すべて2019年4月に撮った写真です
平成7年(1995年)にカシオのQV-10というデジカメを買った。
それがきっかけで個人サイトを作り、ウェブサイトを作る仕事をするようになって7年後にデイリーポータルZをはじめた。その後の人生が大きく変わった買い物だった。
そのカメラを24年ぶりに買い直したら、当時の興奮がそのまま蘇った。
※この記事は2019年のゴールデンウィークとくべつ企画のうちの1本です。
テレビを見て買った
1995年の暮れ、テレビを見てたら爆笑問題が今年発売された話題の製品としてQV-10を紹介していた。その日か翌日に買った。ボーナスが出た後だったからだろう。僕は24歳だった。
2019年になってからQV-10に触れることが何度かあり、どうして欲しくなってメルカリで買いなおした(最初に自分で買ったものはあっさり捨ててた)。
どうして欲しくなったかはこの写真を見て欲しい。
古いデジカメや写メールを使ってた人には懐かしいもっさり写真だと思う。
25万画素だと自分が若い。ナチュラルに自撮り用カメラアプリのようである。
懐かしフィルタがかかるのは自分だけではない。
みんなどうしているだろうか(知ってるけど)。
QV-10で撮った写真が小さいのは320×240ピクセルの画像しか撮れないからである。デイリーポータルZの大きい写真は640ピクセルなので半分だ。
同期で休みの日にバーベキューやったっけな、と思い出を捏造しそうになるが僕はそういうのに一切行ってない。
景色も古くなる
懐かしくなるのは人だけではない。QV-10で撮ると街が1990年代になるのだ。
そういえばこんな感じだったよね~、ではなくて先月の写真である。
そうだ、渋谷のパルコも懐かしい感じになるぞと思って行ってみたらなくて膝から崩れ落ちた。
2019年のれっきとした田園都市線である。新玉川線ではない。
懐かしさはフォーマットなのだろうか
写っているのはいまの景色なのになんで懐かしいのだろう。
だって今のオフィスのようすもそう感じてしまう。
懐かしさとは写っているものではなくて、その描きかたなのかもしれない。
白黒だったり、VHSテープのノイズが入っていたり、レコードの針が落ちるときのボソッとした音で時代を錯覚してしまう。
その錯覚がデジタルでも起きたのが面白い。
古いデジカメはそれが発売された時代の写真(正確には「っぽい写真」)が撮れる装置だと思うとちょっとしたタイムマシンである。
だが、編集部は懐かしく感じなかった。
しょっちゅう顔を合わせている現在進行な関係性からなのか、服装がはっきり写っているからだろうか。(冒頭の江ノ島くんを懐かしく思ったのは謎)
ちなみにこのカメラ、映る範囲が狭いので全員を入れようとすると遠くに行かなければならない。
カメラにひっぱられた
QV-10で撮るのが楽しくて目につくものをひたすら撮った。わざわざ出かけて撮ったりもした。カメラを買ってこんなに歩き回るのは久しぶりだ。
1995年に買ったときもまさにこんな感じだった。すぐにパソコンに取り込んでネットに載せていた。
この記事はあのときの衝動のままに書けた。
次回からもこのデジカメを使ったらいいだろうか。
いや、使わないな。