40代突入で感じる現実のギャップ – 宇佐美典也

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元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第18回のテーマは、40代の生きづらさについて。今月40歳の誕生日を迎える宇佐美さんに、自身が思い描いていた40代像と現実とのギャップを綴ってもらいました。

私が40歳になって「おじさん」になりたいのになれない理由

はじめに言っておくが今回は論評というより愚痴、ぼやきである。

ついに今月40歳を迎えてしまう。

先日「ABEMA Prime」という報道番組での討論における自分の振る舞い方について「どちらかと言えば持論を述べるよりも、番組全体の賛否両論のバランスがそろうことを優先して選択的にポジションを取っている」というようなことをTwitterで呟いたら、番組で共演したちょうど一回り下のたかまつななさんに「そういうの若者にとっては寒い」と一刀両断されてしまった。

「俺だって君くらいの時はそんなことを思っていたんだよな〜」などと彼女の若々しさが眩しく見えたのだが、ただまぁ正直なところその言葉自体は40代を目の前にした自分の心には響かなかった。凡人の域を出られず40歳になる私が今この席を守るためには、若者のままでいることは当然、おじさんになることも許されない現実があるのだよ、と。今回はその辺の凡人のアラフォー事情について話していきたい。

役人人生を駆け抜けた20代、独立した30代

BLOGOS編集部

私も30歳までは典型的なサラリーマンだったわけで、20代の頃などは「40歳」というと、経済産業省で官僚としてそこそこ成果を上げ、留学をして国際感覚を身につけ、いざこれから役人人生の本番という具合かな、などということを想定して日々懸命に走っていた。ただ30歳という区切りが近づくにつれ、徐々に現実の自分の仕様と社会の歯車として自分に求められる役割とのギャップを隠しきれなくなり「どうも想定していた具合にはいかないな」ということが薄々わかってきた。

そんなわけで30歳になって決められた道から外れることを選び、役人を辞め、炎上系ブロガーとして足掻きながら、ネットの海の中で食い扶持を探し彷徨い、なんとか再エネと半導体に関わる制度分析をしながら細々と政治評論をして日々の糧を得るという道を見つけ今に至ることになる。

そして、この模索の30代が終わり、ついに今月40歳を迎えることになるのだが「満足か?」と問われるとなんとも複雑な気持ちになる。

いざ40歳になる自分を客観的に見ると、理想通りとはいかなかったもののまぁそれなりに上出来ではある。私にしてはよくやっている。一寸先は闇ながら当座安定してそれなりに稼げてはいるし、家族も持った。長期にわたって勝負できる専門領域も見つけたし、やりたいことという意味では評論家稼業も多少の連載なり番組のレギュラーなりも持てた。

でも何か物足りない。

自分が若い頃想像していた「40歳のおじさん」というのはもっと力強く、輝いていた。若さを失ったかわりに、力を手にした恐れるべき「何者か」であった。そんな幼き頃見た「40歳のおじさん」に今の私はなっているはずだったのだが、現実の今の自分は、なんか疲れて、先行きがぼやけて、燻っている。

違和感の正体は「40歳ではおじさんになれない社会」

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その違和感の正体を探るべく、現代社会の「40歳」という年齢の難しさに焦点を当てて「男性学」を専門とする社会学者の田中俊之氏とお笑い芸人・山田ルイ53世が対談した共著「中年男ルネッサンス」(イースト新書)を読んでみた。

ここで語られているのは高齢化社会や長引くデフレなどに起因する40代の社会的ポジションの変化で、田中氏は現代の40代が抱く違和感について、「ひと昔前であれば、四十代の男性だったら既婚者で、子どもがいて、一家の大黒柱としてそこそこ稼げているという世間のイメージと実態がそれなりに一致していました。でも、現代では、こうしたイメージは残っているけど、誰もが現実にそれを達成できるわけではなくなっています。このギャップは辛いところです」としている。

芸人の世界にいる山田も、ハリウッドザコシショウや永野など40代で売れて「若手」として活躍する芸人が増え、「『若手芸人の高齢化』と言われて久しい」とし、「もちろん僕も『若手』です」と述べる。

