20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(30)にとって、事故後にはじめた1人暮らしは苦労の連続だった。左手だけでの家事は難しいことばかり。それでも工夫を凝らし、できることを少しずつ増やしていった。約8年間続けている今、「1人暮らしして良かったと思います」と胸を張る山田さん。暮らしぶり、暮らしの中で気づいたこと、そして運営するYouTubeチャンネルなどの発信を通じて伝えたいこととは。山田さんが語った。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
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山田千紘さん。入浴(上)、卵割り(左下)、洗濯物干しの様子
「みんなと同じようにやろうとするから難しい」
手足が3本なくなってから、初めて1人暮らしを始めました。22歳、就職1年目の時でした。五体満足だった10代は実家暮らしで、恥ずかしながら洗濯や料理など身の回りのことは親任せ。1人暮らしをはじめると苦労ばかりで、家事も手探りでした。片手なので、当初は全てが難しく感じました。
洗濯にしても、両手がある人は下着を干す時、ピンチハンガーを物干し竿にかけて、洗濯バサミを空中で開いてつけていくと思います。それを片手でやるのはすごく大変。左手で洗濯物を持っても、右手がないから、同じ左手で洗濯バサミを開けつつ洗濯物を挟まないといけない。
想像してみると分かると思いますが、最初は物凄く時間がかかりました。めちゃめちゃ面倒臭くて「洗濯って嫌だな」と思いました。乾燥機付き洗濯機を買おうかなとも思いました。それなりにお金がかかるし、買ってはいないんですが。
ふと思ったのは「みんなと同じようにやろうとするから難しいんだ」ということ。ピンチハンガーは、先に物干し竿にかけるのではなく、ソファーに置いてひっくり返した状態で、洗濯物をつけていけばいいんじゃないか、と思いつきました。あらかじめピンチハンガーについている洗濯バサミの近くに洗濯物を寄せておいて、あとは左手で洗濯バサミを開けて挟みにいく。すると片手でも、竿に干してから空中で挟むよりスムーズにできました。
洗濯ひとつとってもそんな気づきがありました。以前この連載でも取り上げましたが、料理もそうです。ピーラーでニンジンの皮をむくとか、最初は「片手じゃ無理だろう」と思っていたけど、自分なりに知恵を絞ったらできるようになりました。卵の片手割りも全然できなかったけど、練習していった結果、今では10個連続で割っても殻が入りません。
料理は食器洗いも工夫が要ります。みなさんはシンクに洗い物をまとめて置き、片手にスポンジ、片手に食器を持って洗うと思います。僕は左手だけなのでそれができない。食器を1つずつシンクに置いて、1つずつスポンジで洗うしかない。だから洗い物をシンクに溜められません。おかげで、こまめに片付けていくスタイルになりました。