「言葉(ロゴス)への信頼」を取り戻せ

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新年最初のコラムのテーマとして相応しくないかもしれないが、昨年の聖職者と教会関係者の殉教件数とジャーナリストの取材中の犠牲数を紹介する。前者はバチカンニュース(独語版)から、後者はウィーンに事務局を置く国際新聞編集者協会(IPI)からの情報だ。

IPI作成の年次報告書「デスウオッチ」(IPI公式サイトから)

2021年、世界各地で22人の宣教師が殺害された。バチカンのフィデス通信(Fides)が公表した。22人のうち、13人が神父、1人が平修士、2人が修道女、6人が教会に奉仕する平信者たちだ。殺害された宣教師のうち、11人がアフリカ、7人が米大陸、アジア3人、欧州1人となっている。近年、アフリカとアメリカはこの悲しい統計では常に上位に位置し、2000年から2020年の間、世界で536人の聖職者が残虐な暴力による死を遂げている。

フィデス通信の統計では、宣教師「アドジェント」は純粋なミッショナリーだけではなく、教会での礼拝に参加中に殺害された全てのクリスチャンも考慮に入れている。彼らは「日常生活を大多数の人々と共有し、キリスト教の希望の下で証言して来た人々」という。

例えば、欧州で1人の神父が昨年8月、殺害されている。オリヴィエ・メール神父はフランス西部のヴァンデにあるサンローランシュルセーヴルで精神障害のあるルワンダン人に殺害された。60歳だった。そのほか、アフリカとアメリカのコミュニティで拷問を受けた神父、身代金を要求する犯罪者に誘拐され殺害された神父たちがいる。ハイチでは、司祭は強盗や殺人の犠牲者となっている。

フィデス通信によれば、聖職者だけではなく、教会のために仕事をする平信者が犠牲となるケースが増えている。南スーダンやミャンマーでは軍とゲリラ間の衝突に巻き込まれて殺害される件数が増えている。中央アフリカ共和国では、若い宣教師が地雷を踏んで死んでいる。メキシコでは、先住民のカテキスト(伝道師)と非暴力の人権活動家が殺されている。

一方、昨年、45人のジャーナリストが職務中に殺されている。IPIは1997年以来、仕事のために殺害されたジャーナリストの事件を追跡し、公表してきた。IPIグローバルネットワークは12月29日、恒例の年次報告書「デスウオッチ」(Death Watch)を公開した。

IPIの調査によると、合計45人のジャーナリストが2021年、仕事に関連して殺害されたか、任務で命を落とした。このうち、40人は男性、5人は女性ジャーナリストだった。28人は彼らの仕事ゆえに標的にされ、3人は紛争を取材中に殺されている。11件は調査中という。

デスウォッチには、報道やジャーナリストであるという理由で、故意に標的にされた者の名前と、紛争の報道中または任務中に命を落としたジャーナリストの名前が明記されている。IPIのリストには、ジャーナリスト、編集者、記者のほか、カメラマンなどのニュースコンテンツに直接貢献するメディアワーカーが含まれている。

ジャーナリスト殺人事件と言えば、当方は隣国スロバキアで2018年2月に起きた事件を思い出す。スロバキアで著名なジャーナリスト、ヤン・クツィアクさん(27)と婚約者がブラチスラバ郊外の自宅で射殺されて発見された事件だ。同殺人事件はブラチスラバの中央政界を直撃し、ロベルト・フィツォ首相(当時)は同年3月15日、引責辞任に追い込まれた。政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で良く知られていたヤン・クツィアクさん殺人事件に対し、国民は事件の全容解明を要求して、各地でデモ集会を行った(「スロバキア政界とマフィアの癒着」2018年3月17日参考)。

ジャーナリストという職業はリスクが伴う。IPIは世界の政治家、指導者に対し、「ジャーナリストに対する犯罪を厳格に追跡し、ジャーナリストが自由かつ安全に仕事ができるように」と要請している。2021年のノーベル平和賞には2人のジャーナリスト、フィリピンのマリア・レッサさん(Maria Ressa)と、ロシアのドミトリー・ムラトフ氏(Dmitry Muratov)が受賞した(「ジャーナリストに『ノーベル平和賞』」(2021年10月10日参考)。

聖職者とジャーナリストの職種の共通点は「言葉」を伝えるという点だ。前者は神の教え(教義)を伝道し、後者は起きた内容、事例を読者に伝える。言葉はそのための手段となる。神の教え(ロゴス)を伝える聖職者だが、聖職者の未成年者への性的虐待事件が絶えず、教会、聖職者への信頼性がここ数年大きく揺れてきている。

一方、ジャーナリストは客観的、正確な報道をその使命とするが、フェイクニュースが氾濫し、中傷誹謗が先行し、報道内容に対する信頼性が失われてきた。その意味で、聖職者とジャーナリストは同じ試練に直面している。換言すれば、言葉(ロゴス)の危機だ。2022年を迎え、聖職者もジャーナリストも失われてきた「言葉への信頼」を取り戻さなければならない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年1月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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