フジロック 記憶、記録の共有を

アゴラ 言論プラットフォーム

書こうかどうか迷ったが、書く。フジロックについてだ。自分自身、気持ちの整理ができておらず。ダブルスタンダードそのものだと思うが、感動と違和感を書き綴っておこう。

終演後のフジロック’21 フジロック’21 公式HP

開催10日前には行かないことを決断し、払い戻し発表と同時にキャンセルの手続きをし。オンラインで3日間、楽しんだ。金曜は丸一日、土日も半日は観ていたのではないかと思う。結論から言うと、配信で観る分には最高に楽しい時間だった。数々のアーティストとの再会、新たな出会いがあり。

特に、高校の同期がいる結成20年のDACHAMBOは円熟味を増していたし。勝井祐二先輩のROVOも神がかっていた。個人的な思い入れでは、忌野清志郎のSessionに涙し。20年ぶりの復活になるAJICOは、相変わらず最高にかっこいいお兄さん、お姉さんだった(髪型は浅井健一をかなり意識している)。TempalayとMETAFIVEがかぶって、何度もチャンネルを行き来したが。

とはいえ、参加者の発地や現地の新潟における感染状況、医療状況を考えると果たしてよかったのかという想いはもちろんある。数々の政治家などの会食、五輪、甲子園などをみて「あれがOKなら」と、人々が感染拡大につながる行動にはしる可能性もあり。

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SNS投稿された写真を見て「密だろ」という指摘がある一方で、現地では十分な間隔がとれていたという証言もあり。会場にもよるが前方が密になる場合もあれば、むしろ後方が混む場合もあるそうで。
今どきの感覚では「密」に見えるが、長年行っている人からすると、こんなにガラガラで快適なフジロックはないという見方もできるわけで。

五輪のような国家イベントではなく、私企業のイベントではある。誰、何をどう守るのか。議論が必要だ。

そのためにも、主催者や、参加したアーティスト、ファンはありのままの事実を発信してほしい。主催者においては感染が広がったのかどうか。対策と運用は十分だったか(たとえば、立ち位置を示す表示はあったが、そのとおりに立ってはいなかったという現地の証言はあり)。アーティスト、ファンの現実、葛藤、感動などなど。

・・・しかし、斎藤幸平氏は、ご本人のご著書での主張と、フジロック参加と、直前キャンセルをどう説明するのかね。いや、彼には注目しているのだけど、整合性が気になった。誰かに誘われて、嬉しくてついカーっとなってやったのか。

わからないままステージに…フジロック、葛藤の3日間:朝日新聞デジタル
 日本を代表する音楽フェス「フジロックフェスティバル」が2年ぶりに開催された。国内で新型コロナの新規感染者が急増するさなかでの大規模イベントに、批判が渦巻く中での開催となった。医療現場の人々に対して「…

なお、朝日新聞デジタルのこの記事にコメントしたので、そちらもご覧頂きたい。「ぼくのかんがえるさいきょうのあさひしんぶんしゃせつ」ということで。

フジロック 記憶と記録の共有を

日本最大級のロックフェスの一つ、フジロックが終了した。規模の縮小、抗原検査キットの配布、体調に不安のある人に対する払い戻し対応など、対策を十分にした上での開催だった。これが投げかけるものは何だろうか。我々が誰を、何を守るべきか、フジロックは問いかけている。

「NO MUSIC,NO LIFE」という言葉を聞いたことのある読者も多いことだろう。タワーレコード社のキャッチコピーである。長年使われているこの言葉だが、その重みを日々感じる。音楽がない人生はいやだが、音楽によって命が奪われるのもごめんだ。フジロック開催をめぐる論争は、まさにNO MUSIC,NO LIFEか、NO LIFE,NO MUSICかを我々に問いかけたのではないか。

新型コロナウイルスショックにより、音楽産業は大打撃を受けている。特にフェス・ライブの影響が著しい。ぴあ総研が発表した市場動向レポートによると、2020年の音楽ポップスフェス市場規模は、前年比97.9%減の6.9億円、動員数も、9.3万人(前年比96.8%減)と大きく落ち込んだ。コロナ前、音楽産業自体、構造が変化していた。アーティストはライブやグッズ収入などで総合的に稼ぐようになった。音源のサブスク(定額配信)シフトも進んだ。この構造変化も相まって、音楽産業や関係者に対するコロナによる打撃は甚大だったことが想像される。

フジロックは常に新しいチャレンジをし、ときに物議をかもしてきた。山梨県の天神山スキー場で開かれた第1回は台風による悪天候の中での開催だった。仕切りも悪く、会場周辺の駅では送迎バスに乗るまで数時間かかった。2日目は中止となった。灼熱の中、豊洲で行われた2回目を経て、3回目から苗場にて開催されている。自然の中の本格的ロックフェスだったが、徐々に世界一クリーンなフェス、奇跡の空間と呼ばれるようになった。何度かマナーの乱れなどが指摘されてきたが、ファンや地元の支持もあり、現在にいたる。今回の開催も賛否を呼んだ。フジロックの運営側としては、フェス文化を、音楽を守るアクションだということなのだろう。

フジロック開催をめぐる論争の中で可視化されたのは、音楽産業や観光産業の脆弱性である。これらの産業は奇跡のバランスで成り立っていた。一部の成功者を除き、音楽に関わる人は決して報われない環境で働いている。不要不急のものと捉えられてきたのではないか。フジロックに夏の売上の9割を依存する越後湯沢・苗場エリアは、名物企画を抱えているようで、これ自体が地元の危うさを物語っている。

感染症をいかにおさえるか、経済をいかにまわすか。昨年から私たちが向き合っている問題だ。このフェスというものも、単にアーティストや関係者の収入というだけでなく、文化の伝承という意味もある。

アーティストや地元の観光関係者、ファンも複雑な心境を口にしている。中止には至らず、3日間が終了した。無事に終了だったのかはまだわからない。ぜひ、主催者や、参加したアーティスト、ファンはありのままの事実を発信してほしい。主催者においては感染が広がったのかどうか。対策と運用は十分だったか。アーティスト、ファンは直面した現実、葛藤、感動などを共有してほしい。

誰を、何を大切にするか。我々は日々問われている。オリパラは開催するべきなのか、甲子園はどうなのか。いや、世界や国内トップクラスのスターだけではない。子供たちの運動会、演奏会も大切だ。

今年のフジロックは開催された。終了した。ぜひ、建設的な議論をするためにも、主催者はデータ、ファクトの共有を行って頂きたい。

ロックとは何か。世間の批判、偏見に耐えるだけがロックではない。すべてをさらけ出してこそロックだ。

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編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年8月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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