麻薬で結ばれた関係。
学術誌『Antiquity』に掲載された論文によれば、西暦600〜1000年頃にかけて南米大陸に栄えたワリ文化の支配者たちは、自らの支配力を維持するために客人を招いて盛大な宴を開き、ビールのようなアルコール飲料に幻覚剤を混ぜてふるまったそうです。
幻覚剤の調合はエリート階級の特権であったため、一般大衆はめったに体験できない快楽でした。人々は共に酒と麻薬に酔いしれ、社会的な関係性を強化し合いました。それと同時に、快楽を提供してくれた支配者層に負い目を感じるようにもなったそうです。こうやって貸しを作ることで、ワリ文化の支配者たちは政治的な権力を維持していたと推察されています。
先コロンブス期のアンデス文明において麻薬と酒が政治的なツールだったことはこれまでの研究からも明らかになっていました。今回の発見が興味深いのは、幻覚剤の使用が一部の上層階級だけでなく広く一般人にも浸透していた点、そしてその体験が共感を呼び、ワリ文化のポリティカル・マシンを動かす潤滑油として機能していた点です。
強力な幻覚剤「ビルカ」
一体どんな幻覚剤が使われていたのでしょうか。
論文によれば、「ビルカ(Anadenanthera colubrina)」という南米産の高木の種子と皮にはブフォテニンというトリプタミンアルカロイドの一種が含まれ、幻覚剤の原料となるそうです。ブフォテニンは胃の中で中和されるので、経口摂取すると向精神作用効果が弱くなります。そこで、古代アンデス文明においては主に鼻から吸引するか、タバコとして吸うか、直腸投与するのが一般的だったそうです。
ところが民族学文献などからは、ワリ文化においてはビルカの種子から作られた”ジュース”(おそらく茶のように煎じられたもの)を、コショウボク(Schinus molle)の果実を発酵させて作った「チチャ(chicha)」というアルコール飲料に混ぜて飲んでいたことが明らかになっていました。酒と一緒に体内に取り込むことで、ブフォテニンの向精神作用効果が胃の中で中和されにくくなるからです。結果、ビルカとチチャを混ぜたものを飲むと、幻覚剤の効果がよりゆるやかに、マイルドに、長時間にわたって持続したと考えられるそうです。
ビルカはもともと権力者たちが神々の世界へトリップし、お告げを得るために使われていました。ところが、ワリ文化の統治面積が拡大し、社会が地理的・政治的に複雑化してくると、組織全体を統括する企業戦略が必要となってきました。そこで、ワリの権力者たちは郊外に衛星都市を築き、盛大な宴会を開いてその土地の人々とボンディングすると同時に、貸しを作って権力下に留めていたというのです。
物理的な証拠は史上初
キルカパンパ(Quilcapampa)もそんな衛星都市のひとつでした。
現在のペルー中南部に位置するキルカパンパは、西暦9世紀頃に短い間だけ栄えた拠点でした。ほかの場所と比べるとまだ調査が進んでいないこの遺跡から、今回ビルカとチチャが混ぜられていたという物理的証拠が出土しました。古民族植物学史上初となる大発見だそうで、カナダのロイヤルオンタリオ博物館所属の考古学者と、アメリカのディキンソン大学客員助教のMatthew Biwerさんが共同で調査したそうです。
私が知っている限りでは、ワリ文化の遺跡から発見されたビルカのうち、使用方法が垣間見れるような例は今回が初めてです。
とBiwerさんは米ギズモードに説明しています。
これまでにもビルカの種や残留物が墓場から出土したケースはありました。ただ、どのように使われていたのかまでは特定できていませんでした。今回の発見はワリ文化の宴会や政治についてより細やかな理解へとつながり、ビルカがどのように使われていたのかを物語っています。
ビルカは少量、コショウボクの実は大量に出土
キルカパンパの遺跡からは100万点以上の豆粒大のコショウボクの実が出土したほか、ビルカの種も発見されました。このふたつを混ぜて使用していたはずと研究者たちが確信に至ったのには、考古学的な根拠がありました。
ビルカは遺跡の至るところで見られたわけではなく、実際ほんの数粒が見つかっただけでした。ですが、この点が重要なんです。ビルカが決して幅広く使用されてはいなかった。むしろ、限られた状況でのみ使用されていたとわかるからです。
とBiwerさんは説明しています。
その言葉通り、ビルカが発見されたのは遺跡内でも数カ所に限られていました。ひとつは中央ゴミ捨て場で、すぐとなりにはコショウボクの実の絞りカスが捨てられていました。
ビルカの種と、チチャの原料であったコショウボクの実が隣り合わせに発見されたこと、麻薬を吸引するための道具が一切出土しなかったこと、また盛大な宴会が開かれた形跡があったことなどを総合して考えると、ビルカとチチャが飲み物として宴会でふるまわれていた可能性が大きいと推察できるそうです。
麻薬と酒から生まれる政治的パワー
このような宴会は、ワリ文化の上層部が客人をもてなし、社会的な関係を構築するために開いていたと考えられています。さらに、「ワリ文化にはこんなに盛大な宴を催すだけの財力がある」と懐の深さを見せつける機会でもあったのだとか。ある意味、麻薬と酒がワリ文化の政治力を担保していたのだとBiwerさんは米Gizmodoに語っています。
客人をもてなすという行為は、社会的・経済的・政治的に大きな意味を持っています。宴会を主催する側は、食物などの資源を客に提供することが求められます。当時はもちろん最寄りのスーパーで食料品を買い込むことなどできなかったわけですから、主催者側に宴会をもてなすほどの経済力があることを客人は目の当たりにしますし、それによって社会的・政治的な影響力が生まれます。
誰が招待されるか、どんな料理がふるまわれるのか、誰が何をどれだけ食べるのか。このような観点からも、宴会には政治的な要素が盛り込まれています。さらに、宴会に招待された人は無償で食事や飲み物を提供されるわけですから、そこから借り貸しの算段が生じます。招待された人すべてが同様にもてなせるほどの経済力を持ち合わせていませんからね。すると、社交辞令としてなんらかの方法で恩を返さなければなりません。それが主催者のパワーに直結するのです。
ワリ文化においては、おそらく上層階級の者だけがビルカを手に入れ、ビルカを調合する権利を持っていたと考えられるそうです。ビルカの木はキルカパンパの近郊では育ちませんし、最寄りの生息地は400kmも離れていましたから、誰でもビルカを手に入れられる環境ではなかったのは明らかです。これをいいことに、ワリ文化の支配者たちは自分たちに都合がいいようにビルカの流通と使用を制限していたとBiwerさんたちは考えているそうです。
今回の研究で、ワリ文化においてビルカが幻覚剤として使用されていたこと、そしてビルカを吸引するのではなくチチャに混ぜて飲んでいた可能性が濃厚になりました。Biwerさん曰く、これはとても重要な発見だそうで、
ビルカを鼻から吸うと精神に変化を来すほどの作用がありますが、ビルカをチチャと混ぜて飲むとこの体験を多くの人が共有できるようになります。
このようにビルカを共有することで、ワリ文化の支配者たちは支配した者たちとの社会的な関係を構築し、同時に権力を維持していたのでしょう
と説明しています。
Reference: Antiquity