振り返ってみると、広告費はこれまで経済危機を表す指標のひとつとされてきた。しかし最近の景気停滞において、今後の業界動向を占うのは簡単ではなさそうだ。
不況下では通常、広告費の相場が下落するものだが、その兆候はいまのところ顕在化していない。新型コロナウイルス対策として世界各国でロックダウンが実施された2020年4月にはたしかに単価下落傾向がみられたが、当時は市場環境がもっと単純だった。
しかし、今回の景気停滞は状況がより複雑で、市場原理とは矛盾する力が働いている。ロンドンに本社を置くコンサルティング会社、リバティ・スカイ・アドバイザーズ(Liberty Sky Advisors)の創業者、イアン・ウィテカー氏によれば、広告主は経済環境悪化の認識がないままに広告支出を続けており、それが価格設定を支えているという。ただ現状では、価格変動は市場の動向を示唆する決定的な指標にはなりそうにない。
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たしかに、インフレ加速により消費者の生活費が圧迫され、企業の広告宣伝活動は鈍化しているが、その影響はオンライン広告の価格にまではおよんでいないようだ。代理店のインキュベータ(Incubeta)によると、2022年5月と6月の広告費の相場は、2021年と比べて目立った落ち込みを見せていない。
「当社のクライアントが出稿したソーシャルメディア広告の場合、CPM(インプレッション単価)が5月末から6月末にかけて上昇していた」と証言するのは、インキュベータでメディアサクセス部門のディレクターを務めるハリー・ヒューズ氏だ。「2021年の同時期と比較しても、CPMは似たような動向を示している。これはつまり、最近のマクロ経済におけるインフレの影響は、いまのところオンライン広告の価格には広がっていないということだ」。
データの重要性
インフレの実質的な影響は、プログラマティック広告の根幹にかかわる部分に表れている。サードパーティ・アドレッサビリティ(アドレス指定能力)が低下し、代替としてのパブリッシャー保有データの重要性が増すという現象だ。その傾向を受けて価値が高まっているのがプライベートディール(在庫予約型固定単価取引)で、これは景気変動には左右されない。むしろ、不況時にはさらに価値が上がるといえる。
2022年1月、英国の大手5社のプログラマティック広告主がプライベートディールを通じて買いつけた広告の平均CPMは5.90ポンド(約885円)だったが、5月には9.01ポンド(約1352円)に上昇した。CTVも似たような状況で、広告在庫状況に応じてCPMが変動する傾向が続いている。
「2022年上期のCPMは、2021年同期比でほぼ横ばいで推移している」と、アドテクベンダーのビーチフロント(Beachfront)でデマンド部門を率いるケイティ・ロング氏はいう。「その一方で、第1四半期から第2四半期にかけて広告費の増加がみられた。主な要因は従来型テレビからストリーミングサービスへの視聴者の移行で、景気動向とは関係がない」。
それでも、景気減速による広告費への影響を示唆する兆候がないわけではない。企業は広告宣伝活動のペースを落としている。そうなると広告インプレッションをめぐる競争が軟化し、CPMを押し上げる要因となる入札件数が減少する。たしかに、事業環境しだいで、広告費が多少上振れする見込みもある。しかし、いわゆる「生活費の危機」で消費者心理の冷え込みが続けば、広告主企業は経費節減で予算をさらに縮小すると予想され、結果として2022年下期の広告費に影響が出る可能性がある。
その種の予兆を、上期中にすでに検知していたメディア代理店幹部もいる。たとえば、ティヌイティ(Tinuiti)が買いつけたFacebook広告のCPMは第2四半期、前年同期比で6%の上昇にとどまった。前年同期比33%増を記録した第1四半期に比べるとかなりの減速となり、広告需要の低下がうかがわれる。Facebook広告の単価はここ数四半期、前年比で下落傾向にあるが、この点について同社は、収益性の低い市場とサービスの構成比アップが主な要因だとしている。景気後退局面におけるこの現象は、複合的な効果をもたらすかもしれない。
ティヌイティのアドレッサブル・メディア部門シニアバイスプレジデント、コリン・クレヴェノ氏は次のように述べている。「我々の見立てでは、今後、広告主各社が予算を削減し、結果として程度の差はあれ、CPMに下振れ圧力がかかると思われる。どのチャネルを利用するにしても、景気がさらに後退するとの観測を耳にして、不安にかられるはずだ。マーケターも、メディア支出に対して消極的にならざるを得ない」。この経費削減傾向の波紋は、広範囲におよぶだろう。