これは私の立場でも頷くところが多い。ここまで述べてきたように私は田中氏が指摘したようなかつての「40代の男性」の幻影を追ってきた身であるし、個人的には挑戦する側からもう「おじさん」として社会を保守する側に回る準備は万全である。

ただ、現実の自分の周りの環境を見るとまだまだ「若手」としての振る舞いを続けざるを得ないのである。日本市場のパイが増えない中で社会の高齢化が進んで、明らかに上が詰まっていて、社会を回す側の席が空かないのである。組織に所属していると「役職数」という形でそれが明確に目に見えるのであろうが、独立事業者という立場の私でも実のところ大差はない。

フリーはフリーで活躍ができる席が限られておりその席の奪い合いをしており、他方で既に一等席を確保した大ベテランはその席を譲る様子をあまり見せない。端的に言えば「田原総一朗、野口悠紀雄はいつまで現役でやっているのか」という問題である。

それでも同世代で突き抜けたような存在ならば上の席を確保できたのであろうし、身の回りで言えば私の小学校の同級生に稲田大輔という男がいて、東大でも一緒だったのだが、彼はatama +というベンチャーを立ち上げはやりのAIを駆使して教育界の改革の旗手として活躍している。

私は勝負をかけたもののそこには至れなかった中途半端な「中二階」といったところであろう。ヒーローになれなかった自分は受け入れ済みで、同書で指摘されているところの「“何者にもなれなかった自分”を受け入れられず、“圧倒的存在”になるためのレースを降りられなくなっている」というわけでもなく、稲田のことを「あいつは雲の上に突き抜けたな〜」などと下から見上げている。

ただ若手でもなくおじさんでもない40歳のポジションの変化に心はついていけていない。

冒頭に記したABEMA Primeの件のように、「なんなんだこの中途半端なポジションは」と違和感を覚えながら、処世術としてその場その場のメンツを見ながら「相対的若手」と「相対的おじさん」を演じわけて、上の世代にも下の世代にも寄せて自分の席を精一杯確保している。

おじさんになるチャンスは50代以降に期待

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データを見れば日本社会の平均年齢は48歳にまで上がっており、他方で75歳くらいまで働くことが標準になるような社会では、おそらく私たちの世代が社会の中心で活躍できるのは、よほど傑物でない限り、50代以降のことになるのだと思う。そうなってはじめて我々の世代は失った若さを補いうる力を得るチャンス、すなわち「おじさん」になるチャンスを与えられるのであろうと期待している。

でもそんな先のことを考えて今全力で走ることは難しく、かといって「一度仕事を傍において私生活を充実させよう」とするまでの余裕はない。結果として少しばかりの余裕の時間を趣味に当てつつも、遠くに見えるゴールを目指して毎日いつもの道をダラダラと責任感と惰性でジョギングしている。それが今の自分に見える風景だ。ノリノリで「今日の仕事は、楽しみですか。」などと聞かれても「楽しいというわけではないが、今のこと将来のことを考えればこれをやるしかないからやる」と淡々と答えるしかない。そういう人は結構多いのではないかと思う。

若手でもなくおじさんでもない40歳、これはキツい、想像していた以上にキツい、でもやりきるしかない。もうここから人生をやり直すほどの時間の余裕はない。ただ先は長い。そして走るのはやめられない。走るのをやめたら私が目指した「おじさん」になれないのである。

だから「精一杯毎日のハードルを下げて、ちょこちょこ寄り道しつつ、社会的に『おじさん』になることが許される50代までなんとかかんとか走り続ける」というのが、私が自分の40代に課そうとしているミッションである。

本当はもっとあっさりおじさんになりたかったのだが、まぁその分人生延びたのだからしょうがない。せめて40代のうちは老いに抵抗するか、などと思い、公園で筋トレを始めて少しずつ弛んだ腹が引き締まっていくのを鏡の前で眺め、久方ぶりに新しいアニメをNetflixで眺め楽しみつつ新しい価値観を取り入れる努力するのが、40歳を今迎えんとする凡人の自分が時代の変化に対応するために出した答えの第一歩である。若手扱いされるのなら、精々若作りすることとしよう。

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