菅首相の「言葉の貧しさ」は深刻 – 舛添要一

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菅内閣の支持率低下が止まらない。

 菅内閣支持率が過去最低を更新し続けている理由は、菅首相の言葉の貧しさにある。官房長官のときは、毎日の定例会見で、各省の官僚が用意したメモを淡々とのべ、それだけに厳しい質問も少なかった。自らの言葉で語らないことが、そつがないナンバーツーとして評価を高めることになったのである。

 しかし、内閣総理大臣となると、自らの言葉で国民に語ることが重要であり、役人が準備した会見草稿を超える内容を語ることが必要である。マイナスを極小にすることばかりに専心すると、感動を与えるような話はできなくなる。

 政権発足時、昨年9月16日の就任記者会見で、「私が目指す社会像は『自助、共助、公助、そして絆』だ。国民から信頼される政府を目指したい」と述べたが、私は、自民党内で使い古された陳腐な言葉を新政権のスローガンとして採用したことに呆然としたものである。スピーチライターがいなかったのかと疑ったくらいである。

 政権発足時に政権の目指すゴールを示す言葉としては、これは最低である。アメリカのケネディ大統領は1960年の大統領選で「ニューフロンティア」という政策を打ち出した。大胆な政策を見事に表現した言葉である。このように、言葉によって人々を鼓舞激励するのが政治指導者の役割である。

 菅首相は、政権発足時にこの陳腐なスローガンを持ち出したことで、未来への明るい展望を示すという大きな役割を放棄してしまった。これは、地味とか派手とかいった問題ではなく、武器ではなく言葉で統治するのが民主主義の鉄則なのである。

 実際に、東京五輪は無観客での開催であり、世界は「ウイルスに打ち勝った」とは到底言えない現状である。デルタ株の感染拡大は、あたかも新しいウイルスが出現したかのような様相を呈し始めている。

 先述したように、菅首相は、五輪と感染拡大の因果関係はないと言ったり、感染が急拡大しているのに「人流は減っている」と述べたりしたが、そのような発言は正確なデータに基づくものではなく、国民の認識とは大きくかけ離れている。適切な表現ができないのなら、沈黙したほうがよい。しかし、沈黙していたのでは首相の役割は務まらない。

 菅首相の「言葉の貧しさ」は深刻である。これでは、緊急事態宣言の対象地域を拡大したり、期間を延長しても、あまり効果がないであろう。尾身会長を従えての記者会見もすっかりマンネリ化してしまっている。

 菅首相は、国民とのコミュニケーションが不足しているように思えてならない。 

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