巨人が中田翔を不問に付した理由 – PRESIDENT Online

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なぜ巨人は中田翔選手を移籍させ、すぐ試合に出場させたのか。スポーツライターの相沢光一さんは、「日本ハム時代に同僚選手へ暴力行為を働き、無期限出場停止処分を受けていましたが、これを事実上不問に付したことになる。こうした甘い対処の背景には、プロ野球にいまだ残る“ある体質”が関係している」と指摘する――。

日本ハムから巨人に移籍し、記者会見する中田翔=2021年8搈20日、東京・大手町日本ハムから巨人に移籍し、記者会見する中田翔=2021年8月20日、東京・大手町 – 写真=時事通信フォト

「常に紳士たれ」巨人軍が中田翔の暴力行為をなかったことにした

巨人に移籍した中田翔内野手(32)の処遇に批判が集まっている。

8月11日、中田は日本ハムの同僚選手に暴力行為を働いたとして無期限出場停止処分を受けた。だが、わずか9日後の20日、巨人への移籍が発表され、翌日から試合に出場(代打)。2日目の22日には5番1塁で先発し、ホームランを打った。

試合は引き分けに終わったため、勝利にはつながらなかったが、移籍してすぐに打った反撃弾にスタンドの巨人ファンからは大拍手が起こり、スポーツ紙もこぞって1面で報じるなどして勝負強さを称賛した。

日本ハムで無期限出場停止処分の後、中田を自由契約、つまりクビになるのではないか、という憶測が流れた。そこへ降って湧いた移籍話。きっかけは日本ハム・栗山英樹監督(60)が巨人・原辰徳監督(63)に相談したことらしいが、追い詰められた中田を救うための移籍という美談に仕立てられた。

だが、間を置かず試合に出たことには批判の声が沸き上がった。

無期限出場停止処分を受けたということは、しばらくの間は謹慎し、自分がした暴力行為を反省しろということ。それを移籍して球団が変わったからといって、「あっさり不問にしちゃっていいの?」というわけだ。巨人ファンのなかにも、釈然としない人はいるのではないだろうか。

中田は野球ファンの誰もが、プレーを見たいと思う選手のひとりだ。

日本ハムでは主砲を務め、侍ジャパンの一員としてWBCにも2度出場した。存在感もある。その中田にプレーの場を与える移籍に文句がある人は少ないだろう。だが、一定の期間を設けて謹慎を継続し、自分がした行為を反省するとともに選手としての再教育をしたうえで出場登録するというのであれば、多くのファンは納得しただろうし、批判は少なかったはずだ。

しかし、移籍発表の会見では反省と謝罪を述べたものの、つけ足したように日本ハムやファンへの感謝などを語った。本来であれば日本ハム球団の仕切りで、長年熱烈に応援してくれたファイターズファンに謝罪し、長年の感謝を述べ、別れの挨拶をするのが先決ではないか。ファンを落胆させ悲しませてしまったことに対するケジメをつけていないのだ。

「32歳でまだやんちゃ、治らない」「抜けきれない、番長的な要素」

今回の件についてはプロ野球関係者がSNSやメディアで個人の意見を発信している。目立つのは、ネガティブなものだ。なかでも、お笑いタレントの有吉弘行が22日、ラジオ番組で放ったコメントは鋭かった。

「まだやんちゃ、治らないんだね。32歳で体育会系って、今どきなかなか見ないけどね。抜けきれないか、番長的な要素が。ますます清原に似てくるもんね」

清原とはもちろん、清原和博氏のことだ。今回の件では起こした騒動にしても、その風貌にしても、清原氏を思い起こした人は多いだろう。毒舌が持ち味の有吉らしく、それをズバリと言って皮肉ったのだ。

清原氏も現役時代、死球を当てた投手にバットを投げつけ乱闘に発展させるなど、武闘派伝説が付きまとった。風貌がコワモテなのも共通する。また、ともに大阪の強豪高校の主力として甲子園を沸かせたこと(中田の出身は広島)、パ・リーグの球団で活躍した後、巨人に移籍入団したこと、ゴールドのネックレスを好んでつけるセンスなど共通項は多い。中田が清原氏に似ていると思われるのも無理はないのだ。

日本ハムから巨人に移籍し、記者会見する中田翔=2021年8搈20日、東京・大手町
日本ハムから巨人に移籍し、記者会見する中田翔=2021年8月20日、東京・大手町(写真=時事通信フォト)

もっとも昔のプロ野球には、こういうタイプは結構いた。見た目からしてコワモテで、乱闘騒ぎが起これば、真っ先に飛び出していくというような。

こうした気質はどのように養われたのか。要因のひとつに挙げられるのは、部活だ。指導という名の下に上級生が下級生を、あるいは監督が部員をしごいたり、叩いたりすることが黙認される体育会系部活が当たり前だった時代があった。当時はそうしたパワハラ環境に耐え、順応できた者が生き残れた。その結果、一部の選手は暴力に対するハードルが低くなってしまった可能性があるのだ。

ちなみに中田が出た強豪・大阪桐蔭高校は体育会的指導を行っていない。上下のしきたりなどなく、選手が実力でレギュラーの座を競い、その切磋琢磨の中でチームも強くなった。そんな中にも中田には武勇伝がある。下級生をいじめたのではなく、気に入らない上級生に制裁を加えたという。ある意味、大物ではあるが、気分を害されると躊躇なく手が出てしまう、という気質が備わっていたのかもしれない。

加えて野球は、チームスポーツでありながら個人競技の側面がある。飛びぬけた才能を持つ投手や打者がいれば勝利に近づけるから監督は重用するし、チームメートも一目置く。なかには、そういう扱いを受けることで、自分を偉いと勘違いし、何をしてもいいと思う者が出てくることがある。

「大将」と呼ばれた中田の“暴力”を不問に付すプロ球界の甘さ

中田は日本ハムのチーム内では「大将」と呼ばれていたという。暴力に対するハードルが低い気質を持っていたうえに自身の今季の不調やチームの低迷、チームリーダーとしての責任というプレッシャーが重なって、今回の暴力行為が起きたのだろう。

ただし、今のプロ野球選手にこういうタイプは少なくなった。時代は変わり、暴力的指導に対する世間の目が厳しくなった。部活にも体育会的色彩は薄まっている。今第一線で活躍している選手の多くは、そうした環境で育っているせいか、野球=生活を賭けた勝負の場というより、スポーツとして技と力を競うというアスリート気質を持っている。

とはいえ現在のプロ野球の現場の指導者層は中田が持つ俺サマ気質を理解できる昭和世代だ。中田が起こしたような暴力行為もこれまで見聞きしており、「大目に見てやろうか」という甘い対応になったのではないだろうか。

令和の時代になっても、球界にはそうした体質が温存されているのだ。

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相沢 光一(あいざわ・こういち)
フリーライター
1956年生まれ。月刊誌を主に取材・執筆を行ってきた。得意とするジャンルはスポーツ全般、人物インタビュー、ビジネス。著書にアメリカンフットボールのマネジメントをテーマとした『勝利者』などがある。
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(フリーライター 相沢 光一)

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