次世代に必要な女性蔑視防ぐ教育 – 幻冬舎plus

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「次世代の男の子たちをミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)から守るために、どうしたらいいんだろう?」

同世代の友人たちとよくそんな話をしている。

私には甥も姪もいないが、若い男の子を見るとイマジナリー甥っ子のような気分になり、お年玉とかあげたくなる。

少し前に某男子校で「ジェンダーと性暴力」をテーマに授業した時も「みんな幸せになってくれよな……」と涙が出そうになった。

JJ(熟女)はあらゆるパッキンがゆるむお年頃。チーターの赤ちゃんの動画にも「尊い……」と涙ぐむ日々である。

拙著『フェミニズムに出会って長生きしたくなった』にも書いたが、著名なフェミニストの友人は誹謗中傷や嫌がらせをしょっちゅう受けている。

彼女が「この男の人、毎日のようにメールしてくるのよね」と見せてくれたメールには「おまんこおまんこおまんこおまんこおまんこ」と800個ぐらい並んでいて、脳みそ8ビットか? とめまいがした。

「どれだけ暇なんや」と呆れる私に対して、彼女は「この人も生まれた時はまっさらな赤ちゃんだったはずなのに。なんでこんな風に育っちゃったんだろう? と考えると可哀想になる」と言っていて「菩薩かよ……」と手を合わせた。

ネット上で女叩きやフェミ叩きを「遊び」にしている男性たちが存在する。

その界隈では、女性に対してひどい発言をすればするほど「よっ、さすが! ヒューヒューだよ!」と仲間内で称賛されて、承認欲求が満たされるのだろう。

女性を言葉でぶん殴ることで「俺は強い男だ」と優越感に浸れるのだろう。

そうやって集団いじめを楽しむ様子を見ると「吐き気をもよおすホモソとはッ!!」とブチャラティ顔になる。

大半の良識ある男性はブチャラティ顔になるだろう。であれば「そういうのはやめろ」と彼らに向かって言ってほしい。

骨の髄までミソジニーの染みついた人間は、女の言葉は聞かないけど、男の言葉にはひるむからだ。

昔、新地のクラブで働いていた女の子が話していた。

男の団体客の中には、どれだけホステスさんにひどいことをできるか競い合う連中がいたそうだ。

彼らはホステスさんのストッキングを破ったり、グラスにペニスを突っ込んだりして、爆笑しながら盛り上がっていたという。

女性を集団でいたぶって楽しむ加害行為。それをリアルでしたくてもできない連中が、ネット上でやってるんじゃないか。

私もアンチフェミからクソリプをよく投げられる。「穴需要のないババアの嫉妬ww」とか。

「穴需要……アナと雪の需要……レリゴー♪」と歌いながら「こいつリアルでは絶対こんなこと言う度胸ねえんだろうな」と思う。

面と向かって女性に嫌がらせはできないけど、ネット上なら好き放題できる。

匿名だから訴えられないだろうとナメているし、「直接殴ってるわけじゃないし」と罪の意識もないのだろう。

けれども、言葉の暴力は人を殺す。ネット上の誹謗中傷やデマに追いつめられ、命を絶ってしまう人もいる。

身体的な暴力は罪に問われて当然なのに、言葉の暴力が放置されるのはおかしい。言葉の暴力を許さない社会にするべきだ。

と声を上げる人々が増えたことで、オンラインハラスメントに関する法律も変わる動きがあるという。

誹謗中傷やデマを垂れ流す人々には「首を洗って待っていろ」と言いたい。

あとツイッタージャパンは仕事しろと言いたい。

「嫉妬」という漢字は女偏だが、ミソジニー沼の住人たちを見ていると、男の嫉妬の方が恐ろしいと思う。

ミソジニー沼はリアル社会にも存在する。

女性陣にヒアリングすると「会社で成績を上げると『女は得だよな』とか男の同僚たちに陰口を叩かれる」「リーダーに抜擢された時に『あいつは上司と不倫してる』とデマを流された」といった意見がごまんと寄せられた。

女のくせに俺より優秀なんて許せない、生意気な女をこらしめたい。

そんな嫉妬心から集団で女叩きをする、ミソジニーとホモソの悪魔合体である。

ゲロ以下の臭いがプンプンするぜッー!!

スピードワゴン顔で強調しておくが、女の敵は女でもなければ、男でもない。

アンチフェミは「フェミニストは男の敵!!」と喧伝しているが、フェミニストの敵はセクシスト(性差別主義者)である。

古よりフェミニストは「男嫌いのババア」とレッテル貼りされてきたが、フェミニストが憎んでいるのは「男性」ではなく「性差別や性暴力」であり、その構造やそれに加担する人々である。

アンチフェミは「男VS女」「オタクVSフェミ」的な対立を煽っている。彼らにとってはそれも「遊び」「祭り」なのだろう。

そのためになりすましのフェミ垢をこさえる輩もいて「どれだけ暇なんや」と呆れるが、人間よ、もう止せ、こんな事は。

人類の半分を憎んで生きるのはつらいだろう。ミソジニー沼から脱出した方が幸せになれるだろう。

と私が言ったところで、彼らは聞く耳持たないだろう。

スケキヨポーズで沼にずっぽりハマった人間が、ミソジニーを「学び落とす」のは難しい。

だからやっぱり、次世代に刷り込まないことが大切だと思う。

オギャーと生まれた瞬間からミソジニーな人間はいない。成長する過程のどこかで刷り込まれてしまうのだ。

親や周囲や社会からの刷り込みもあるし、メディア、特に今はネットからの刷り込みが強いだろう。

たとえば、スウェーデンでは保育園からジェンダー教育や人権教育を徹底するそうだ。

社会やメディアに刷り込まれる前に、真っ白な状態で教えることで、子どもたちは差別や偏見のない大人に育つという。

差別やヘイトに対抗するには、教育が大切だ。

「全ての人間にはオギャーと生まれた瞬間から人権がある、差別されない権利がある」という当たり前すぎる教育を、日本はあまりにもしてこなかったんじゃないか。

また、スウェーデンでは差別的な発言や投稿をすると処罰されるそうだ。個人のモラルだけに頼るんじゃなく、ちゃんと罰則を作っている。

一方、日本では政治家が差別発言をしてろくに処罰もされない。そんな国でどうやって子どもたちを守るのか。

私は子どもを被害者にも加害者にもしたくない。次世代のために差別のない社会を目指すことが大人の責任だと思う。

だからネット上の女叩きを「遊び」と軽視してはいけないと思う。