古代カルタゴ人は子どもを神への供物として殺していた

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by Suzanne

紀元前800年ごろから紀元前146年まで存在した古代カルタゴは、アフリカ北部で栄えたフェニキア人の国家で、一時はローマ帝国と覇を競い合うほど優れた文化と巨万の富を誇った大国でした。洗練された国家だったカルタゴですが、人々の間には子どもを生贄(いけにえ)として神にささげる風習があったとされています。

Cemetery or sacrifice? Infant burials at the Carthage Tophet | Antiquity | Cambridge Core
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/abs/cemetery-or-sacrifice-infant-burials-at-the-carthage-tophet/DAC7C386CD20F5C280C9DB41E5184A2E

Ancient Carthaginians really did sacrifice their children | University of Oxford
https://www.ox.ac.uk/news/2014-01-23-ancient-carthaginians-really-did-sacrifice-their-children

Carthaginians sacrificed own children, archaeologists say | Archaeology | The Guardian
https://www.theguardian.com/science/2014/jan/21/carthaginians-sacrificed-own-children-study

プルタルコスやプラトンなど、古代の多くの歴史家がカルタゴにおける子どもの生贄に言及しており、チュニジアにあるカルタゴ遺跡「トフェ」には、それを裏付けるかのように小さな碑石が林立しています。

by Avi Alpert

しかし、カルタゴの風習に関する著述のほとんどはローマ人やギリシャ人など、カルタゴの敵国の歴史家によって記されたものであるため、後世の考古学者の間では「人種差別的なプロパガンダや中傷である」との見方が強くありました。これを理由に、トフェで見つかる焼けた子どもの遺骨も「幼くしてこの世を去った子どもが追悼されたのだろう」といわれてきたとのこと。

こうした説に異を唱えるのが、2014年の論文でカルタゴにおける子どもの生贄について発表したオックスフォード大学の考古学者、ジョセフィン・クイン氏です。

クイン氏は、「これらの遺跡は死産や早世した子どものための墓地であると主張しようとしている人もいます。しかし、遺跡の碑文には『神々が私の声を聞き、私を祝福してくださった』という説明が随所にみられます。これほど多くの子どもが、供物とするのにちょうどいいタイミングで都合よく亡くなったとは考えられませんし、病弱な子どもや死んだ子どもを神にささげるのも不自然です。さらに、生贄なのが間違いない動物の骨が、同じように埋葬され、時には子どもと同じつぼに入れられているという事実もあります」と述べて、遺跡で見つかる子どもの骨は自然死ではなく人為的に殺されたものだと主張しました。

クイン氏によると、カルタゴでは生贄のものとおぼしき子どもの骨が数百体見つかっていますが、紀元前は乳幼児の死亡率が非常に高かったことを踏まえると、むしろ少なすぎるとのこと。カルタゴの人口は50万人ほどだと推測されていますが、遺跡で見つかっているような形態での埋葬は年間25件ほどしかなかったと考えられています。

by Arthur F.

現代の感覚に照らすと、あまりにも野蛮な儀式が行われた理由を明らかにするのは困難ですが、最も可能性が高いのは宗教的なものだと考えられています。また、子どもの死亡率が高かったため、当時の親はどのみち1歳の誕生日を迎えられないかもしれない子どもの命にあまり執着していられなかったのだろうと、クイン氏は指摘しました。

こうした事情を踏まえると、過去の歴史家たちがカルタゴの風習について書き残した記述も違って見えます。

クイン氏は「私たちが自分たちの基準で見ると中傷になりますが、2500年前の人々にはそのような意図はありませんでした。というのも、当時のギリシャやローマの著述家は、この風習を風変わりなことや奇妙な歴史の出来事として扱う傾向があり、実はそれほど批判的ではなかったのです。古代の人々も私たちと同じように考え、同じことに恐怖を感じていたなどと想像するべきではありません」と述べました。


古代カルタゴの人々が、神への生贄として子どもをささげてきたという説は、カルタゴがフェニキア人の故郷であるフェニキア、現代のレバノンから遠く離れた場所に建国されたことからも、間接的に裏付けられています。

「古代カルタゴ人たちはおそらく、弾圧を恐れてイングランドからアメリカ大陸に渡ったピルグリム・ファーザーズのようなもので、あまりに熱心に神に尽くすせいで故郷を追われたのではないでしょうか」とクイン氏は話しました。

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