生まれた町がなくなるというのはどんな気持ちなんだろう。
沖縄県宜野湾市宇地泊(うちどまり)地区。ここは、再開発の対象となっており、急速に区画整理が進んでいる。古くから残る沖縄独特の入り組んだ路地を持つ集落は次々と取り壊され、整然とした碁盤の目状の道路が出来始めているのだ。
今回、まさにその最前線で暮らしている方にお話を伺うことができた。
※2007年12月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
開発の波
近年の沖縄の開発の速さはすさまじいものがある。僕が住み始めてからたったの4年だが、それでも景色がずいぶんと変わってしまった。ずっと沖縄に住んでいる方々にとってはこの変化はよりめまぐるしく写ることだろう。
ご存知の通り沖縄は小さな島の集まりだ。この島々に130万人もの人が住み、年間500万人もの観光客が訪れる。小さな島にたくさんの人が入り込むのだから土地が足りなくなり開発が進むのもいわば必然だし、僕自身沖縄の人口を増やした一人として無責任に開発に反対することも出来ないのだ。
しかし昔ながらの沖縄の家屋が取り壊されるのを見るのはやはり寂しい。細い路地を挟んで密集する家々は、戦後の混乱時に寄り添うように建てられたものなのだろうか。ここでの生活には誰にも語られることのない沖縄の歴史が確実にしみこんでいる。これらが取り壊され、整然とした道路が敷かれていくのを見て複雑な思いを抱くのは、沖縄に関る全ての人に共通するところではないか。
この地区にあった店舗も次々と移転して行った。今では空き地と作りかけの道路、そして人が出て行って取り壊しを待つばかりの建物が目立つ。
そこを走る車が一台
まっすぐに伸びた道路はまだ未舗装だが、これからこの地区の血管となってたくさんの車と人の流れを作っていくことだろう。電線の張られていない電柱が無感情に空に向かって伸びていた。
そんな未完成の道路を砂煙を上げながら走ってくる一台の車があった。
「やあやあ、あんどうさんじゃないですか」
誰かと思えば写真家の中川さんだ。そう、実は彼こそが、まさにこの地区に住む立ち退き対象者の一人なのだ。中川さんに関する記事はこちらを参照のこと(ある写真家の苦悩)。