運が良い岸田首相:ようやく日本が変わるという機運を掴めるか

アゴラ 言論プラットフォーム

ガーシー議員が3月にも帰国するそうです。国会開催中で不逮捕特権があることを理由に警察の事情聴取も受け、国会にも出席しながらも、国会の会期末を待たずにドバイに戻ることを目論んでいると思います。一方、この振る舞いを絶対に許さないとする方々もいるはずでどのような展開を見せるか注目されます。かつて東京都議が議会に出ずに大騒動になりましたが国会がガーシー氏にコケにされたとされるなら威信回復に全力を注ぐでしょう。というか、そうあるべきです。

では今週のつぶやきをお送りします。

為替は魔物?

専門家の為替の予想がまともに当たるケースはほとんどありません。彼らは予想を外しても恥ずかしいと思うことはなく、理論上は正しかったが、違うファクターが加わったのだと勝手な自己解釈をして終わりです。実はタブレットではなくて紙の雑誌で読んでいたらゴミ箱に放り込もうかと思うほど驚愕したのが年末の日経ビジネスの「大胆予想2023」にある「為替は150円が日常になる」という予測。お茶目な短い記事なら許しますが、延々とくだらない内容を書き綴ってこれほど不快になったのは久しぶりでありました。

この記事の何がダメだったのかと言えば為替を日本の都合で見ているのです。そして日本がダメになれば円安になるという訳です。彼らは不勉強でセンスがなさすぎです。では聞きます、2011年の東日本大震災が起きた時、円高になったのは何故ですか?民主党が政権を取っていた時、あれだけ叩かれ、日本をドツボに陥れたのに1ドル70円台の円高になったのは何故ですか?為替は魔物でありますが、ペアカレンシーという木を見るから惑わされるのです。森を見ればそこまで外すことはないのです。

為替はシーソーだと言われます。シーソーはどちらかが上がればどちらかが下がるという意味だけではないのです。シーソーはそれ以上はファンダメンタルな条件が変わらない限り、一定以上には行かないというレンジも意味しているのです。だから私が昨年の円安の際に1985年のプラザ合意で修正されたレンジを超えることはない、と申し上げたのはそのファンダメンタルなゲームチェンジ以降、何ら変わっていないのです。これが分かれば魔物でも何でもなく、見方は変わると思いますが。

運が良い岸田首相

一般紙ではあまり話題にならない岸田首相の外遊。カナダの報道にも岸田氏の来訪記事が上がっていません。大体なぜ「一週間、地球一周の旅」をしているのだろうと思っている方もいるでしょう。これは5月の広島サミットに向けた議長国恒例の地ならし、あいさつ回りであります。極右のイタリア首相とか国民にそっぽを向かれている英国の首相にわざわざ会いに行く理由は「岸田をよろしく!」であります。報道で見かける外遊中の首相の顔は元気いっぱい、にこやか、さわやかそのものです。

国内に戻れば怖い人たち、特に最近は野党より党内のうるさ方に翻弄されているようですが、首相としてはサミットまではまずは安泰であります。ではその次の神風ですが、私は日韓関係改善のような気がしてなりません。現在、韓国内で喧々諤々となっている元徴用工問題で韓国政府が解決案を提示しました。内容は予想通りで日本にとっては好都合。但し、それで韓国内がまとまるかは尹大統領のチカラ次第です。ただ、尹大統領がこれを力づくででも纏めたなら日本としても胸襟を開くべきでしょう。一部には「どうせ政権が変われば元の木阿弥」という声もありますが、岸田首相は日韓関係の歴史的解決の功労者と言われるチャンスはあるのです。

岸田首相が注力すべき国内問題は経済の浮上です。国内外問わず、経済問題でしくじると政権は上手くいかないケースが多いのです。そのなかで2023年は日米欧で日本の経済成長率が一番高くなると予想されています。個人的には2023年は日本経済が33年間の冬眠からようやく醒めそうなきっかけが生まれそうな気がします。ようやく日本が変わるという機運です。これは外から31年間日本を見た中で一番強く感じる点です。そのチャンスはやっぱり岸田首相が掴むのです。岸田首相は本当に運が良いと思います。

https://agora-web.jp/archives/230113025141.html

日本人はなぜ、英語が出来ないのか?

日経の金曜日夕刊に「英語教育『跳躍の年』遠く 中学入試 採用伸び悩み」とあります。英語教育を一生懸命やろうと教育界は頑張っているのにその成果は見えず、アジアにおける英語能力ランキングでは屈辱的な14位です。つまり英語教育についてはその指導法やプログラムはほぼ全て失敗だったと断言してよいのです。私だって学校時代の英語の成績はトップクラスでしたが、海外に出て辱めを受けたのです。全然できない、きこえない、しゃべれない、だったのです。

ではどうやったら伸びたか、と言えば現地の人の英語表現を真似る練習をしたのです。かつてカナダ英語の語尾を最後キュッと上げる癖がついた時期があってそれを聞いたアメリカ人に爆笑されて直したこともあります。ネットニュースもアメリカ風英語、カナダ風英語、両方普通に読みますが、そこで表現の仕方を体得し、メールに書く英語もひたすら現地化させて「英語の下手な日本人」ではなく「カナダの会社の社長さん」というステータスを追い求めたのです。

日本の英語教育は文法ですが、それは単に記憶にとどめる教育です。数学のサイン コサイン タンジェントと同じで将来全く使うことがないから忘却の彼方になるのです。一方、当地では自己主張や表現をしないと極端な話、生きていけないのです。そのツールが英語なのだ、ということです。とすれば英語は学ぶのではなく、使うものなのです。だから英語の料理教室とか英語の業務や大学のクラスなどで英語を自分に押し込まない限り絶対にうまくなることはありません。保証します。

後記
日本の取引先銀行の支店長から転勤出向の連絡が来ました。ほぼ3年に一度の「今生の別れ」です。銀行員とはコンプライアンス上、業務以外の付き合いはまずなく、大変世話になっても転勤となれば二度とお会いすることはありません。3年間培ってきた人間関係はまたゼロから作り直しです。役所もそうですが、これ、転勤する人、させる人はいいのですが、それを送り続ける身になると時間をかけた関係づくりが完全否定されているようで残念に思うこともしばしばですね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年1月14日の記事より転載させていただきました。

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