りんごの断面に見える黄色く透き通る蜜の部分。そのりんごの甘さの証である。
今回、実はあの蜜の部分自体は特別甘いわけではないという情報をつかんだ。
まさか! 子どもの頃は「注射器で注入しているらしい」なんていう都市伝説まで流れたあの蜜だぞ。あそこが甘くないってどういうことだ。
衝撃だ。動悸をおさえつつ事実関係に迫った。
りんごの蜜が甘くないなんて、そんなことがあっていいのか?!?!?!
※2007年1月に掲載された記事の写真画像を大きくして加筆修正のうえ再掲載しました。
衝撃の事実、ちょっとまってくれ
今年私は例年になくりんごを食べている。親戚にダンボール箱で大量にもらうラッキーに見舞われたためだ。にこにこ毎日むしゃむしゃ食べながら、せっかくだからとりんごについて色々と調べているときにそれは知らされた。
さまざまな情報を総合すると、内容はこうだ。
- 蜜はりんごの果実が糖分で満たされている状態の目印
- 蜜入りりんごは甘い
- けれど、蜜自体が甘いわけではない
ええー?! ほとんど衝撃のような驚きが走った。おおげさかもしれないが、だって、この写真を見てほしい。
この部分が甘くない、だって?
あはははは、あはは、またまた、ご冗談を。
私はこのじんわり甘そうな蜜の部分を、物心のついた頃から特別視して食べてきたのだ。
例えば、芯をとるためにりんごを切り分けると、この蜜の部分は捨てる部分に含まれてしまうことが多い。
もったいないから、いつも捨てずにむしろとっておいて最後にかぶりつく。アイスのふたについてる部分のような扱いをしてきたのだ。
それが今になって「そこは別に甘いわけじゃないんですよ」といわれても、こっちの引っ込みが付かないじゃないか。
蜜の仕組みとは
一体どいいう了見なのか。うろたえる気持ちを落ち着けて、じっくりその理屈に迫っていこう。
そもそも、りんごの蜜というのは日光を受けた葉から枝、そして実へと集まるソルビトールという成分らしい。
ソルビトールは酵素の働きで果糖などに変わり、実の全体に回っていく。この段階ではまだ「蜜」は実にたまっていない。
いよいよ実全体に糖質がめぐり完全に甘さが充填されたころ、ソルビトールを果糖(ショ糖などにも)化する酵素の働きが弱まる。
すると、余分となってしまったソルビトールが細胞と細胞の隙間にたまる。この、余分なソルビトールが我らがザ・蜜なのだ。
蜜は「このりんごには蜜が余るくらい甘さ満ち満ちですよ」という目印であり、りんごが甘いことの証明である。
が、なんと、酵素で分解される前のソルビトール自体は特別甘いわけではない、らしいのだ。
そうなのだ。やっぱり蜜自体は甘くないのだ。がうーん。
食べ比べてみよう
信じられないが、以上は数あるりんご関係のサイトや本で調べたことである。
ぶるぶるぶる(首を左右に強く振って)。理屈で分かってもどうにも納得いかん。そうだ、書を捨て、りんごをかじらなければ体が理解しない。実際りんごの蜜の部分を食べて比べてみよう。
食べてみた。
あっ!
ドキドキしながら書きます。あの、本当に蜜、甘くありませんでした。普通の果実の方が俄然甘かったのです。
差は明らかでした。すごい。本当にそうだったとは。私のこれまでの蜜信仰よ、天に召されよ。
いやいや、しかし、ナーバスになっている私の舌に誤りがあるともかぎらない。
こんなこともあろうかと、計測器ファンのウェブマスター林さんから液体の甘さを測ることのできる「糖度計」を借りてあるのだ。正確なジャッジは計測器に託した。
りんごを3か所に分けて計測
計測するには液体であることが必要だ。りんごはすりおろして使う。
すりおろしにあたって、蜜、実の中ほど、皮近くの3か所に分けた。
Bの部分はやや蜜を含んでいることが多く、Cはほぼ蜜がない。もし「蜜は甘くない」のであれば、一番甘いのはCになる。
つまり皮に一番近い部分が甘いということだ。
さて、結果はどうなるか?!
どーんと結果から発表します
測定はすりおろし状態のものとしぼったジュース状のもので行った。誤差を少なくするためそれぞれ3回ずつ計測する。
結果の糖度は以下の通りである。
結果の糖度は以下の通りである。
圧倒的に皮側が甘いという結果だ。やっぱり本当に蜜は他の部分より甘くなかったのだ。
内から外へ移るのに比例して甘くなるという結果。実の中心が最も甘いスイカの真逆である……!
しかし心の動きとしては、それぞれ3回測定するうちに驚きも薄れ全ての結果が出る頃は強いリアクションは出なかった。脱力だ。
「ふうー。そうなんだあー」
もはやゆったりとした気持ちで測定のためすりおろしたりんごたちを改めて食べてみた。
りんごは全体でりんご
Cの皮に近い外側の部分は食べてすぐしびれるように甘く、後味までしっかり甘い。甘あまだ。
中の部分は丸く優しい甘み。
そして蜜の部分はこの2か所を食べたあとだと、サッパリとさえ思えてしまう味だった。
うん、納得したよ。蜜は甘くないんだね。
気づいたのは、ばらばらじゃなくてやっぱりすべての部分を一緒に食べるのが美味しいんじゃないかということだ。外の部分だとちょっと甘みが強すぎる。
りんごは全部でひとつなのだ。もう蜜そのものにはまどわされない。蜜の入ったりんご全体を信じていくことにするよ。感慨にまみれながらさじを置いたのだった。
子どもの頃、私の家のりんごはしょっぱかった。
酸っぱかったんじゃなくて、しょっぱかった。りんごが茶色くならないように、一度塩水につけたものを皿に盛っていたからだ。
そのうち、だんだんと家族が増え(私は5人兄弟の一番上で、最初3人だった家族が12年で7人になった経験があるのです)、切ったそばから誰かが食べるようになったので塩水につける暇がなくなり、そうしていつしか りんごは甘くなったのだった。
以来、私の人生でずっと りんごは甘い。今回は蜜で大騒ぎしたが、考えてみれば騒がずとも、甘いんだからいいじゃないか。
なんとなく一瞬で納得して静かになりました。