これが無人販売所。
沖縄では野菜の無人販売所をよく見かける。以前住んでいた他県でも見たことがあるので全国的なものなのかもしれないが、はたしてあれは商売として成り立っているのだろうか。いろいろ見てきました。
※2007年1月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
一歩進んだコンビニだ
無人販売所には野菜などが並べられていて、買いたい場合はそばに置かれた小銭入れに代金を支払う。そこに店員さんとかはいない。自分の敷地内であれば出店に特に許可も必要ないようだ。このお宅は道沿いの駐車場の一角に無人販売所を設置していた。
今日のラインナップはキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー。どれでも一袋100円。ものによってはスーパーの半額くらいで買うことができる。しかも無農薬、そして新鮮。なによりうまそう。
信じることから始まります
誰も見ていないので正直お金を入れたかどうかなんてわからない。しかしそこを疑いだすと無人販売は成り立たないので、お客は野菜の品質を、販売側はお客の良心を、互いに信頼することが前提となる。無人販売所は性善説に基づいて運営されているのだ。
代金は自分で計算してこの箱に入れる。箱には鍵もなければ、箱自体が固定されているわけでもないので、持っていこうと思えば簡単にもっていけてしまう。
だけど持っていく人はこれまでにいなかったのだろう。長年ここで使われてきた風の小銭箱が「人の世も捨てたもんじゃないね」と語っているかのようだった。
よく見るとあちこちにある
こちらの無人販売所は道路の分離帯に生えたやしの木に縛りつけてあった。場所的にイリーガル感が否めないが、よく見るとボックスの下に車輪がついているのがわかる。つまりボックスごと引っ張って移動できるのだ。叱られたら移動したらいい、という心づもりだろう。この日は野菜が一つも入っていなかった。
これも歩道っぽいところに設置されている販売所。中をのぞいていると通りかかったおばちゃんに「今日は正月だから野菜ないよ」と言われた。
確かになにも入っていなかった。おばちゃんもよく利用しているらしいが管理人ではない。無人販売所は地域全体で利用して管理しているような感じだ。
一方こちらは建物と建物の間のデッドスペースを利用して野菜を販売しているケース。他と違い小屋があるわけではなく、野菜ケースが直に置かれている。簡易屋根付き。小銭入れは電柱に設置されていた。
そしてこちらが今回一番野菜の充実していた販売所。ブロックで重厚に作られており、なんと駐車スペースまである。ここまでくるともう商店だ。無人だということを除けば。
商品はにんじんとかほうれん草とか、とにかく新鮮でどれもうまそうだった。ここも一束一律100円。
店主に伺いました
この日は野菜を補充しに来ていた販売所のご主人に遭遇した。写真は撮らないで、とのことだったが、お話を伺うことができた。
無人販売所って商売としてどうなんですか
「いやあ、もうからんさ」
儲からないですか
「もうからんもうからん、ほんともうからん」
それなら市場や八百屋へ持っていったらいいのでは
「市場は数が揃わんと引き取ってもらえんのよ。だからここで出してるけどな、今は化学肥料も使ってるしな、お金払わん人もいるし、割に合わんよ」
え、お金払わない人とかいるんですか
「いる。半分くらい、いるんじゃないか」
そんなに
「***の***とか、***の人とか、高い車乗ってちゃんとお金持ってる人にかぎって払わずに持って行っちゃう」
ある程度予想はしていたが、半分も持っていかれてしまうとは、正直ショックだ。しかし犯人はほぼ把握しているようだった。そりゃそうだ、この販売所のすぐ裏がおばちゃんの畑になっているので、そこで作業をしていれば見たくないものも見えてしまうのだ。
僕は道で野菜の無人販売所を見つけるたびに立ち寄ってあれやこれや買っている。
無人販売所にはその名のとおり人がいないわけだけれど、そこに置かれた野菜や小銭箱、なによりその存在自体に、ほんのりと人の存在を感じるのだ。人そのものではなく、人の「気持ち」みたいなものなのかもしれない。これはむしろレジに人がいるコンビニとかよりもしっかりと感じることができる。
だからこそ、それを無視してお金を入れずに持っていってしまう人がいる、という話を当の店主本人から聞いたことがショックだった
番外編
そういえば野菜でなくても沖縄では道でなにか売っているのを見かけることがよくある。
たとえば車が突然路肩で売られていたりする。フロントガラスに金額と携帯の番号が書かれていて、欲しい人は電話するのだ。乗りたいときには乗って、駐車するときには売っているのかもしれない。これもまあ無人販売といえる。
簡単ではないようです
無人販売は人件費がかからないので儲かるんじゃないか、と安易に考えていたのだけれど、そんなに簡単なものでもないようだった。それでも続けているのは喜んで買っていってくれる人がいるからだ、と販売所のご主人は言っていた。
少しでも長く、この素敵な商売が続いてくれたらいいな、と今日買ってきたほうれん草を食べながら思うのでした。