人間の想像力ってすばらしい。胸躍る冒険物語に夢中になったことは誰にもあるだろうし、科学技術の発達にだって根本には進歩を夢見る想像力があったはずだ。
しかし、そういう輝きとは逆の想像力というのもある。例えば上の写真はどうだろう、一部を隠したことでよからぬ何かを感じはしないだろうか。
どうにもあやしい。そこには何かを隠したことで勝手に見えてくるものがある。
今回はすばらしくない方の想像力をむやみにかきたててみます。
※2005年6月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
隠すという衝動
隠れているから見たい。見えないものだから見たい。始めから見えてるものだけじゃもう満足できない。よくわからない衝動を書いているうちにずいぶんテンションがあがってきてしまった感があるが、そういう気持ちというのは誰にも多かれ少なかれあるのではないかと思う。
ならば始めから見えているものでも隠してしまえばいいのではないか。意味があるのかどうかわからない逆転の発想だ。
隠すというとやはり似合う色は黒だろうか。今回は紙や布などを用意してみた。むやみに隠してみることで、何が見えてくるのかを検証したい。
さっそく自分を実験台にして実践してみよう。ポロシャツに短パン姿、ごく普通の服装を隠蔽してみる。
まずはベーシックに短パン部分を隠す。どうだろう、まだ普通に「黒い紙を持った人」という感じだろうか。日常生活の場面としても、ぎりぎりあり得ないとは言い切れないくらいの状況か。
中には早くも想像力が走り出している方もいるのかもしれない。念を押しておきたいと思うが、あくまで短パンは履いている。
しかし、目を黒いガムテープで隠すと一気にプレイっぽさが漂ってくる。やばい。
もう日常生活の一場面とは主張できない状態になってしまっている。普段からこういう生活を送っている人はいないだろう。何かのゲームか、そういうプレイか、ユニークな人か。何かしらの言葉で理由をつけたくなりはしないだろうか。
下半身を隠している黒い紙もここに来て隠蔽感が急に出てきた感じがする。
さらにシャツを脱いでしまうと完全にアウトだ。シャツしか脱いでいないというのに、通報されかねない感じの写真になってしまっている。相当まずい。
警察でもズボンをはいていることは断固として主張していきたい。
隠すことで見えてきたもの、それはライトな変態テイスト。特に目線の効果というのはすごい。近所の人に見つからないうちに次の行動に移りたいと思う。
ファンシーも吹き飛ぶ黒目線
先の試みでも決定的な何かをもたらした黒目線。隠すということで勝手にまずさが見えてくる。
そもそもがファンシーであるものについては、さらにその落差が大きく感じられるのではないだろうか。一例として、公園にある子供用の動物の遊具に試してみた。
どうしたんだ、一体何があったんだ。自分で貼ったガムテープなのだが、こわくなってしまい写真を撮ったらすぐにはがしてほっとする始末。どうしてこんな雰囲気がかもし出るのだろう。
先にガムテープが貼ってある方を見てから、いつもの顔が登場するように並べてみると安堵感がある。自分で試しにやっているだけなのだが、どうしてこんなにドキドキするのだろう。
目線で隠れていたのをはずしてみると、それはそれでまたどうかと思うような表情をしているものもある。それでも子供たちはガンガン乗って遊んでいたから、あまりそういう部分は気にかけないのかもしれない。
それでも子供たちが全然乗ろうとしない遊具もあった。
どうしてこういうことになるのか。隠すまでもなく負のオーラを発生している遊具。
やってしまった感じをかもし出す目線
遊具に目線をつけることで出てきた、正体不明の不安な感覚。普段はかわいい動物たちがそんな状況になってる異常さが見る者をおっかなくさせる。
かわいらしい動物たちはまた、何らかの注意を促す看板にも使われていることが多いが、そんなに彼らに目線をつけると遊具たちとは違った雰囲気が出てくる。
きみか、フンをしたのは。そんな風に問い詰めたくなる雰囲気になる。「僕はしちゃったけど、みんなはまねしないでね」という感じだろうか。人にそんな呼びかけをする資格がきみにはあるのか。
普段は誠実な彼だったのに。どうしてこんなことに。
看板の効果は目線を入れた方がむしろ高くなるのではないだろうか。わけのわからない不安と迫力に、犬の散歩をしている人も「やっぱりフンはちゃんと片付けないとな」と思うかもしれない。
黒で隠すことで見る人の心に落ちる影。また別のシーンで試してみよう。
心の目で見るメニューたち
これまでは人体やモノの一部を隠してみたが、テキストの一部分を隠すことでも見えてくるものがある。まずは小学生レベルの視点から迫ってみる。
それぞれ心の目で見ていただきたいファミレスのメニュー。幼かったあの頃の気持ちを今でも持っているかどうかのバロメーターともなるかもしれない。
人間のイマジネーションは自由だけど、自由だからいいってものでもない。
このあたりは察しもつくと思う。人間の想像力はそんなに自由なまんを思い描いたりはしないだろう。
一応正解は普通に「肉まん」と「とりあえず三種盛り」。次あたりからはだいぶわからない感じのもの紹介してみよう。(ここから先の2つはクイズ形式で紹介するので、考えて読みたい方はちょっとずつスクロールして読むといいかと思います)
チキンのステーキというところまではわかる。そのおいしさをかもし出す説明文にも心ひかれる。では黒い部分に隠れているのはどういう言葉だろうか。ヒントはやはり説明文の中にある。
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答えは「TERIYAKI」。なぜだか力が抜けていく感じがするのはなぜだろう。
わざわざ一回隠すことで、ローマ字表記の風合いが一段と強まって感じられてくる。それが強まって感じられることはいいことなのかどうかはわからないが、とにかくそういう事実はあると思う。
続いてはこれ。「○○○○る バナナヨーグルトサンデー」である。今度は先ほどのようにローマ字は入らない。じっくり見てもヒントはないだろう、かなりの難問だと思う。
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正解は「メイプル香る」。そんなのわかんねえよ。
同じ店の他のデザートメニューは「アイスの盛り合わせ」や「イチゴムースケーキ」といった普通の感じなのに、これだけ「メイプル香る」。なんできみだけポエムチックなのか。
もっと自由に隠したい
隠すことで現れる効果にはいくつかの種類があった。目線はやはりダークなインパクトを否が応でもかもし出す。
不安だ。どうしたんだよ。
こうするとちょっと勇気だめし風。アスパラドリンクもいいけど、やっぱり隠れてるのが気になる。押したら何か出てくるのだろうか。150円という価格設定も含めて気になる。
わざと見えなくすることで問いかけにもなる。隠すことにはそういう意味もあった。
この場合はどうだろう。花壇へ……何?ヒントとしては、言っていることは普通だし、そんなに意外性もあるわけではない、と言っておけばよいだろうか。
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正解は「花壇へ入らぬこと」。実に真っ当なことを言っている注意書きだと思うが、ちょっと文字の入れ方の計画性に欠ける。
もともとシルエットだけの彼は、目線を入れても特に印象の変化はない。やっぱり見えている具体的な何かがないと隠す意味は薄れるのだろう。
香り豊かな苺ののむヨーグルト。かなしいとかくやしいではないよね。そんな苺は見たくない。退屈なときにはこんな風にわざと隠して心にざわめきを立ててもみるのもいいかもしれない。