秋ですね。
涼しくなってきた。秋である。
秋のはじめは夏の疲れが出るというが、今年は特にそれを感じるように思う。オリンピックがあり、ワクチンの接種に気を揉んだ。もちろんまだ現在進行系の案件なのだが、気候が変わると気持ちの上で区切りが生まれる。大変だった夏が終わって秋になったのだと思う。
そしてパンパンのパンの袋でも吸っておこうかと思うのだ。
夏の暑さに耐え、心身がこわばっていた頃は考えなかったことだ。秋が来たのだ。
注意して吸おう
パンパンのパンの袋である。シュークリームやポテトチップスでもいい。あの袋を開ける時、中の空気が飛び出して「シュッ」と小さい音を立てるのが好きだ。あの、パンに触れていたパンパンの空気はどんな味なのだろう。
ちなみに、パンパンにしている空気の正体については事前に調べた。
パンパンになっている袋の多くはガス充填包装という包装がされていて、運ぶ際の衝撃から食品を守りつつ酸化、変色、腐敗、発酵などを防ぐために窒素ガスや二酸化炭素ガスが入っている。窒素や二酸化炭素それ自体は身近な気体だが、酸素を含まない空気を吸い込むと中毒を起こしてとても危険なので、袋に穴を開けた際に十分外の空気を混ぜてから吸った。
だからもともと入っていたガスは出て行き、ほとんど空気が入れ替わった状態で吸っている。袋をパンパンにしていた空気そのものの味ではないが、食品に触れた空気という意味では擬似的に風味を体験できている。そういうことにしよう。
安全にはかえられないのでやむを得ないだろう。ふと思いついたことでうっかり勉強をしてしまった。秋が僕に勉強をさせたのだ。
パンパンのマリトッツォの袋を吸う
結局10種類のパンパンになっている袋を吸った。やはり食品によって空気の味も違った。
コンビニのスイーツのコーナーにあった二品。匂いを嗅ぐと冷たい空気が漏れてくるのが分かって、棚で冷やされていたのは中の食べ物だけではないのだと気がつく。
空気を吸う限りではかなり無味なのだが、吸い終わって息を吐くとそれぞれの食べ物の甘い香りが鼻を抜けていった。マリトッツォの袋の空気は、ちゃんとオレンジの皮の香りまで分かる。
そうか。袋の中身全てがマリトッツォだったのだ。「マリトッツォの袋が」パンパンだったんじゃない。「マリトッツォで」袋がパンパンだったんだ。そんなことを思うほど、スイーツの袋にパンパンに入っている空気はそのスイーツの風味になっている。
本体はもう味がしないんじゃないかと思ったがちゃんとおいしかった。
パンパンの坦々麺の袋を吸う
しょっぱい食べ物、辛い食べ物になるとまた全然風味が違う。
それぞれ中身を思わせる空気の味をしていたが、マリトッツォほどではなかった。
印象的だったのはポテトチップスで、おいしくなさそうな例えで申し訳ないのだが揚げ物を扱う厨房を思わせる空気だった。厨房で深呼吸したのかと思った。もちろん中のポテトチップスは最高においしい。もっと広い空間に連れて行ってくれる味だった。
冷凍食品がパンパンなのは中の水が温度変化によって気体になり、膨張した結果なのだそう。同じパンパンでも理由はそれぞれなのだ。
しかしパンパンの坦々麺の袋である。こんなに無闇に楽しげな言葉があったのかと驚く。状況が許す方は音読をしてみてほしい。
パンパンの坦々麺の袋。
寂しい時、悲しい時、この言葉の響きはきっと僕たちを元気付けてくれるだろう。
パンパンのマヨネーズの袋を吸う
今まで吸った空気、基本的にはほとんど無味なのだが、ずば抜けて無味だったものがあった。
今まであった、風味としか呼べないあの微妙なニュアンスがないのだ。空気が食品が接してないからだろう。無味の中の突き抜けた無味。「無」にも程度があると学んだ。
河原でパンパンのパンの袋を吸う
ここからは河原でやろう。秋の空気を感じながらパンパンの袋を吸うのだ。
今までの傾向に従って、甘いものは甘い味と香り、揚げ物の芋けんぴは油を連想させる空気だった。
遠くに、日焼けに来た方が上半身裸でうろうろしているのが見えた。ハンモックでくつろいでいる方もいた。いい河原だ。
まとめて、そして気がついた。
以上10品のパンパンの袋であった。感想をまとめた。
ここで気がついたことがある。
ということは鹿児島で作られて、袋詰めされる際に鹿児島のガスを入れられたのだ。
他は確認できていなくて分からないのだけど、色々な場所でパンパンにされた袋が自分の手元に集まってきたのだと思うと、ハワイの空気の缶詰のようなロマンを感じた。
でもまあ窒素や二酸化炭素のガスだからその土地の空気とかではない。やっぱりギリギリ、ロマンは感じないかもしれない。
とにかく
パンパンのパンの袋のことは分かった。さあ、秋だ。
知らないスーパーでパンパンのものを探す
河原で撮影した日は、知らない土地の知らないスーパーでパンパンのものを探そうと張り切って出かけた。