AI時代のメーデーは誰が主人公か:労働者から見放される左派系政党

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一昔前までは「労働者」といえば、汗をかきながら日々の糧を得る人、といったイメージがあったが、21世紀の今日、「労働者」といった言葉は死語とはなっていないが、そのイメージは希薄になってきた感じがする。「あなたは労働者ですか」と質問され、「はい、そうです」とすぐに答えられないような雰囲気が出てきた。人が汗をかかなくなってきたからだろうか。依然、多くの人は汗をかいている。

オーストリア社会民主党のメーデーの集会風景(ウィーン市庁舎前広場で、2023年5月1日、オーストリア通信(APA)撮影

マルクス・レーニン主義がまだ多くの人々に魅力があった時代、「労働者」という表現は「同志」という言葉と同じように、人々の口から飛び出した。そして「5月1日」はその労働者の祝典の日(メーデー)だった。世界各地で1日、さまざまな労働者の日を祝うイベントが開かれた。

「労働者」という言葉が次第に希薄化していた理由は、資本家階級がそのパワーを失い、労働者階級に歩み寄ってきたからだろうか。中産階級が広がったからだろうか。実際は、資本主義社会では資本家は益々肥大化し、貧富の差は世界的に広がっている。

ひょっとしたら、グロバリゼーションの時代に入り、世界は多様化することを通じ、人間の階級意識に変化が生じてきたからではないか。誰もが大金持ちになれるチャンスがある。IT企業の創立者をみればいい。マルクス・レーニン主義が人々に魅力を与えていた時代、その社会の階級は今のように流動的ではなく、固定していた。だから、多くの人々は労働者としての宿命を甘受するか、革命を起こして自身の運命を変えるかの選択を強いられ、一部の左派活動家や労働者は後者を選んでいった。

労働者を支持基盤としてきたオーストリアの社会民主党の現状を紹介しよう、戦後のオーストリアの政界を主導してきた社民党は毎年、5月1日のメーデーの日にはウィーン市庁舎前広場で労働者の集会を開催する。その日には鉄鋼業界、商業業界などの各産業界の労組が旗を持って市内を行進し、最後はウィーン市庁舎前広場に結集。そこで社民党の代表が演説をし、労働者の連帯、結束をアピールするのが通例となってきた。

ところが、ヴェルナー・ファイマン首相(当時、社民党党首)が2016年5月1日、ウィーン市庁舎前広場でメーデーの演説をした時、集まった労働者からブーイングが飛び出し、労働者たちから辞任を要求され、批判にさらされた。まるで、公開の場での人民裁判のような状況だった。同首相はその8日後、首相を辞任した。多分、労働者を看板としてきた社民党の崩壊がその日から始まったのかもしれない。

社民党(前身『社会党』)はオーストリアの戦後政界をリードしてきた政党だ。ブルーノ・クライスキー(首相在任1970年から1983年)やフランツ・フラニツキー氏(首相在任1986年~1997年)が長期政権を誇った時代があったが、ファイマン首相時代に入ると、党の支持基盤の労働者の党離れが見られ出した。

ファイマン首相の突然の辞任後、クリスティアン・ケルン氏がファイマン政権の後継政権を引き受けたが、1年余りで国民党に政権を奪われて、社民党は下野して今日に至っている。社民党は7年前のメーデーの日のショックから立ち上がっていないのだ。

なお、現社民党は、パメラ・レンディ=ヴァーグナー現党首、ブルゲンランド州のハンス・ペーター・ドスコツィル州知事、それにニューダーエステライヒ州のトライスキルへェン市のアンドレアス・バブラー市長の3人が党首争いを展開中だ。党内結束からはほど遠い状況下にある(3月「社民党『党首選』に73人の党員が出馬」2023年29日参考)。

オーストリア社民党だけではない。労働者を支持基盤としてきた左派系政党は現在、「労働者」に代わる政党の核を見出していく必要を感じ出しているが、時代は既に本格的な人工知能(AI)時代に突入してきた。AIは単にブルーカラーから職場を奪うだけではなく、ホワイトカラーの職場も掌握する勢いを見せているのだ。

AI時代は人間から「労働」を奪うだけではなく、人間の生きがい、創造、芸術といった世界の領域まで侵入してきた。一部のAIは「祈る」こともできるという。「祈るロボット」の登場は、近い将来、教会で牧会を担当する神父たちの仕事場を奪っていくかもしれない。平信者はもはや「告解室」で神父に罪を告白し、懺悔する代わりに、「祈るロボット」の前に列を作り、罪を告げ、懺悔することにもなるかもしれない(「AIのロボットが祈り出す時」2023年3月25日参考)。

AIの登場に対し、人間はどのように対応すればいいのか。回答を求めて、急いで旧約聖書を紐解く。「創世記」によれば、戒めを破った人類の先祖、アダムとエバを、神は「エデンの園」から追放した。その結果、アダムは汗をかきながら日々の糧を得なければならなくなった。一方、エバは出産の際、生みの苦しみを味わうようになったというのだ。

この「創世記」の話から結論を引き出すとすれば、汗をかきながら日々の糧を得なければならないのは、戒めを破った人類への制裁だったと解釈できる。エバの生みの苦しみも同様だ。AIの登場で人間が「労働」から解放されるということは、神の制裁の終わりを意味するとも解釈できるわけだ。聖書学的にいえば、終末の到来だ。文明史からいえば、人類の進化と呼べるかもしれない。

にもかかわらず、私たちは一抹の不安に襲われる。AIの登場は神の人間への新たな制裁かもしれないという思いが湧いてくるからだ。世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏は独週刊誌シュピーゲル(2017年3月18日号)のインタビューの中で、「一部の人間は神のようにスーパー記憶力を有し、知性、抵抗力を有するようになる(ホモ・デウス)一方、大部分の人類はその段階まで進化できずに留まるだろう。19世紀、工業化によって労働者階級が出てきたが、21世紀に入ると、デジタル化が進み、新しい階級が生まれてくる。それは“無用者階級”だ」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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