前教皇ベネディクト16世の「過去」

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過ぎ去った「時」が長くなると、残された「未来」は短くなる。長くなった「過去」が生きている人に襲い掛かり、昔の罪科を追及し出すことがあるものだ。ドイツのバイエルン州生まれ、今年4月16日で95歳になる名誉教皇ベネディクト16世(在位2005年4月~2013年2月)の話だ。

前教皇ベネディクト16世に会うフランシスコ教皇(2020年11月、撮影、バチカンニュース2021年12月10日付から

ベネディクト16世はバチカンでは久しく“教義の番人”といわれ恐れられてきた教理省長官(前身・異端裁判所)を務め、新ミレニアムの西暦2000年の記者会見では教会の過去の不祥事をヨハネ・パウロ2世に代わり正式に謝罪するなど、コンクラーベ(教皇選出会)で教皇に選ばれる前から世界のローマ・カトリック教会の中心的人物として活躍してきた。

教皇になる前はヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿と呼ばれていた。同枢機卿はバチカンに呼ばれる前、1977年から1982年までドイツのミュンヘン大司教区の大司教だった。今回の話はその時代の「過去」に生じた出来事についてだ。

ミュンヘン大司教区とフライジング教区での聖職者の性犯罪に関する報告書が今月20日、公表される。その報告書では当時大司教だったラッツィンガー枢機卿が登場する。被告人としてではないが、聖職者の未成年者への性犯罪への対応で意図的な遅滞があったという疑いが指摘されているのだ。厳密にいえば、性犯罪の共犯者の立場にあたる容疑だ。今回の報告書ではベネディクト16世のほか、フリードリヒ・ヴェッター枢機卿(1982~2007年)やラインハルト・マルクス枢機卿(2008年以降)ら、ミュンヘン大司教区の過去の責任者の名前も出てくる。

独週刊紙「ツァイト」によると、教会の元裁判官は、「大司教時代、そして教理省長官時代にかけ、ベネディクト16世は性犯罪への対応で遅滞があった」と批判している。

同紙によると、「エッセン教区の神父ペーターHが1980年、未成年者に性的虐待を犯し、ミュンヘン大司教区に送られた。当時大司教だったラッツイガー大司教は同神父を治療のために病院に送ることに同意した。同大司教や他の教会指導者たちは神父への制裁を回避した。その結果、教会指導者として未成年者や青年たちを守るという責任を果たさなかった」という非難だ。

ペーターHはミュンヘン大司教区に移った後、牧会を継続し、29人の未成年者らに性的虐待をしている。彼は1986年、エーバースベルク地方裁判所で執行猶予付きの判決を受けたが、教区に復帰した。この期間はウェツター枢機卿(任期1982~2008年)がミュンヘン大司教だった。

そして2010年、ミュンヘン大司教区のゲルハルト・グルーバー司教総代理は、ラッツィンガー大司教時代に、H神父が再び教会で働くことを許可した責任を引き受けている。ラッツィンガー枢機卿はその時、第265代教皇ベネディクト16世となっていた。表現は悪いが、親分のために責任を被ったわけだ。ちなみに、2008年2月からミュンヘン大司教区となったマルクス枢機卿はHに対する内部調査を怠り、バチカンに事件を報告していなかった。

ベネディクト16世の教皇時代からの秘書、ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教は独日刊紙ビルド(1月14日)とのインタビューの中で、「ベネディクト16世は聖職者の性犯罪に関する調査とその公表を積極的に支持してきた。調査では質問に対して82頁に及ぶ書簡で答えている。ベネディクト16世は(聖職者の性犯罪の)犠牲者のためにも厳密な調査が行われることを願っている」という。同16世への容疑に対しては、「ベネディクト16世はH神父をミュンヘン大司教区に受け入れることを決定した時、同神父が性犯罪を犯していたという話を知らなかった」という。同16世自身、聖職者の性犯罪を恣意的に隠ぺいしたことはないと答えている。

ミュンヘン・フライジンク大司教区は、法律事務所「Westpfahl Spilker Wastl」(WSW)に、1945年から2019年までの期間における、聖職者、教会常勤職員による未成年者と成人への性的虐待について報告書を作成するように要請した。ベネディクト16世に関連する報告は350頁に及ぶ特別報告書の中でまとめられているという。報告書は今月20日公表され、その1週間後、大司教区が声明を発する予定だ。

ちなみに、WSWは2010年、ミュンヘン・フライシング大司教区の聖職者らの性犯罪について報告書をまとめたが、その一部しか公表されなかった。その理由は、大司教区の話では「関係者のデータ保護」からだという。今回の報告書では「(聖職者ら、教会関係者の性犯罪問題で)教会側の組織的な欠陥、責任者の対応ミス」が指摘されているという。

事件の核心が隠蔽された「過去」はいつまでも沈黙を続けることはない。27年間、バチカンを主導してきた「飛ぶ教皇」と呼ばれ人気のあったヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)について、これまで隠ぺいされてきた不都合な事実が暴露されてきた。近代の最高峰の神学者と言われてきたベネディクト16世も次の世界に行く前に過去の清算を強いられている。

<参考資料>

前教皇ベネディクト16世の『願い』」2021年10月27日
独枢機卿辞任劇の『事件の核心』」2021年6月16日
バチカンが防戦する『不都合な事実』」2020年11月22日


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年1月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。