イギリスの後悔 EU離脱から丸1年 – 木村正人

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昨年10月、保守党大会で演説するジョンソン首相(筆者撮影)

世論調査で半数以上が「EU離脱は考えていた以上に悪い方向に」と回答

[ロンドン発]2022年元日、イギリスが欧州連合(EU)から完全に離脱して1年が経った。ボリス・ジョンソン英首相に象徴されていた強硬離脱派はEUの規制と官僚主義を打破して主権と自由を取り戻すと大見得を切って見せたものの、コロナによる混乱の中、貿易や物流は停滞、インフレも抑えられず、ジョンソン政権は窮地に立たされている。

昨年12月、EUとの交渉を任されてきた首相側近のデービッド・フロスト上院議員が英国首席交渉官を辞任した。書簡で「政府の課題はEU離脱がもたらす機会を活かすことだ。しかし現在進んでいる方向性に懸念を抱いている。可能な限り早く規制緩和、減税、起業家精神に富む経済改革、先端科学を実現することを望む」と不満をあらわにした。

感染力が強く、ワクチンによる免疫を回避するオミクロン株の流行でジョンソン首相がワクチンパスポート導入など経済活動を規制したことにも反発していた。自由至上主義と小さな政府を信奉するリバタリアンのフロスト氏ら強硬離脱派は格差解消のため増税、大きな政府に舵を切り、EUに宥和(ゆうわ)的な姿勢を取り始めたジョンソン首相に我慢ならなくなっている。

コロナ規制を強化する法案の採決では与党・保守党から99人もの造反を出しながら、最大野党・労働党の賛成で成立にこぎつけられた。EU離脱を巡る政治の分断は国民投票から約5年半を経ても何一つ解消されていない。離脱交渉の最後のトゲだった北アイルランドの国境問題もくすぶり続けている。

EU側のアイルランドと英・北アイルランド間の通関手続きを撤廃すれば北アイルランドと英本土間の手続きが発生するパズルを解くカギはまだ見つかっていない。フロスト氏の後任として英首席交渉官を兼務するリズ・トラス英外相は北アイルランド・英本土間の非関税障壁解消を最優先課題に掲げ、EUの譲歩が得られない場合、取り決めをいったん無効化する強硬姿勢を見せる。

昨年12月の世論調査では有権者6割以上がEU離脱は考えていた以上に悪い方向に進んでいると回答。2016年の国民投票で離脱に投票した人でも42%がEU離脱による結果について否定的な見方を示した。総選挙と統一地方選に大勝して慢心したジョンソン首相は自堕落な不祥事が次から次へと発覚し、支持率は66%から23%に急落している。

EU離脱が大成功するカギは「ある分野」か

英予算責任局(OBR)によると、EU向け輸出(財)は移行期間終了前の20年12月に比べ昨年1月に45%減少し、昨年8月になっても15%程度下回っていた。EUからの輸入(財)も昨年1月に同比30%超減り、昨年8月にはまだ同比20%前後減少していた。昨年8月時点で非EU地域との貿易は19年比で7%減にとどまったのに対し対EUでは15%も落ち込んでいた。

OBRはEU離脱によってイギリスの貿易額は残留していた場合に比べ最終的に15%減少し、今後10年間で潜在的な生産性も4%低下すると推定する。英商工会議所が981社を対象にした調査では、45%がEUとの通商協力協定に基づく財貿易のルールに適応するのが困難と回答。サービス貿易では23%、人の移動では20%、データ移動は9%が困難と回答していた。

英政府はEU離脱後、日本や韓国、シンガポールを含む67カ国と自由貿易協定(FTA)を結ぶとともに、アングロサクソン系のアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドとFTA交渉に入り、環太平洋経済連携協定(TPP)加盟を目指している。しかし最大の貿易相手のEUとの間に生じた障壁による落ち込みを埋められていないのが実情だ。

ビジネス投資もEU離脱を選択した16年の国民投票を境に頭打ちになり、コロナ危機で落ち込んだあと、十分には回復していない。一方、昨年9月までの1年間に発給された査証(ビザ)は減少したものの、就労関連を見ると20年比55%増の20万5528件。コロナ危機前の19年に比べても9%増えていた。

イギリス最大の強みはワクチン開発や変異株の探知、感染予測モデリングでも証明された科学力だ。英高等教育専門誌THEによる世界大学ランキングには1位オックスフォード大学、5位タイのケンブリッジ大学、12位インペリアル・カレッジ・ロンドン、18位タイのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)をはじめ28校がトップ200校に名を連ねる。

