高市氏が安倍氏に支持される理由 – PRESIDENT Online

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自民党総裁選で高市早苗氏が主要候補に躍り出た。ジャーナリストの鮫島浩さんは「泡沫候補の扱いだったが、安倍前首相の支持表明で流れが変わった。政策やキャリアを見れば、“後継者”として都合のいい条件を満たしている」という――。

2016年8月3日、東京の首相官邸にて。安倍首相(当時)が行った内閣改造で新たに任命された稲田朋美防衛大臣(右上)、再任された高市早苗総務大臣(上中央)らと写真に納まる安倍晋三首相(左前)と麻生太郎財務大臣(右前) – 写真=EPA/時事通信フォト

急浮上した「安倍氏の後継者」

菅義偉首相が「安倍争奪戦」に敗れ、不出馬に追い込まれた自民党総裁選。キングメーカーである安倍晋三前首相の支持をさいごに獲得したのは、菅首相に競り勝った岸田文雄前政調会長ではなく、政治信条が安倍氏に極めて近い高市早苗前総務相だった。

この結果、当初は泡沫扱いされていた高市氏は、「初の女性首相」として一気に主要候補となった。

総裁選レースは「選挙の顔」として期待を集める河野太郎ワクチン担当相が一歩抜け出したようにみえる。河野氏は安倍路線からの転換をめざすのではなく、原発政策や皇位継承問題で安倍氏に歩み寄り、自民党内の幅広い支持を集めようとしている。

しかし「安倍氏の継承者」の地位を確立したのは高市氏だ。河野政権が誕生しても高市氏は安倍路線を継承するシンボルとして要職に送り込まれる可能性が高い。安倍氏に恭順の意を示しながら放置された岸田氏に代わって、高市氏の動向がますます注目を集めていくだろう。

アベノミクスの負の側面にはほとんど触れず

泡沫候補から一転して時の人へ――。これまでのところ総裁選でもっとも名を上げたのは高市氏かもしれない。この「高市現象」の特徴は、安倍氏に相通じる国家観や歴史観、改憲論、靖国参拝、女系天皇や選択的夫婦別姓への反対といった復古主義的イデオロギーだけでなく、アベノミクスを継承して「サナエノミクス」と銘打った経済政策が耳目を集めていることだ。

アベノミクスが掲げた、①大胆な金融緩和、②機動的な財政出動、に加え、③危機管理投資・成長投資、を新たに提起。アベノミクスの三つ目の矢の「改革」を「投資」に置き換えたもので、コロナ危機下において国家の強力な税財政支援を求める経済界の期待感をかきたてる内容である。

一方で、アベノミクスの負の側面といえる格差拡大に対する処方箋はほとんど触れていない。サナエノミクスはアベノミクスを「強者を支え、弱者をくじく」という新自由主義的な経済政策へさらに進化させたものであるように筆者にはみえる。

以下、高市氏の内実を深掘りしていこう。

森喜朗内閣では「勝手補佐官」を名乗って森首相を応援

高市氏は奈良県で育ち、神戸大学経営学部を卒業した後、松下政経塾に入った。その後、渡米して下院議員の事務所に勤務。帰国後、フジテレビ系列の情報番組のキャスターを務めた。若くから政治家志望であったのは間違いない。

当初は自民党ではなかった。1992年参院選奈良選挙区に無所属で出馬して落選したが、自民長期政権に終止符を打つ93年衆院選(当時は中選挙区制)奈良県全県区で無所属でトップ当選し非自民連立政権に加わった。安倍氏とは初当選同期だ。

非自民連立政権が瓦解すると、高市氏は自社さ連立政権ではなく、小沢一郎氏が率いる野党・新進党に参画した。二階俊博幹事長や石破茂元幹事長と同じく「新進党組」である。新進党が解党した後に自民党に復党した石破氏ら「出戻り組」は長らく裏切り者扱いされた。石破氏が過去4回の総裁選で勝利できなかったのは「出戻り組」への反発が根強く残るからだと指摘する自民党関係者は少なくない。

高市氏は自民党を離党して新進党に加わったわけではないが、1996年末に自民党に入った際は「新進党組」への風当たりを強く感じたことだろう。彼女が身を寄せたのはタカ派の清和会だった。そこで復古主義的な政治信条を強めていく。森喜朗内閣では「勝手補佐官」を名乗って不人気の森首相を応援し続けた。

※写真はイメージです – 写真=iStock.com/oasis2me

小池百合子氏、野田聖子氏とは対照的なキャリア

2003年衆院選では奈良1区で敗れ、比例復活もならず落選。小泉純一郎首相が郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず対立候補(刺客)を送り込んだ05年衆院選で、高市氏は奈良1区を捨て、奈良2区の「刺客」として当選し、国会へ戻った。

だが「刺客」のシンボルとして話題を独占したのは現東京都知事の小池百合子氏である。兵庫6区から東京10区へ国替えして圧勝したのだ。小池氏もキャスター出身の新進党組。高市氏より6年遅れで自民党入りして同じ清和会に身を寄せたが、マスコミの注目を集めたのはつねに小池氏だった。

総裁選出馬をめざす野田聖子幹事長代行は高市氏と同じ1993年初当選組。自民党内で早くから脚光を浴び、98年の小渕恵三内閣では37歳で郵政相に抜擢された。

小池氏が細川護煕氏、小沢一郎氏、小泉純一郎氏、二階俊博氏ら時々の権力者に食い込んで政界を渡り歩いたとすれば、野田氏は自民党内で野中広務氏や古賀誠氏ら重鎮を後ろ盾にしてきた。男性優位の悪しき政治文化が根強く残る永田町で華麗なキャリアを積み重ねた同世代の女性政治家二人に比べ、高市氏の足跡は見劣りして映る。

高市氏は復古主義的な政治信条を一貫として維持した。大物の庇護を受けてポストを獲得していった小池氏や野田氏とは対照的に、政治信条に徹して政治基盤を築いていったのである。政治信条への共感と上の世代との関係の薄さ――安倍氏が高市氏を見いだした理由はそこにあるのだろう。