オンライン広告の優位性は
オンライン広告は従来、不況に強かった。D2Cブランドなど、新たな広告主が次々と登場して自社の広告活動に投資してきた。一方、オンラインメディア所有者は、売上増につながるなら割増の広告費を喜んで支払う広告主がいることで恩恵を受けてきた。そうした優位性がいまや、揺らいでいる。
「D2C業界は、ユニットエコノミクス(顧客1人当たりの採算性)を維持できない多くの企業が景気悪化の影響を受けるなか、再編・統合へと向かいつつある」と、エンダース・アナリシス(Enders Analysis)のテック部門長、ジョセフ・ティーズデール氏はいう。「加えて、ターゲティングとアトリビューションが、技術上・法規制上の制限強化によりますます難しくなってきた」。
マクロ経済の動向しだいでは、さらにやっかいな事態に発展する可能性もある。
広告単価の高騰
コロナ禍以前から、広告費の高騰はつねにマーケターの悩みの種だった。従来型テレビ広告の例をみてみよう。マーケティング・インテリジェンス専門のワーク(WARC)の調査によれば、英国の成人向けテレビ番組中に流れる30秒スポットCMの平均CPMは2年前、6.80ポンド(約1020円)だったが、1年後には9.64ポンド(約1446円)に上がり、2022年に入ったいま、すでに11.65ポンド(約1748円)に達している。
従来型テレビは視聴者数が減少傾向にあるというのに、CM放映料上昇の勢いが止まりそうにない。利益率を維持したい放送局が、価格を徐々に引き上げているからだ。テレビCMを初めて打つオンライン広告主との取引を増やした放送事業者は、広告主からの抵抗をさほど受けることなく値上げに成功している。従来型テレビは、まだ一定の視聴者基盤を維持しており、特別の付加価値をそなえたメディアであると自認しているようだ。
しかし、マーケターを悩ませているのは、この「付加価値」によって何が得られるのか、という問題だ。誰もが知っているように、従来型テレビの視聴者層は高齢化が進んでおり、広告主が当たり前のようにリーチしてきた、幅広いオーディエンスの典型とはいえない。いいかえれば、テレビCMを利用する広告主は、効果が不十分な広告に多くの費用を支払わされているのだ。
従来型テレビ広告の価値について、いずれは計量経済学的な分析により知見が得られようになる。その結果を受けて、マーケターは広告予算配分を変えるか否か、判断しなくてはならない。何か手を打たないかぎり、広告費の高騰は続くだろう。しかし、価格の変動を牽引するのは景気ではなく、オーディエンスの行動だ。
テレビ広告費高騰の「実情」
「広告費の上昇は、需要の落ち込みより、オーディエンスの減少によるところが大きい」と指摘するのは、代理店大手ユニバーサル・マッキャン(UM)のマネージングパートナー、キース・ウェリング氏だ。「値上がり幅はオーディエンスのタイプによって大きく異なる。ただ、ブランドセーフティが担保され、幅広い層のオーディエンスを対象とする高品質のCTV広告やオンライン動画広告チャネルと比較すれば、テレビCM放映のコストはまだ相当な競争力がある」。
つまり、テレビ広告費高騰の問題には、効果計測の問題も含まれているということか? いまの相場変動はビジネスの実体を表していないと主張する人なら、答えはイエスだと言うだろう。彼らの自説はこうだ。放送事業者が提供するテレビ広告とアドレッサブル広告を買いつけたマーケターがもし、広告効果計測の方法を心得ていたとしたら、価格は低下に向かうだろう。
しかしテレビ広告取引の場合、そういう流れにはならない。放送事業者は、アドレッサブル広告を固定単価で購入するよう広告主に勧める。お得な価格ではあるが、その広告には費用対効果計測のレポートがまったくないか、あったとしても申し訳程度しかない。放送事業者は収益性のバランスをとるべく、テレビ広告の単価を引き上げる。ただし、オーディエンスの幅は広がるとはかぎらない。若年層の、より多様性に富んだオーディエンスに訴求したい広告主にとっては不十分だろう。このように矛盾した力が働いている業界構造が、いつまでも続くはずはない。
[原文:For now, ad prices are decoupled from the economy]
Seb Joseph(翻訳:SI Japan、編集:黒田千聖)