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昨年9月までの1年間の就学査証発給は42万8428件。前年比143%、コロナ前の前々年比でも55%増えていた。世界トップクラスの大学に支えられた研究開発力は評価額10億ドル以上の未上場スタートアップであるユニコーンだけでなく、日本にも上陸したデジタル銀行「レボリュート」など評価額100億ドル以上の「デカコーン(ユニコーンの10倍を意味する造語)」を産み落としている。

昨年4月時点でユニコーンの数はアメリカ288社、中国133社、インド32社に次ぐ世界4位の27社。欧州勢ではドイツ15社、フランス8社を引き離す。昨年、ロンドンで上場した企業は海外送金サービス「ワイズ」、出前サービス「デリバルー」など108社、資金調達額は139億ポンド(約2兆1800億円)にのぼった。

19年の35社、20年の38社を大きく上回ったことからイギリスの「IPO(新規公開株)元年」と呼ばれる。これまでイギリスではAIを開発する非公開企業ディープマインドはグーグルに買収され、半導体設計アームはソフトバンクグループに買収されたあと米NVIDIAに転売されている。

こうした「金の卵」からアメリカのアルファベット(グーグル)やアマゾン、アップル、メタ(フェイスブック)、マイクロソフトといったビッグテック(GAFAM)やmRNAワクチンで一躍有名になった米モデルナのようなバイオテック企業が生まれてくればイギリスのEU離脱は大成功を収めるかもしれない。

ドーバー海峡を渡る難民を巡り対立を深める英仏

しかし平和と繁栄のプロジェクトに後足で砂をかけるように飛び出したイギリスへの風当たりは厳しい。ジョンソン首相を目の敵にするのが4月に大統領選を控えるエマニュエル・マクロン仏大統領だ。極右や右派の分裂で再選の可能性が高まっているものの一時、極右・国民連合のマリーヌ・ルペン党首に逆転されていたこともあり、神経を尖らせている。

マクロン大統領はEU離脱交渉の漁業権を巡っても非妥協的な態度を貫き、ジョンソン首相を追い詰めた。今はフランスから小型ボートでドーバー海峡を渡ってイギリスに密航する難民で対立は先鋭化している。昨年11月には1日に海峡を渡る難民が1185人を数え、1年間で前年の3倍以上の2万8395人に達した。難民27人が溺死する悲劇も起きている。

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フランスが国境管理を強化せず、海峡を渡る難民を黙認していると、ジョンソン首相はマクロン大統領にイギリスに到着した難民を引き取るようツイッターで呼びかけ、同大統領の神経を逆なでした。英テレビでは、砂浜から小型ボートに乗り込み、海峡に出る難民をフランスの警察官が遠くから眺めているだけの様子が繰り返し放送されている。

アメリカとイギリスがオーストラリアの原子力潜水艦配備に協力する安全保障パートナーシップ「AUKUS(オーカス)」の締結を全く知らされていなかったマクロン大統領は潜水艦建造契約を一方的に白紙撤回されたことにも激怒している。国際社会で大恥をかかされた上、潜水艦建造による将来の雇用機会まで奪われてしまったからだ。

イギリスは世界に先駆けてコロナワクチンの集団予防接種を展開したが、EU諸国から「抜け駆け」との批判を浴び、オックスフォード大学と英製薬大手アストラゼネカが共同開発したワクチンの輸出や安全性に関してもEU側との軋轢が表面化した。27カ国4億4700万人を擁する巨大EUが離脱によって小回りを利かせようとするイギリスの前に立ちはだかる。

昨年、英グラスゴーで開かれた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)でイギリスは議長国として見事な外交手腕を発揮した。気候変動対策や金融、データ活用のルール作り、遺伝子編集、AI開発でベストプラクティスを確立し、世界をリードしようと意気込むが、英政府の戦略は定まらない。

EUの官僚主義から逃れたことで英企業は逆に対EU貿易で膨大な書類を準備しなければならない矛盾に苛まれている。EUの規制から逃れようとすればするほどEU市場へのアクセスを失う永遠のパズルも解消されない。EU離脱とワクチン接種の成功で一時は「10年政権は確実」と称賛されたジョンソン首相は自らの失態で「終わりの始まり」に直面している。

今年5月の統一地方選でジョンソン首相が惨敗すれば、保守党の党首選が行われる可能性が高まっている。イギリスはEUに代わる新たな市場を見つけるしか生きる道がない。首相交代により真剣にEU離脱後の国家戦略を描くことができなければ、永遠に出口を見つけられないまま漂流を続けることになるだろう。

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