パリの「 リブランディング 」の背景にあるラグジュアリーブランドグループの動き:都市開発と建築再生の重要性

DIGIDAY

ラグジュアリーブランドのヴァーチャル体験への取り組みも多いなか、リアルでの顧客体験の多様化も進化しています。今回、ラグジュアリーブランドの「ブランド価値」提供の新しい試みについて、ファッションジャーナリストで、元VOGU […]

ラグジュアリーブランドのヴァーチャル体験への取り組みも多いなか、リアルでの顧客体験の多様化も進化しています。今回、ラグジュアリーブランドの「ブランド価値」提供の新しい試みについて、ファッションジャーナリストで、元VOGUE JAPAN編集長(2008年〜2021年)渡辺三津子氏が短期連載にて紐解いていきます。

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私が3年ぶりのパリ滞在で感じた“ラグジュアリー“の最新動向をテーマにした短期連載3回目は、前2回と少々異なり、パリという街自体の「リブランディング」について感じたことを語りたいと思う。
 

パリの中心地で議論を呼んだ都市計画

 
まずは、少し過去の風景を思い浮かべてみることにしよう。私が初めてパリを訪れるようになった80年代後半。その数年前、パリの中心地、レ・アール地区にモダン建築の巨大ショッピングセンターが大規模開発によって出現していた。アニエスb.やコスト系のおしゃれなカフェがオープンし、「とりあえず見ておかねば」とブティックを覗いたり、いかにも80年代風のモノクロームのカフェでコーヒーを飲んだりしてみたものだった。しかし、それ以降約30年、ほぼ足を向けることはなかった。観光地としても、パリ市民に愛される場所、ということもなく、街の中心の”ブラックホール“のように取り立てて顧みられないまま誕生からたった20年ほどで再開発計画が進められ、数年前に新しい姿に生まれ変わった。
 
そもそもレ・アール地区は「パリの胃袋」と呼ばれ、12世紀に誕生以来、数世紀にわたって賑わった中央市場があった場所であった。19世紀の半ばにバルタールとエクトル・オローによる鉄骨製の10のパヴィリオンが建設され、パリの商業の中心地として繁栄することになる。このバルタールの建造物は、産業革命によって発達した鉄素材を大規模に用いた、19世紀の傑作建築にも数えられていた。しかしながら、20世紀の現代都市機能に対応するため名建築は取り壊されたが、新しく誕生した「フォーラム・ド・レアール」は、パリ中心地としての名誉を得ることなく、「バタールの亡霊」とも呼ばれたという。
 

ケリングの創始者による美術館としての再生

「ブルス・ドゥ・コメルス」のエントランス(左)と、吹き抜けになった建物内部。グランドフロアからは、円筒形のコンクリート越しに天井画が自然光の中に浮かび上がる。写真提供 渡辺三津子氏

私が今回、訪れたのは、その“再・再開発”されたレ・アールに隣接し、18世紀に穀物取引場として建設された「ブルス・ドゥ・コメルス」だ。パリの台所として賑わう旧中央市場のエリアを共に構成し、19世紀には商品取引所となった場所である。21世紀に入ってその役目を終えたが、円形の巨大な構造に、1889年のパリ万博のときに加えられたガラスのドームが美しい歴史的建造物で、2021年5月に美術館として再生オープンを果たした。ケリングの創始者である、フランソワ・ピノー氏が保有する1万点にも及ぶ現代美術作品から順次、選定された作品が展示される。パリで美術館をオープンするのが夢だったというピノー氏に、市からのオファーが2015年に届いたという。
 
