僕には子どもの頃からやめられない変な手癖がある。ジーパンを履いている時、裾の縫い目部分を人差し指でいじり倒してしまうのだ。人と話していても、仕事中でも、電話中でも、気付くと裾をいじっている。そのせいで僕のジーパンはどれも裾がボロボロである。これまでに50本以上のジーパンをダメにしたと思う。
裾をいじっている姿はみっともないし、ジーパンがもったいないのでやめたいのだが、どうしてもやめられない。こうして原稿を書いている今もちょこちょこいじっている。
そんな変な手癖は自分だけだと思っていたら、最近、知人の知人に同じ様な癖を持つ人がいる事を知った。38年間生きてきて初めてである。是非お会いして同じ手癖について語り合いたいと思った。
※2008年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
こんな手癖です
同じ手癖を持つもの同志で語り合う前に、変な手癖を写真付きで解説しよう。
ジーパンを履いていると、このような動作をずっと繰り返してしまうのだ。すごく気持ちがいいと言う訳ではない。ただ、これをやっていないと落ち着かないのである。とはいえ、これをやると凄く落ち着くという訳でもない。とにかく「変な手癖」としか言いようがない。
これを続けるとジーパンの裾がどうなっていくかというと、
ボロボロである。
まず、最初の3ヶ月で縫い目部分の角がへたってくる。へたってしまった角は触っていても物足りないので、新たな尖りを求めて左右に広がっていく。へたったら隣り、へたったら隣り、と常に新鮮な角を求め続け、半年も経つと上の写真のように縫い目周辺の布地がなくなってしまうのだ。
最終的に裾全体の布地がなくなり、ストレートだったジーパンがパンタロンのようになってしまう。僕はあまりパンタロンを好まないので、そうなったジーパンは履かなくなる。その寿命は約2年。変な手癖がなければもっと長く履く事が出来るのに、本当にもったいない。
ここ2年以内に履いているジーパンの裾を集めてみた。パンタロンになる一歩手前のジーパンたちである。
履いている年月に比例して、裾の布地がどんどんなくなっていき、2年くらい経つと…、
裾を引きずって歩いた結果ではない。これはすべて変な手癖の仕業である。そして、ここまで来るともう限界だ。このジーパンとはそろそろサヨナラしないといけない。
こんな感じで裾の布がなくなったジーパンが50本近く。なくなった布を集めたらジーパン1本分くらいになるかもしれない。
子どもの頃はガーゼを触っていたらしい
そもそもこの変な手癖はいつ頃から始まったのか。母親が言うには、赤ん坊の頃かららしい。赤ん坊の頃はジーパンの代わりにガーゼをいじっていたのだとか。母親の記憶ではそれが幼稚園いっぱいまで続き、小学校に上がって一旦治ったのだという。確かに、小学生の頃にズボンの裾がボロボロだった覚えはない。半ズボンだったからだろうか。その後、中学生になってジーパンを履くようになってから、今の手癖が始まり現在に至る訳だ。
約25年間、僕は50本近くのジーパンを変な手癖でダメにしてきたのである。
何だこの手癖。
という訳で、この変な手癖についてゆっくりと語り合うべく、同じ手癖を持つ人物とお会いした。「変な癖なので恥ずかしい」という理由から顔出しはNGであった。名前もちょっと、という事だったので仮にA子さんとする。
僕と同じように、この変な手癖に後ろめたさを感じているようだ。
でも大丈夫。今日は同じ手癖を持つもの同志である。心置きなくジーパンの裾の素晴らしさについて語り合う事が出来るのだ。
お互いに現在履いているジーパンを持ち寄り、変な手癖について語り合います。