政策自体に反対せぬ野党に苦言 – 自由人

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■政策の程度だけを言い争う政治家達

 日本政治における野党は、与党のすることにひたすら難癖を付けて何でもかんでも批判することを生業としてきたことは周知の通り。しかし、コロナ禍における与党の政策に対しての野党の姿勢を観ていると、結局、プロレスごっこをしているだけだったのではないか?という疑念が生じてしまう。

 例えば、まん延防止対策にせよ、緊急事態宣言にせよ、ワクチン接種にせよ、与党の批判はするものの、反対意見が全く出てこない。批判の矛先は、政策批判ではなく、各政策を実施する時期が遅かったとか、規模が小さかったと言うだけで、政策自体には反対していないことが分かる。

 本来であれば、以下のような批判があってもよさそうだが、

 与党「まん延防止対策を行う」  野党「まん延防止対策を行うな

  与党「緊急事態宣言を行う」   野党「緊急事態宣言を行うな

 与党「ワクチン接種を行う」   野党「ワクチン接種を行うな

 しかし、実際に行われている批判は、

 与党「まん延防止対策を行う」  野党「まん延防止対策が緩い

 与党「緊急事態宣言を行う」   野党「緊急事態宣言の発出が遅い

 与党「ワクチン接種を行う」   野党「ワクチン接種が足りない

 というもので、「右」と「左」の対立ではなく、「左」と「極左」の対立にしかなっていないということがよく分かる。

 現在の日本政治には、基本的に「右」も「保守」も存在せず、「左」の空間だけで政治が行われている状態だと言える。そのプロレスごっこを観て、「保守、頑張れ!」「リベラル、頑張れ!」と応援しているのが大部分の国民の姿だと言える。

 批判するだけで対案が無いのは既存野党の十八番(おはこ)だが、コロナ禍では、与党と野党は同じ方向を向いており、政策の程度だけを言い争っているような状態だとも言える。

 自国独自の政策理念を持たず、追求もせず、海外の真似事しかできないだけであれば、この国の政治家の存在価値とは一体何なのだろうか?

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