改装を担ったのは、数年前に先立ってヴェネチアにオープンしたピノー財団の美術館も手がけた建築家の安藤忠雄氏。ギリシャ神殿を彷彿させる円形の建物のなかに進むと、19世紀の天井画が荘厳な自然光の中に浮かび上がり、目を見張る吹き抜けの空間の構造をなぞるように円筒型の鉄筋コンクリートが中央に配されている。足を踏み入れた瞬間に、時空がラビリンスのように交錯する感覚に襲われる。吹き抜けの外側を囲む部屋にアート作品がテーマごとに展示され、円環をめぐりながら、アートと共に現実から抽象的空間に浮かび上がるような幻惑を覚える。「建築は過去と現在と未来をつなぐ“ハイフン“の役を務める」という安藤氏のコメント(パンフレットより)がまさに体感できる建造物である。最上階にはカフェとレストランがあり、新しいレ・アールの景色を眺めることもできる。「バタールの亡霊」はこの歴史と未来が交錯する美しい美術館をどんな眼差しで眺めるだろうか、と想像するのも楽しいひとときだ。
 
フランソワ・ピノー氏は「この、パリの中心にある(in the heart of Paris)新しい美術館で、私は私の現代美術に対する情熱を分かち合うつもりである」と語っている。アートに対してだけでなく、この「パリの中心」という言葉にも大きな意味が込められていると言えよう。歴史と文化、美の都でもある「パリ」という存在、その全てが象徴するものをこの美術館によって再解釈し、命を繋ぐ試みだと理解できる。
 

老舗デパートの復活で地域再生を目指すLVMHグループ

 鉄骨とガラスの天井から降り注ぐ光がドラマティック。アール・ヌーヴォーの植物モチーフと壁画が鮮やかに蘇る。Images from Shutterstock

そして、ブルス・ドゥ・コメルスから歩いて数分の場所にもうひとつ、「The heart of Paris」を代表する歴史的建造物がほぼ同時期に蘇った。セーヌ川のほとり、ポン・ヌフの袂に建つ百貨店「サマリテーヌ」だ。1870年に創業したパリを代表する老舗デパートのひとつだったが、私が初めて目にした80年代にはすっかり時代から取り残された寂れた風体で、最新モードとはかけ離れた存在だった。
 
2000年代初頭にLVMHグループの傘下となり、2005年に再開発のため閉店。昨年、16年の歳月をかけての苦節のオープンとなった。長い年月はかかったもののリニューアルでお披露目された姿は見事な再生であった。

サマリテーヌの建築と装飾は、20世紀初頭の芸術様式の美しさで名高く、特に1910年に完成したアール・ヌーヴォー様式の「ポン・ヌフ」館は、鉄骨とガラスを最大限に活かしたスタイルで、自然光が降り注ぐガラス張りの天井とガラスの床、植物をモチーフにした鉄の手すりや照明など、当時の意匠の粋を極めたものだった。

今回は、オリジナルの形を忠実に修復・再現し、フランスが誇る建築と装飾美術を未来へ継承している。「ポン・ヌフ」館のセーヌ川沿いの部分は、1920年代に建造されたアール・デコ様式で、ホテル「シュヴァル・ブラン」として2021年9月にオープンした。

そして、その反対側にあるリヴォリ通りに面した「リヴォリ」館は、妹島和世氏と西沢立衛氏の建築事務所SANAAがリニューアルに際して改築を担った。建物の全面に配された波打つガラス張りのファサードが通りの向かい側の古い街並みを映す設計で、過去と現代を結ぶコンセプトが鮮やかに実現されている。
 
奇しくも、パリの歴史的建造物の再生を日本の建築家たちが手がけたことを、偶然ながらも誇らしく感じた。日本の建築家たちの、環境や歴史、文化を尊重しながら調和のなかに新しい発見を見出す感性が、いまのパリの再生に求められている、と言うことができるのかもしれない。
 
現代のラグジュアリーブランド・ビジネスを率いる2大グループの創始者が率いるプロジェクトが、パリの“リブランディング”にも深く関わっていることは興味深い(ケリングの現CEOは息子のフランソワ・アンリ・ピノー氏であるが)。ラグジュアリーを追求して行くことは、その根底をなす歴史と都市文化そのものの奥深さに通じる。駆け足の「見学」ではあったが、新しいパリは私にその思いを強く確信させてくれた。
 
羽田空港からの帰路の車窓越しに渋谷のビル群を眺めたとき、複雑な寂しさを感じたことも付け加えておきたい。

Written by Mitsuko Watanabe
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