コロナ特集でNスペが見せた気迫 – WEDGE Infinity

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NHKスペシャル「オミクロン株 “第6波の行方”」(初回放送・1月25日:NHK+見逃し配信 2月1日午後11時15分まで)は、新型コロナウイルスによるパンデミックを映像と情報によって、同時進行的に記録し続ける、放送の原点ともいうべき番組だった。

(Kesu01/gettyimages)

古書、映像……記録され続ける感染症

世界全体を襲った、インフルエンザの「スペイン風邪」のパンデミックから、100年余りが経って、世界は再び恐怖と不安の奈落の底に落された。

このインフルエンザによる死者は、1919年の第1波から20年の第3波にかけて、全世界で数千万人にのぼったと推定されている。日本の死者は、約38万5000人である。そのわずか3年後に起きた、関東大震災による死者・行方不明者は約14万人。東京大空襲のそれが約10万人だったことを考えると、社会をいかに揺さぶったかが推測できる。

戦前の内務省衛生局編によるスペイン風邪の記録『流行性感冒』が発見されたのは偶然だった。感染症が専門の西村秀一医師が、古書店が売り出していたのを購入した。このパンデミックに関する日本の文献は欧州に比べると、極めて少なかった。この内務省の記録は「第1級の2次資料」として、『東洋文庫』から2008年に出版された。

「映像の世紀」である20世紀を超えて、テレビメディアがいま、新型コロナウイルスのパンデミックを記録している。かつて、TBSの出身者たちが、70年安保闘争にからんで退社して、テレビマンユニオンを結成した。メンバーたちのテレビにかけた誇りは『お前はただの現在にすぎない』(萩元清彦、村木良彦、今野勉・朝日新聞出版社刊)という言葉に込められている。

「オミクロン株 “第6波の行方”」は、まさに「現在」を記録していこうという、テレビマン魂の気迫にあふれた作品だった。

国内外の「現在」にカメラは入っていく。

戦い続ける医師たち

沖縄県立中部病院――感染症内科の椎木創一医師は語る。

「オミクロンは、ワクチンを3回接種しても感染する。感染拡大が続いている沖縄は、1日当たりの感染者数がピークアウトしているように見えるがそうではない。若者層が密を避けるなどの協力をしてくれたおかげだが、高齢者の重症者の数が増えている」

この病院は、コロナ対応の病床を36床までに増やした。これまでは、20~30床で対応してきた。増床しても、患者の受け入れに不安があった。

その不安は、的中した。1月20日、職員1人の家族に濃厚接触者がでた。この職員が担当していた5人の入院患者が部屋を変えた。コロナ専用病床の枠は埋まってしまった。

聖マリアンナ医科大学病院――これまで、中・重症患者を受け入れてきた。病室は満床である。しかし、その患者たちは新型コロナウイルスの感染者ではない。近隣の病院において、医療従事者の感染、濃厚接触者が増えて、機能停止となって、移送されてきた一般患者たちたっだ。この病院の職員自体が、130人自宅待機中である。

救命救急センター長の藤谷茂樹医師は、次のように悲鳴をあげる。

「職員が足りない。第5波とは違う。医療機能の低下である」

デルタ株の独自性と制限を緩める外国

北海道大学医学研究員の福原崇介教授は、オミクロン株について世間の常識に警鐘を鳴らす。

「デルタ株が進化して、オミクロン株になったと考えるひとがいるが、それは誤りである。オミクロンは、デルタとはまったく別な系統の変異と考えたほうがいい」

オミクロンは、2020年6月ごろからすでに、中国で始まった新型コロナウイルスから枝分かれしていた。

オミクロンに対する、中国発祥の新型コロナウイルスを想定して作られた、ワクチンの効果の水準の低さも問題として、番組の取材チームは提起している。ウイルスの変異の個所の数をもともと中国で感染が始まった型と比較すると、デルタが10カ所に対して、オミクロンは30カ所である。このことは、ワクチンが作り出す抗体が、ウイルスに張り付いてもほとんど無毒化できない。

オミクロンに襲われている、英国とフランス――。

英国は、ブースター接種つまり3回目の接種が国民の60%程度まで進んだことを理由として、マスク装着の義務化などを撤廃した。インフルエンザと同じような対応となる。

ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のデビット・ヘイマン教授は、新型コロナに対する予防や治療などの主体が変わったのだという。つまり、「政府」から「個人」へである。社会活動の自由を取り戻すためには、ある程度のリスクを個人が負う局面に変わったのである。

医療従事者「陽性」でも現場に復帰

フランスは1月18日、1日当たりの感染者が40万人超、感染が広がっている。この状況のなかで、政府は社会生活を優先するために、制限を緩める方向に舵を切った。

学級閉鎖の基準が、これまでは1教室当たり3人の陽性者がでる場合とされてきた。それが、担任教師あるいは教室の多数が感染した場合と変更された。教師たちは、反対のデモを繰り広げている。

医療分野の規制の緩和は、さらに印象深い。医療関係者は、陽性でも無症状の人や感染していても、日々の検査によって、職場に復帰している。爆発的な感染のさなかにあって、政府が基準を緩めたのは、感染が拡大するのにともなって、医療従事者にも多くの陽性者が出ているために、医療の現場が人材不足によって、継続性を担保するのが困難になってきたからだ。

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