外国人社員が日本企業を去る理由 – サイボウズ式

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※この記事は、Kintopia掲載記事「Could Japanese Companies Do More To Motivate and Retain Foreign Workers?」の翻訳です。

「僕の働きぶりは十分なのか?」という疑問

僕はスイス育ちの白人男性だ。日本の中では少数派で、これまでも自分の立場やキャリアについて考えてきた。


2020年8月13日日本人の同僚に知ってほしいこと──欧米人の僕が、日本企業で初めてマイノリティになった苦悩と期待

しかし、新年を迎えてまた、自分のキャリアに疑問をもち始めている。

2021年の暮れ、人事考課や給与交渉、2022年の戦略立案などを終えた。と同時に、ほかのチームがどれだけ価値のある素晴らしい取り組みをやってきたのかに耳を傾けている。

すると、毎年のことながら「いまの僕の働きぶりは十分なのか」「自分の仕事に本当に意味はあるのか」「チームの取り組みに貢献できているだろうか」といった疑問が浮かんでくる。

日本で働く前は、こんな葛藤を抱えた記憶はない。疑問をもち始めたのは、母国での仕事を辞めて「日本で働く」という、新しい挑戦を始めた数年前のことだ。

僕が働くサイボウズは、それぞれの考えをオープンにできることが誇りだ。自分の疑念を上司や同僚にぶつけることもできる。すると、親切で気遣いが上手な日本人の上司や同僚からは、「アレックスさんはよくやってくれているし、本当に助かっていますよ!」と優しい答えが返ってくる。

でも……。どれだけ前向きな言葉をもらっても、「僕の働きぶりは十分なのか」といった疑念は、一向に晴れない。

そこで、似たような環境に身を置く外国人の友人や同僚に聞いて回ったところ、この現象は珍しくないことがわかってきた。もっと深刻なケースもあり、不満を募らせたり、意欲を失ったり、思い切って転職しようと考えている友人もいるほどだ。

僕ら外国人は、仕事のモチベーションをどこに見出せばよいのだろう?

「これから何をしたいのか」が見出せない

モチベーションについて、サイボウズでは「モチベーション創造メソッド」というベン図をよく使う。

この図によれば、「やりたいこと」「やるべきこと」「できること」の3つが重なる部分が、自分にとって最適な仕事ということになる。つまりモチベーションの最大の源泉だ。

ただ、実際に自分の仕事に当てはめてみると、3つの重なる部分はそこそこ広いのだが、何かが足りないことに気づく。

まず、「やりたいこと」。僕が大好きな作業は、英語で「物を書く」「編集する」「コンテンツをつくる」仕事だ。これは十分にカバーされている。

次に、「やるべきこと」。上司や同僚は、僕の成果物に満足していて、仕事を続けてほしいと思っている。これも問題ない。

では「できること」はどうか。自己評価となるが、自分では、なかなかよい仕事をしていると信じている。だから、これも問題ない。

では、何が「足りない」と感じるのか? この図の惜しいところは、「いま」で止まっていて、「未来」がないことだ。人生は単純な「いま」の連続ではない。

僕の不安の根っこは、いまのベン図にはない4つ目の輪、「これから何をしたいか」、つまり、「未来」にある。

「これから何をしたいのか」──この質問に対する答えは、まだ見つかっていない。4つ目の輪を加えると、このベン図の美しさは失われてしまうかも知れない。

「やりたいこと(つまり、いま)」と「これから何をしたいか(つまり、未来)」をひとまとめにしようと考えたけれど、この2つはまったく違うコンセプトだ。いま「やりたいこと」と、僕が考える「キャリアアップやスキルアップにつながりそうなこと」はイコールとは限らない。

また、成長とは純粋に内発的なものだけではない。「やりたいこと」は自分次第だけれど、自分のキャリアを「どう成長させるか」は、チームや上司、仕事を取り巻く環境にも大きく左右される。

この「これから何をしたいのか」が見出せないことこそが、スキルの高い日本人社員と外国人社員の、モチベーションの間にある最大の溝なのだ。

目の前の課題を解決するだけでは、モチベーションは上がらない

外国人社員に限らず、すべての人が「これから何をしたいのか」を見出すために、必要なキャリアの糧がいくつかある。

1つ目の糧は、社員自ら「新しいスキルを身に付ける」ことだ。これは、新しいことに挑戦し、困難に立ち向かうのが近道だ。

2つ目の糧は、社員が試行錯誤を繰り返し、時間をかけて成長する「機会を与える」ことだ。

母国スイスでは、マネジャーから段階的に重要な仕事を任されて、徐々に仕事の進め方にも主体性が与えられる仕組みになっていた。

僕は最初、公的機関で働いていたが、そのキャリアは非政府組織とのミーティングで詳細な議事録を取るところからスタートした。

数年後には、同じようなミーティングの進行役をしたり、1人で出席してインパクトの小さな決断を下したりする機会が与えられた。

もし、スイスで仕事を続けていたら、戦略や予算に関する発言力も次第に増し、「これから何をしたいのか」を見出しながら、マネジャー的な責任も負うようになっていただろう。

でも、日本では勝手が違う。僕は多文化のコミュニケーションスキルがある中途社員として採用された。つまり入社したときから、会社に期待される仕事はうまくこなせる状態で、多文化コミュニケーション以外のことは求められていなかった。

目の前にある、たったひとつの課題を解決するだけでは、「これから何をしたいのか」は見出せないし、モチベーションも上がりにくい。

困難によって変化するモチベーション

また、仕事のモチベーションは、「望ましい困難」と「望ましくない困難」の、まったく違う2種類の困難でも変化する。「望ましい困難」は、挑戦から学びが得られる。「望ましくない困難」は時間の無駄で、不満を生む。

日本で働いていて経験した「望ましい困難」は、権限を伴う主体性の発揮だ。

現在の、英語でコンテンツをつくる仕事は自分が決定者なので、責任を伴うだけでなく、社内外の方々から仕事のアウトプットに関して直接フィードバックをもらう機会にも恵まれている。「これから何をしたいのか」を再確認する機会にもなっている。

「望ましくない困難」は、母国語ではない言語で行われる日々のコミュニケーションだ。自分の日本語はゆっくりと上達しているとはいえ、日本語を母国語とする人の流暢さにはかなわない。

改善を重ね、ある程度のレベルに到達しても、社内でできることが増えるわけではない。

英語のコンテンツを作成するために採用されたのだから、日本語のコミュニケーションが上達すれば同僚との関係にはプラスになっても、アウトプットは大きく変化しないのだ。

時間の経過とともに、日常的に経験する「望ましくない困難」は減ってきたけれど、それがキャリアアップにつながり「これから何をしたいのか」を見出す機会になっているとは言えない。

年度末の人事考課では「望ましくない困難」は考慮に入れてもらえないため、悪循環につながっていく。上司が期待するのは、「現時点で日本人の同僚とほぼ互角にできるようになったこと」ではなく、「どんな新しい価値を会社に提供できたか」なのだ。

自分の実績の全体像を示せなければ、昇進の機会は減り、長期的には、高いスキルをもった外国人社員の多くが身動きが取れない状態になってしまう。