日本は「普通の」資本主義が先決 – 非国民通信

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 我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである──とは、ポル・ポト政権下で唱えられたスローガンとして知られています。まぁ、独自であることと新しさに関しては、かけ声倒れとならず達成されたと評価できるのではないでしょうか。なにしろスターリン時代のソ連や毛沢東時代の中国ですら、民主カンプチアには及ばないですから。

 ドナルド・トランプ前大統領も「新しさ」という面では認められるべきと言えます。日本の政治家の中にはトランプの先駆者と呼びうる人物が少なからず思い当たりますが、少なくともアメリカ大統領の歴史の中でトランプは今までに例のない、すなわち新しい政治家でした。冷戦の精神から脱却できない古いバイデンとは対照的ですね。

 ただ「新しい」という言葉は総じて肯定的なニュアンスと結びつけられます。とりわけ政治の場では、古いものは断罪され、新しいものに置き換えられることが良いことであると、そう受け止められているものではないでしょうか。だから自分が良くないと思うものは古いものと位置づけ、あくまで良いものとして新しさを求め続ける人もいるわけです。

 岸田首相は「新しい資本主義」を提唱しています。では、その対になるものは何なのでしょう。「今の」そして「日本の」資本主義が進むべき進路として「新しい資本主義」が掲げられているものと思われますが、では現代日本の資本主義は「古い」ものなのでしょうか。何がどう新しいのかも問われますが、そもそも新しければ良いのか、という話もあります。

 紛争国を別にすれば、日本以外の国はGDPだけではなく賃金水準も中長期的には上昇を続けてきました。30年前に日本と肩を並べていた先進国も、30年前は一人当たりGDPが日本の十分の一以下だった途上国も、日本と同様に少子高齢化が進んでいる国も、いずれも経済成長を続け国民の所得も増えています。それがグローバルスタンダードというものなのでしょう。

 一方の日本は、ほぼ4半世紀にわたりGDPが横ばいを続け、給与水準に至っては主要国中で唯一の低下を見せています。もちろん紛争国など日本と同様の低成長国は存在しないでもありません。ただ内戦が勃発したわけでもないのに成長しない国は日本だけとも言えるわけで、これは間違いなく独自の、そして前例がないという意味では新しさすら醸し出すものです。

 たぶん、日本は既に独自の世界を建設してしまったのだと思います。我々は今、橋本龍太郎や小泉純一郎、竹中平蔵の思い描いた新しい理想郷の中に生きているのではないでしょうか。改革の旗の下、グローバル化と戦い続け諸外国とは異なる独自の資本主義を築き上げた、その結果が世界に類を見ない賃金水準の下がり続ける成長しない国家です。

 この状態から生み出される「新しい資本主義」がどうなるのか、現時点では今ひとつ具体的なビジョンが見えません。ただ私には、まず「普通の資本主義」を目指すべきのが先決であるように思われます。他の国のように成長する、他の国のように賃金が上がる、他の国と同じような当たり前の資本主義に辿り着くのがまずは第一歩となるはずです。

 マルクスにしても、「新しい」世界である共産主義は、資本主義の後に来るものと位置づけていました。だから八十年代後半の日本や北欧の福祉国家等こそが、むしろ共産主義に近いと評価されることもあったわけです。しかるに共産主義を掲げる勢力が権力を掌握したのは専ら資本主義の段階において立ち後れていた国ばかりで、その結実は単なる党独裁であり、マルクスの理想から遠いものだったのは言うまでもないでしょう。

 何事も階段を飛び越えては実現できない、新しいステージに進めるのは資本主義のトップランナーになってこそ、なのかも知れません。では今の日本に「新しい」資本主義の段階に進む能力があるのかどうか、私は大いに疑問です。それは資本主義を飛び越えて共産主義へのジャンプを目指した国と同じで、どこかに歪みは出るものであり、まずは「普通の」資本主義に追いつくことが先決であるように思います。

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