五輪一色となったマスコミに呆れ – 深谷隆司

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 17日間にわたって熱戦を繰り広げた東京五輪が8月8日終わった。

 新型コロナウイルスの影響で史上初めての1年延期、無観客、あわせて酷暑で、始まる前は国民の無関心ぶりや、朝日新聞などのメディア、一部の心ない連中の反対運動などが起こった。しかし、始まってみると五輪への関心は一気に大きく盛り上がった。人の心は一瞬で変わる、いいような悪いような・・・。

 テレビ、新聞などマスコミは、連日オリンピック一色で、特にテレ朝などは、女子バスケットの放送権まで握って、昨日までの反対姿勢はどこへ行ったのかとあきれるほどであった。

 57年前の東京五輪の時、三島由紀夫は毎日新聞に、「やっぱりやってよかった。やらなかったら日本は病気になる」と書いたが、この言葉が時空を超えて今も生きているように思える。

 選手や関係者からの感染が懸念されたが、JOCの万全な対策が功を奏してほとんど何の問題もないと言っていいほどであった。

 試合後のインタビューで、選手たちが「この厳しいコロナ禍の中で、開催してくれてありがとう」と言っていた。

 男子400メートルのメドレーリレーを制した米国チームが「THANK YOU TOKYO」と記した旗を挙げていた。テレビでそんな場面を観ながら、目頭が熱くなった。

 心から私もJOCの皆さんに敬意を表したいと思う。

 会長であった森さんから橋本さんに変わったが、あの頃、私が連載を書いている月刊誌「Hanada」で「森叩きは集団リンチ」と書いて大きな反響を集めた。一体、森さんはどんな思いでいるだろうかと、ふとその懸念が頭をよぎった。

 それにしても日本の選手はよく頑張った。金27個をはじめメダル総数58個、史上最多だ。地の利だという人がいるがそれは全く違う。選手たちの汗と涙の不断の努力と、政府が近年選手強化に力を入れ、100億円を超える予算を組んだことなどの成果である。

 勝った選手だけではなく負けた選手の姿にも感動を覚えた。体操の第一人者内村航平選手は鉄棒で落下し、「僕はたぶんもう主役ではない」と言ったが、確実にその後を受け継いだ選手が生まれている。

 アスリートに限らず、政治家の世界でも同じで、時の流れは無残で、いずれ身を引く時が訪れる。だが、その育てた命は確実に生き続けていくのだ。

 10代の若い選手が次々と現れたのには驚かされた。スケートボートの金メダル最有力と言われた岡本碧優選手が最後の大技で失敗した時、肩を落とす彼女にライバルたちが駆け寄り抱擁の輪が広がった。みんな幼い顔立ちだったが、国を超えて痛みへの共感、戦友への賛美があって、新たな絆が生まれている光景であった。

 勿論不愉快なこともある。活躍する選手に心無い批判を浴びせる輩もその一つだ。

 激しいリハビリで白血病から復帰した池江選手に、五輪反対の為に代表権を返上しろとSNSで激しく求めたという。又、体操の金メダル橋本大輝選手の判定についてもSNSで本人にまで文句をつけていた。 出所は外国ではないかと言う説もあるが真偽の程はわからない。

 しかし選手たちはこうした嫌がらせとしか取れない動きにも負けることなく、必死で努力していた。立派なものである。

 不快なもう一つは韓国の反日姿勢だ。宿舎に反日の横断幕を掲げたり、特に許せないのは東京電力福島原発事故をターゲットにし、福島産の食材に難癖をつけ、選手村近くのホテルに給食センターを設置するなど嫌みな行動の連続であった。しかも、開会前にはそのことのキャンペーンでオリンピック委員会にまで働きかけたという。当然ながら各国は取り合わず、その目論見は失敗した。

 放射性物質に関する日本の食の安全の検査は厳しく行われ、科学的安全性は確保されているのに、風評被害を捏造しているのだ。

 メダリストへのブーケは福島産のトルコキキョウ、宮城産のひまわり、岩手産のリンドウで作られていて、復興五輪のシンボルであったが、これにもいちゃもんをつけた。

 訪日を熱望していた文大統領、北朝鮮も来ないし、日韓会談の成果も考えられないことから訪日を断念したというが、来なくて結構というのがみんなの答えだ。

 こうした不愉快さを乗り越えて、躍動する若者たちの歓喜と涙、こんな素晴らしい夏は無かった。

 これからパラリンピックが開かれる。同じように、いやそれ以上に熱烈な声援を送りたいものである。

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