元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第17回のテーマは、自民党総裁選でも争点のひとつになる原発政策の重要論点「核燃料サイクル」について。候補者のひとりである河野太郎議員は撤退の考えを明らかにしているのに対し、宇佐美さんもその難しさは認めるものの、「堅持せざるを得ない」政策なのだと説明します。
私がやっぱり核燃料サイクルは続けるべきと思う理由
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核燃料サイクルに注目が集まっている。
きっかけは自民党総裁選の過程で河野太郎衆議院議員が質問に答える形で核燃料サイクル(核燃サイクル)について「なるべく早く手じまいすべきだ」と発言したことだ。
河野太郎議員が核燃サイクルへの反対論を唱えるのは昔からのことで例えば本人のブログでは、コスト高、核不拡散、供給安定性、環境負荷、耐震性、稼働の実現可能性、将来的な技術展望などの問題を列挙して核燃サイクルへの疑問を呈している。こうした指摘は私も半ば同意するところで、実際かつては私も核燃サイクル反対派だったのだが、その後色々な思考の過程を経て「核燃サイクルは堅持せざるを得ない」と立場を変えた経緯がある。
今回はこの難しい問題について、核燃サイクルの経緯や技術的概要についてまとめた「なぜ再処理するのか?原子燃料サイクルの意義と技術の全貌」(大和愛司著・エネルギーフォーラム新書)などを参考に読者の皆様と一緒に考えていきたい。
核燃サイクルとは「原子力発電に使う燃料のリサイクル」
さてまずはそもそも核燃サイクルとは何か、ということだが、経産省のHPなどを参考にしてまとめると、
「核燃サイクル」とは、原子力発電で使い終えた燃料(使用済み燃料)から再利用可能なプルトニウムやウランを取り出して(再処理)、「MOX燃料」に加工し、もう一度発電に利用すること(軽水炉サイクル/プルサーマル)で「①資源の有効利用 ②高レベル放射性廃棄物の減量 ③高レベル放射性廃棄物の放射能レベルの低下」を目指すもの。
元々は取り出したプルトニウムを中心に燃料として使う「高速炉サイクル」を目指していたが、こちらは研究用原子炉「もんじゅ」の廃炉が決まるなど停滞しており将来の目標という位置付けになっている。
といったところで、一言で言えば「原子力発電に使う燃料のリサイクル」である。
河野太郎議員が指摘する「コスト高」はその通り
さてこの核燃サイクルだが、リサイクル事業にありがちな話だが、経済的にはペイしないものである。河野太郎議員が「コスト高」と指摘する通り、例えば2011年に内閣府が行った試算では、使用済み燃料を再処理せずに(59年の中間貯蔵後)直接地層に処分する「直接処分」の方が再処理モデルよりも1円/kWh程度安くなることが確認されている。(なお青森県は核燃サイクルなしの中間貯蔵の受け入れを拒否しているのでこの案はそもそも実現可能か政治的問題を抱えている)
単純に考えれば直接処分すれば良いわけで、燃料のウランの枯渇への懸念に関しても当面はさらなる鉱山開発を進め、将来のために海水中からのウラン抽出などの研究を進めた方が合理的である。
ではなぜわざわざ先進国で日本とフランス以外は放棄した高コストな核燃サイクルを日本が進めているかというと単純に「直接処分をする場所がない」からである。
使用済み核燃料をそのまま直接処分するとなると、放射能が時間を経て天然のウラン鉱石の毒性まで減衰する期間は概ね10万年になる。これが軽水炉サイクルで再利用すると1万年(約8000年程度)、今は目処が立っていない高速炉サイクルで利用すると300年になる。実際に保管場所を確保するには減衰期の10倍の地層安定性が求められるため、直接処分で100万年、軽水炉サイクルで10万年、高速炉サイクルで3000年程度の地層の安定性が求められる。
100万年の地層の安定性となると地震大国の日本ではそもそも適切な土地を見つけることは困難で対象は限られ、加えて実際に10万年の管理をする最終処分地を選定する政治プロセスはさらに困難になる。事実上不可能と言ってもいいだろう。これは1万年でも同様のことだが、候補地が広がるだけかろうじて選定の可能性は見えてくるだろうし、300年であればより可能性が増してくる。いずれにしろ使用済み燃料の最終処分場の選定が困難なことは変わらず、原発が「トイレなきマンション」と揶揄される所以はこれである。