「死者の日」に「生きること」を考える:持続的なストレス下の現代人

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欧州では30日、夏時間から冬時間に入った。30日午前3時の時計の針を午前2時に1時間戻す。スマートフォンや他の多くの電気製品は自動的に時間を冬時間に合わせるので、針を戻すといった手仕事はない。例えば、当方の部屋の時計は古いから毎年、冬時間、夏時間が来る度に時間を調整する。

▲万聖節には先祖の墓を参る人々(2021年11月1日、ウィーンで)

冬時間が始まると、カレンダーは11月に入る。ローマ・カトリック教国のオーストリアでは1日はカトリック教の「万聖節」(Allerheiligen)で聖人を追悼する日で休日だ。2日は「死者の日」(Allerseelen)だ。2日は休日ではないので、1日の万聖節に先祖や家人の墓参りに行く人が多く、墓地は花を手にする人々で溢れるのが慣例だ。

このコラム欄を開始して16年余りの年月が経過したが、当方は11月が始まると「死者の日」についてその時々の感慨をコラムに書いてきた。その伝統に従って、2022年の「死者の日」について書き出した。

混沌とした時代

今年は多くの新たな死者が生まれてきた。2019年末から発生した中国武漢発の新型コロナウイルスの感染は未だ終息していない。これまで650万人以上の人々が感染で犠牲となった。重症急性呼吸器症候群(SARS)のCov-1は9カ月間で死者800人、エボラの感染死者数は1万1000人だったが、今回のパンデミックでの死者数はそれらをはるかに上回っている。

オックスフォード大学元熱帯医学教授、現在はイギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体「ウェルカム・トラスト」のジェレミー・ファ―ラー所長(Jeremy Farrar)は独週刊誌シュピーゲル(10月22日号)とのインタビューの中で、「通常のインフルエンザウイルスと鳥インフルエンザウイルス(H5N1)が結合した新たなウイルス変異株が生まれてきた場合、大変だ」と指摘していた。感染力と致死力のあるインフルエンザウイルスが出現した場合、人類はその対策に苦闘することが予想されるわけだ。

コロナの感染症だけではない。ロシアのプーチン大統領は2月24日、ロシア軍をウクライナに侵攻させた。ウクライナとロシア両国の戦闘は既に8カ月が経過したが、まだ停戦の見通しはない。ウクライナ軍参謀本部が29日発表したところによると、ロシア軍の兵士の死者数は7万人以上という。戦争は侵略された国だけではなく、侵略した国からも多くの命を奪っていったのだ。

ウクライナ戦争の影響もあって、欧米各国では食料不足、物価の高騰、エネルギー危機に直面している。ドイツのメディアが今頻繁に使用する表現は「Dauerstress」という言葉だ。一時的なストレスではなく、長期的、持続的なストレスの状況下で現代人は生きているということだ。

科学、情報技術、そして医学も大きく発展している今日、これまでにないほどの多くの死者が出てきた。コロナウイルスが自然発生か武漢ウイルス研究所(WIV)から流出したかはまだ確定されていないが、ファーラー博士が指摘しているように、「2020年1月の段階で世界がウイルスの恐ろしさを正しく認識していたら、パンデミックは防げられたかもしれない」という。われわれはチャンスを逃したのだ。

ロシア軍のウクライナ戦争は「プーチン大統領の戦争」かもしれないが、我々にも責任の一端はある。それに関連して生じてきた物価高騰、エネルギー危機も同じだ。世界の食料が急に不足した訳ではないし、エネルギーの埋蔵量が急減したわけではない。明らかに人間がもたらした危機といえるだろう。

「Dauerstress」の状況下で必要なこと

オーストリアの10月は例年より暖かい月だったという。エネルギー危機の時だけに電力の消費は節約できたが、11月からいよいよ本格的な冬を迎える。慣例のクリスマス市場は今年は電力節約のためにオープニングを1週間ほど遅らせる一方、商店街では夜間時間の点灯を止める店が出てきた。文字通り、Dauerstressの状況だ。

終わりが見えないだけに、そのような持続的ストレス下に長期間さらされると、人間の精神生活にも支障が出てくる。ストレスが高まれば、暴発という事態も出てくる。それだけに心身共に健全でなければこの厳しい期間を乗り越えることはできないのではないか。

「死者の日」に、死者に対して「あなた方はいいですね。既にあの世ですから。この世は目下、生きていくことが大変難しいです」と先祖の墓の前で不満を吐露する人が出てきても可笑しくはない。

シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルは亡くなった息子ともう一度会いたいと思い、当時、流行っていた心霊科学の世界に入っていった話は有名だ。「死」は決して永遠の別離を意味せず、肉体的な衣を捨てた後、生きていた時には埋没していた本源の意識を取り戻していくプロセスではないか。

人は死んで初めて一人前の人間となるとすれば、地上に生きている間は誰に対しても偉そうなことはいってはならないわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年10月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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