あのエレファントをみろ!:人は本当に「象」より進化しているか?

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岸田文雄首相の社会福祉政策について、「高齢者優遇政策であり、若い世代への政策、配慮が欠如している」といった批判があるという。それだけではない。米イェール大学の経済学者成田悠輔氏は米紙ニューヨーク・タイムズに、「日本の高齢化社会の負担を軽減するための唯一の解決策は高齢者の集団切腹だ」といった趣旨の内容を発言し、大反響を呼んだばかりだ。

アフリカ・エレファントのファミリー(Wikipediaから、Ikiwaner氏撮影)

急速に進む少子化の中で、生産性のない高齢者は国家の財政を食うだけだ、という認識があるからだろうか。しかし、目をちょっと移すと、高齢者を最大限に重視するエレファント(ゾウ)の世界が浮かび上がってくるのだ。ここでそのエレファントの世界を少し覗いてみた。

エレファントの世界では常に最高齢のエレファントが群れを引率する。もちろん、エレファントが儒教の教えに共感したからではない。弱肉強食の動物の世界では高齢の動物は通常、人間の世界と同様、世代交代を強いられる。老兵は去るのみだ。しかし、エレファントの世界には全く別のルールがあるのだ。

動物学者によると、エレファントは人間の高齢者を襲う認知症にかからず、目撃し、体験したことは絶対に忘れないという。すなわち、忘却しないのだ。だから長く生きたエレファントであればあるほど、体験を蓄積し、群れを安全な場所に引率できるノウハウを知っているということから、エレファントの世界では最高齢者が通常、指導者、引率者となるというわけだ。

ある時、エレファントが村を襲撃して暴れたというニュースが入ってきた時、驚いた。動物学者によると、昔、エレファント狩りをした人間がその村に住んでいた。エレファントはその村を通過した時、その時のことを思い出して急に暴れ出したというのだ。群れが体験したあらゆる歴史をエレファントは決して忘れていないのだ。この話はTED-Edの「なぜエレファントは忘れないか」というビデオに紹介されている。

エレファントの記憶メカニズムはどのようになっているのか。人間の場合、海馬が記憶を司るが、エレファントの海馬は人間の数倍の大きさだ。それも常にフル回転しているのだ。例えば、人間の中にも一度見た顔を絶対に忘れないスーパーレコグナイザー(Super Recognizer)と呼ばれる人がいる。スーパーレコナイザーは人で混み合う駅構内や地下鉄の中でも1度、Wanted(ウォンテッド)指名手配で見た犯人の顔の人物がいたならば、直ぐに見つけ出すことができる特殊能力の持ち主だ。世界で1%から2%前後の人がひょっとしたら保有している能力という。米TV犯罪番組「クリミナル・マインド」には映像記憶力が抜群で、1度読んだ本の内容は決して忘れないスペンサー・リード博士が登場する。同博士も記憶力という世界では特殊能力者だ。エレファントの場合、記憶というより絶対に忘れない能力というべきかもしれない。

日本は少子化、高齢化は進んでいる。同時に、心身とも健康な高齢者が願われるが、残念ながら、認知症などの病が着実に広がっている。そのような状況で日本の社会では高齢者バッシングが進んでいるわけだ。生きることの意味、その価値をエレファントの世界は私たちに教えてくれているように感じる。

当方はこのコラム欄で「人は本当に『象』より進化しているか」(2015年10月22日参考)を書いた、その中で一つのエピソードを紹介した。タイで若者が煩い音を出しながらバイクを飛ばしていた。近くにいたエレファントたちはその煩い音に堪らなくなって怒り出した。エレファントの群れが襲ってくると思ったバイクの若者は路上に倒れた。動画を観ていると、怒ったエレファントたちがその若者に襲いかかろうとしている。ところがだ。その青年が命乞い(?)のため祈り出したのだ。すると、その若者の祈りを聞いたエレファントたちが暫く考えた後、若者を置いて退去した。若者の祈りは聞き入れられたのだ。

エレファントは仲間が亡くなると、死体の場を離れず、涙を流して別れを惜しむ。動物学者は「一種の葬式」と評している。エレファントは群れで生き、仲間を大切にする情の深い動物だが、命乞いをする若者の祈りを聞き入れ、相手を許すほど高次元の生き物とは考えてもいなかった。また、エレファントは人間と同様、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされるというのだ。

イタリアのパルマ大学の頭脳研究者Giacomo Rizzolatti氏の研究チームは1996年、偶然にミラーニューロンの存在を発見した。下前頭皮質と下頭頂皮質にその存在が判明している。フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース教授(アムステルダム神経学社会実験研究所所長)によると、「人間の頭脳の世界はわれわれが考えているように私的な世界ではなく、他者の言動の世界を映し出す世界だ」という。すなわち、われわれの頭脳は自身の喜怒哀楽だけではなく、他者の喜怒哀楽に反応し、共感するというのだ。悲しい映画を見ていて主人公の悲しみ、痛みに共感し、泣き出す。その共感、同情は、人間生来、備え持っているミラーニューロンの神経機能の働きによる」というのだ。ひょっとしたら、エレファントは人間よりミラーニューロンが発達しているのかもしれない。ちなみに、エレファントは鏡像認知できる数少ない動物だ。

人間は各分野で歳を重ね、経験と体験を蓄積していくならば、高齢者はその社会、国家、コミュニティにとって欠かせない存在になれるはずだが、現実は歳と共に、心身の健康を害して、その能力を発揮できず、最悪の場合、失っていく。

大切なことは、高齢者への経済的支援だけではなく、健康な高齢者になるための支援こそが急務だ。そして高齢者対策は若い時代から始めなければならない。健康な身体と心は一朝一夕では生まれてこないからだ。例えば、エレファントは肉食をしない。樹木、緑色の葉などを食べるだけで筋肉は出来、大きく成長する。高齢化社会に生きる日本人は社会のバッシングを嘆く前に、粗食でありながら、動物界で最も大きく力持ちであり、忘却という言葉を死語にする記憶力の持ち主、あのエレファントを思い出すべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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