僕の祖父の家には神棚がある。子供の頃には何気なく拝んでいたが、大人になってそれが特殊なものであることに気づいた。大きくて造りが立派なのだ。
祖父に話を聞いてみると、江戸時代のご先祖様がおみこしを半分に切って神棚に作り変えたものが現在まで残っているらしい。
そもそも神棚とは
神棚とはその名の通り神様のお札を祀るための棚である。目線より高い清浄な場所に設けられ、通常は棚の上に据えた宮形の中にお札を納めて日々の礼拝を行う。
厳密には棚そのものを神棚というが、一般的には神社を模した宮形を指して神棚と呼ぶことも多い。
お神輿を半分に切った神棚
これが祖父宅にある神棚である。立って拝むと見下ろせるような位置にあって、先に説明した一般例からは外れている。障子戸も通常はない。
全形を見てみると一般的なものと比べてかなり大きい。装飾品として鳥居が置かれているのも変わっている点である。朱塗りされていない部分は経年劣化で真っ黒になっているが元は白木だったのではないだろうか。
神棚は仏壇とは異なり質素な造りが良しとされるのだけれど、この神棚は一般的なものとは異なり装飾が多い。屋根周りは特に豪華である。
それもそのはず、冒頭にも書いた通りお神輿だったものを改造して造られた神棚だから特殊な形をしているのだ。
江戸時代の生まれのご先祖様がお神輿をリメイクした
祖父の話によると僕から数えて6代前のご先祖様、山ノ興呂木九郎左衛門兵馬重家(1821-1905)は槵觸(くしふる)神社という神社の宮司をしていた。ちなみに名前は「やまのこおろぎくろうざえもんひょうましげいえ」と読む。兵馬さんと呼ばれていたらしい。
その兵馬様が使われなくなった神社のお神輿を半分に切って一方は家に持ち帰り、もう一方は親族の家に分けたという話が伝わっている。
100年以上前の話なので何があったのか正確なことは分からないが、お神輿を神棚にするという発想はすごいと思う。
祖父の話によれば、焚き木に困る時代でも神輿は恐れ多くて薪にできなかったらしい。かといって保存しておくには大きすぎるし扱いに困っただろう。そこで神棚に作り変えるというアイデアを思いついたのではないだろうか。
ご先祖・兵馬様のあれこれ
神棚の脇には御札をつくるための版木が置いてあった。
木の板に「二上神社御璽大祓大麻」と逆さ文字で掘られており、かつてはこれでお札を刷っていたようだ。
Wikipediaによるとご先祖様が宮司を務めていた頃の槵觸神社は「二上神社」を正式な社名としていたので、当時のものと考えて間違いないだろう。物の重要性から言って神輿の話もこれで少しだけ真実味が増す。
文化庁の職員が別件で祖父宅を訪れたときには神棚を見て幕末頃のものと推定したらしいので、その情報を踏まえてもここまでの話に矛盾はない。
兵馬様は不思議な力で遠くにいる人を転ばせたり、祈祷で人の病を治したりと不思議なことができて周りの尊敬を集めていたという。カリスマ性を持っていたからこそお神輿を半分にするという無茶が通せたのかもしれない。
キテレツ大百科みたいだった
お神輿を改造して神棚に改造するという発想はなかったし、現代の神主にもそれができるという人間はいないと思う。文書を漁ればお神輿を持ち帰ったときの記録があるかもしれないのでまた探してみたい。
そして江戸時代のご先祖様が遺したものを面白がるのは『キテレツ大百科』みたいだと思った。