気候変動問題を推進したい欧州各国にしてみれば、米国は単に中国側に寄り添っただけで、まさに裏切られたような結果といってよいだろう。

欧州内部においても、必ずしも足並みは揃っていない。たとえば、ガソリン車廃止の合意は英国が主動したが、ドイツ・フランスは入っていない。また、フランスなどEUの10カ国はCOP26に先立って、原子力発電をグリーン電力に入れてほしい(EUタクソノミーに組み入れる)と提言し、それをロシア政府が賛同するという奇妙な構図が生まれている。

分断の始まりという懸念も

最終的な合意文書は、石炭火力の「段階的廃止」が盛り込まれる予定が、中国・インドの土壇場の反対により、「段階的削減」に修正されたと伝えられている。しかし、COPの合意文書に具体的な発電方法に関する記載が入ること自体が極めて異例のことである。

パリ協定は、削減目標を各国が自主的に制定し、その実現方法については各自に任せられているというのが基本的な考え方だが、今回の文言はその精神を逸脱している。石炭火力の割合は、その国が置かれている地理条件によって大きく変わるため、特定の電源を名指しで規制することは国家間の不公平をまねいてさらに分断が広まるだろう。

結局、ルールを極限までゆるくしたパリ協定では、すべての国が参加し大枠を合意したはいいが、その後ルールが再び厳しくなったことによって、再び分断状態へ逆戻りしている気がする。気候変動問題は、人類共通で合意できる数少ないテーマだが、今回のCOP26は後世の人々から見て分断の始まりだったと評されることになるかも知れない。

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