国が非ワクチン接種者を見捨てる時

アゴラ 言論プラットフォーム

ケガしないように注意するのよ、食べすぎは良くないよ、等々、母親は小さな我が子がケガや病気をせずにスクスクと成長するのを願う。もちろん、「好きなようにしなさい、お母さんはもう知りません」と、言うことを聞かない子を突き放す母親も出てくるだろう。

コロナ時代3代目のオーストリア保健相、ヨハネス・ラウフ氏(オーストリア連邦保健省公式サイトから)

オーストリア政府は9日、議会で可決され、施行中の新型コロナウイルス用のワクチン接種義務化法を一時的に停止すると発表した。ワクチン接種義務化法(18歳以上の成人を対象)を積極的に推進してきたエットシュタドラー憲法問題担当相は9日の記者会見で、ワクチン接種義務化を施行しなければならない法的な理由がなくなってきた」と言葉少なに説明していた。

ワクチン接種義務化法によると、今月15日、未接種者に対して最初の罰金(600ユーロ)を通告する予定だった。その施行日の前に中止し、3カ月後、国内のコロナ状況を分析して「その後」の対応を検討するという。職業別ではなく全国民を対象に欧州最初の「ワクチン義務化法」として欧州でも大きな反響を呼んできたが、施行されて1カ月余りでストップがかかったわけだ。

ワクチン接種義務化法案は昨年末に草案が作成され、今年1月20日に国民議会(下院)で、その後連邦議会(上院)での審議を経て可決され、ファン・デア・ベレン大統領が署名した。ミュックシュタイン保健相(当時、「緑の党」所属)は、同法の施行以後、見直しを要求する声に対し、「義務化法の見直しは考えられない」と突っぱねてきた経緯がある。ワクチン接種義務化法の死守を主張するウィーン市のペーター・ハッカー保険担当官は、「可決したのだ。いまさらその有効性を問い返すことは間違っている」と述べ、決定したことに直ぐ疑問を投げかけるオーストリア人のメンタリテイを批判したほどだ。

ワクチン専門家は同法施行停止の理由として、①コロナウイルス感染者の入院率が低く、病院への負担は少ない、②オミクロン変種株が欧州全土を席巻している時、ワクチン接種の義務化は遅すぎた、③今秋のコロナ感染時期までにはまだ時間がある、等の3点を挙げている。

政府はワクチン接種義務化法の施行で未接種者が接種に向かうだろうと期待してきたが、ワクチン接種率はほとんど変わらなかった。義務化しても効果が薄いという現実が浮かびあがってきた。そこで、①同法を完全に破棄する、②未接種者への罰金を止める、③一時的に停止する、の3つのシナリオが挙げられ、最終的には③が選ばれたわけだ。

ワクチン接種義務化法の施行一時停止を聞いた時、このコラムの最初に書いた母親のことを考えたのだ。国を母親とすると、子どもは国民だ。母親のいうことを聞かない子供はワクチン未接種者だ。ワクチンを接種するように口うるさく叫んできた国は、「それでは好きなようにしなさい」とわがままな子供を見捨ててしまった母親のように未接種者を見捨てたのではないか。

ワクチンを接種しなくてもいい、罰金を払わなくていい。好きなようにしなさい、というのだ。好意的に言えば、子供の自主的判断を尊重したことになるが、冷静にみると、いうことを聞かない子供を見捨てた母親のように、ワクチン未接種者を国(母親)は見捨てたのだ。未接種者は運が悪ければ、オミクロン変種株に感染し、更に運が悪ければICUに入る。ちなみに、同国の病院で集中治療室(ICU)に入っている患者はワクチン未接種者が圧倒的に多い。

ネハンマー政府がワクチン接種義務化法の一時施行停止を新規感染者数が過去最多の4万7795人(過去24時間)となった日に発表したことで、当方のこの印象は一層強まっていった。人口比で比較すれば、新規感染者数はドイツの数倍多い。その過去最多記録を更新した日に、政府はほぼすべてのコロナ規制を解除する一方、ワクチン接種義務化法の施行を一時停止したからだ。

オーストリア国民の約20%は未接種者だ。彼らは政府の必死のアピールにもかかわらず、接種を拒んできた。政府が接種せよ、接種せよという度に、抵抗し、連邦首相府前でコロナ規制反対、ワクチン接種義務化反対を叫んできた。彼らはもう反対する必要がなくなったのだ。換言すれば、見捨てられたわけだ。

ワクチン接種義務化に強く反対してきた極右党「自由党」のキックル党首は、「われわれは勝利した」と述べていたが、勝利者らしい歓喜の姿は見られなかった。「見捨てられた」ことをキックル党首は感じていたのかもしれない。「好きなようにしなさい」という母親の声をひょっとしたらキックル党首は聞いたのかもしれない。反対は楽だが、見捨てられた以上、自身が責任をもって生きて行かなければならないからだ。

新型コロナウイルスの感染初期、ウイルス学者の中には集団免疫論者が、「コロナ規制を廃止し、ウイルスに感染を委ねるべきだ。それによって時間の経過と共に社会に集団免疫ができるからだ」と主張してきた。当時はまだデルタ変異株など致死率の高いウイルスが席巻していたこともあって、集団免疫説は、「一定の犠牲者を甘受する政策だ。人道的にみても良くない」と反発するウイルス学者がいた。

その学者間の論争はオミクロン変異株が登場したことで緩和されてきた。オミクロン株は感染力が強いが、致死率はデルタ株より少ないからだ。そこで集団免疫論が再び復活してきたわけだ。もちろん、国もワクチン学者も口には出さないが、「ワクチン接種を拒む国民がいる以上、一定の犠牲者(主に未接種者)を甘受しなければならない。ロックダウンを避け、国民経済を活性化していく」という方向に転換してきたわけだ。コロナ規制の全廃、ワクチン接種義務化法の空洞化は集団免疫論の内容となるからだ。

ワクチン未接種者はコロナ感染の危険を恐れながら、市内を彷徨する。その姿は母親から見捨てられた子供のようではないか。両者の違いは、子供は見捨てられたことを肌で感じるだろうが、未接種者は感染するまで自身の立場を理解しないのだ。

K_E_N/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。