今年も各地で熊との遭遇事例が後を絶たないが、日本最大の熊害といわれる「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」をご存じだろうか。
大正時代、北海道苫前(とままえ)の開拓集落をヒグマが襲い、7人死亡、3人が重傷を負った。被害者の多さや、2日にわたって襲撃が続いたという恐怖から、いまも「史上最大」「最悪」の事件として語り継がれている。
現在、現場付近は「復元地」として整備され誰でも見学できるらしい。しかし、そこは訪問者が口々に「怖かった」と投稿する、一筋縄ではいかない場所だったのである。
・「三毛別ヒグマ事件復元地」とは
北海道苫前郡苫前町。日本海オロロンライン沿いにある自然豊かな町で、おもな見学スポットは「苫前町郷土資料館」と、前述の「三毛別羆事件復元地」だ。
決してメジャーな観光エリアとは呼べないが、インターネット上にはクチコミがあふれている。その多くが「ひとりでは無理」「不気味」「車から離れられなかった」といった内容。
といってもオカルト的なものではない。
いわく「すれ違い不可の未舗装路」「昼でも薄暗い」「まったく人と出会わない」「ハチ、アブ多数」……とくに多かったのが「いまにも熊が出そう」「すぐに車に逃げ込めるようにしていた」という声。
これは大げさではなく、町の公式サイトでも「ヒグマが出没することもあり得ます」「夜間の見学は危険ですので、ご遠慮ください」「携帯電話:圏外」といった文字が並ぶ。
行ってほしいのか、行かないでほしいのか。
筆者は迷った。車ではあるが、ひとり旅の途中である。
もし無人だったら怖すぎる。ヒグマに襲われても誰も助けてくれない。「女性が行方不明」と報じられて発見されるまで何日かかるか。
しかし人がいても困る。すれ違いもできない山道で、どちらかの車がバックしなければならない状況になった場合、運転に自信がない。
どれくらいのレベルのオフロードなのかGoogleマップの衛星写真で確認しようとしたが、緑におおわれてまったく見えない。
……これはもう、現地で確認するしかない。緊張のあまり前夜は眠れなかった。
・事件のあらまし
資料によって若干細部が異なるが、事件のあらましはこうだ。
明治20年代後半になると、苫前町でも原野の開拓が始まった。開拓者の生活は苦しく、粗末な小屋に住み、やせた土地を手作業で開墾していた。
大正4年12月9日、冬眠の機会を逃した「穴持たず」と呼ばれる巨大なヒグマが民家を襲い2名が死亡。
親族らが通夜を行っていたところ再びヒグマが襲来。通夜に集まった人々は奇跡的に無事だったが、近くの民家に移動したヒグマは女性や子どもを襲い、さらに5人が死亡した。
熊撃ち名人として名高い老マタギ・山本兵吉が駆けつけ、12月14日にこのヒグマを射殺。後に事件は吉村昭の『羆嵐』をはじめ、多くの小説・漫画・ドキュメンタリー・ドラマなどのモデルとなった。
「苫前町郷土資料館」には、ヒグマとともに歩んだ苫前町の歴史がよくわかる剥製や資料が多数ある。
そして現場は苫前町の中心部から山へ向かった「ベアーロード」という道の終点にあり、通り抜けができない。この「どこにも通じていない道」というのも、また不安をあおる。
郷土資料館からはおよそ25km。往復50kmの道のりである。「ちょっと寄ってみる」という距離ではない。決死の覚悟で、いざまいる。
・覚悟を決めて行ってみた
どれだけ人里離れたところか……と心配していたら、実際は現場の直前まで農地や作業小屋が点在している。むしろ「のどかな田舎道」といっていい。
人の生活の気配がちゃんとあり、開拓者の苦労は無駄ではなかったと、しみじみ思う。道中の山渓神社には「熊害慰霊碑」が建てられていた。
また、あちらこちらに「ベアーロード」「復元地こちら」の陽気な看板もあり、迷うこともない。悲劇の現場を案内するとは思えない明るさである。
親子熊が仲睦まじくしているイラストで、実に愛らしい。
そうこうしているうちに、舗装路の終点までやってきた。ここからは未舗装の砂利道だ。現場はこの先200mのはず。ベアーロードに入ってここまで、すれ違った車は0台、出会った人間も0人だ。もう引き返せない。
待避所はあるものの、慎重に、慎重に……
と覚悟を決めたのも束の間、すぐに視界が開ける。
現場は陽光が射し込み、野鳥のさえずりも聞こえたりして、なんだかいいところじゃないの! 周囲はちょっとした砂利の広場として整備されている。
新緑の季節もあってか「薄暗い」という印象はまったくなく、定期的に人の手が入っているのがわかる。
それでいて木々は真っ直ぐに枝を伸ばし、空気も澄んで神々しいほどだ。「そりゃ熊もいるよなぁ」と思う。
視線を転ずると、復元された開拓小屋と、屋根に届きそうなほど巨大なヒグマ!
いやいやいやいや、いくらなんでも大きすぎでしょ! 小屋と同じくらいあるよ。
表情までリアルに作り込まれている。冬眠しそこなった熊は危険だと漫画『ゴールデンカムイ』でも言っていた。きっと耐えがたい空腹だったんだろう。
再現された開拓小屋の中には記念スタンプやパンフレット、記名帳がある。
失礼ながら「掘っ立て小屋」と呼んでもいいような簡素な住居だ。これで北海道の冬の寒さがしのげたのだろうか? 当時の苦労は想像もできない。
住んでいたのは15戸だという。夜には明かりもなく、隣家の声も届かない静寂だったんじゃなかろうか。
いまもヒグマがいるのは本当である。事件後にひとり、またひとりと住民が去り、三毛別はついに人の住まない地となった。すっかり原生林に戻っているが、ここをマサカリやクワを手に開墾していた人がいたとは……。
家具も生活用品も素朴なものだ。町の資料にも「粗末な衣類を身につけ空腹に耐えながら原始林に挑み」とある。北海道の礎(いしずえ)となった先人の苦労を忘れないように、という展示意図もあるのだろう。
展示を見ていて気づいた。ここが終点だと思っていたのだが、かつては「冬眠の穴」など周辺を散策できるコースになっていたらしい。熊が怖すぎて、とても回ってみる気にはなれないが。
入場料などはないので利益にはならないはずだが、この事件を記録に、また記憶に残しておきたいという並々ならぬ熱意を感じる。
現地の人にとって、とくに遺族にとってヒグマは恐ろしくも憎い敵(かたき)だろう。資料館で見た剥製の数々からは、獲物を討ち取った猟師の誇らしさも感じられた。
その一方で、あちこちに熊のキャラクターが登場し、町のマスコットとして愛されている側面もある。ともかく町中が「ヒグマ推し」なのである。
ヒグマは討伐すべき敵なのか、愛すべき山の隣人なのか?
苫前のヒグマは史上最悪の獣害の原因であると同時に、尊厳ある野生の命であり、愛らしく感情豊かな動物であり、猟師の獲物でもある。どれも間違いではない。世界って、なんて複雑で多面的なんだ……。
ともあれ、無事に生還できてよかった。たしかに携帯電話は圏外で、どこにもつながらなかった。すぐに走り出せるよう運動靴に履きかえて向かったものの、あんな場所で襲われたら ひとたまりもない。いくらなんでも屋根まで届くヒグマなんて怖すぎる。
などと思っていたが、筆者はもっと巨大で危険そうなヒグマを白老で目撃した。
北海道のスケールはハンパない。