自分の母校のことではありますが、嬉しいというより考えさせられたのが今年の箱根駅伝の結果です。駅伝の視聴率は80年代は20%に行くかどうかでしたが徐々にその人気が上がり、21年が往路31%、復路33.7%で最高を記録しています。今年はここまでいかないかもしれません。理由は青学が強すぎたからです。
復路だけ見ていると青学だけが異次元の走りとなっていて後続を引き離し、他の20校が従来の駅伝らしいつばぜり合いをしているという状況でした。ゴールしてみれば2位の順天堂大学を10分51秒も引き離しています。特にそこまで強い選手を持ってこないといわれる9区、10区で大会新を出せる余力すらあったのは驚愕以外の何物でもありません。
何が違うのだろうか、と考えると確かにエントリーメンバー全員が10キロを28分台で走る才能があったことは事実です。しかし、大学駅伝の強者チームなら全員とは言わなくても半数以上はそろえることは可能です。また27分台の選手を抱えるチームもあるわけで選手能力という点では差がないとは言いませんが、絶対的相違ではないでしょう。
駅伝と野球の巨人のチームを比較するとわかりやすいかもしれません。巨人は大金をはたいて有力選手を引き込み、絶対実力者で3番、4番、5番という軸を作り、ピッチャーの層も厚くするというチーム作りをします。そこには過去の実績を前提とするチーム内の上下関係を意識的に作っています。目立つ選手はスポーツ紙に連日取り上げられ、メディアの露出も多い一方、7割の選手はなかなかスポットライトが当たらず、ヒーローインタビューで時折陽の目を見るといった厳しい世界が待っています。典型的な日本の社会の縮図といってもよいでしょう。
ところが駅伝の基本はまず、4年でメンバーは総入れ替えになるのです。そしてまだカラダよりも精神面で十分に育っていない10代の選手たちですら正月のお化け番組のヒーローになれるのです。普通に考えれば舞い上がらないはずはないし、委縮しないはずもないのです。過去の実績も学生故にブレるのです。ブレるとはカラダと精神面のバランスにずれがあるからでしょう。
ここで原晋監督の経験が出ます。思うに原監督は選手の精神面を最大の着目点にしているのではないか、とみています。レースの時、コンディションも気持ちも最高に盛り上がるように調整させるのはどんな競技でも当たり前ですが、それが格段にうまいのだと思います。また駅伝は当日の入れ替えがあります。極論ですが野球はレギュラーと控え選手がほぼ明白に決まっていますが、駅伝には全員が絶対的レギュラーになるとは限らないのです。だから選手は必死で最後の最後までベストの調整をするでしょう。そのために16名のエントリー全員が一人もネガティブにならずに一丸となれる雰囲気づくりができるように仕向ける、これが強みだと思っています。
とすればヒーローを作らない、いや、俺もお前もヒーローになれるという高揚感こそがこのチームの特徴と言えます。
よく6割の普通と2割のできる人間と2割の落ちこぼれを社会の断面図としてとらえます。2:6:2の法則とも言われます。これが10:0ならばどうなるのでしょうか?普通の社会では必ず、俺が上だ、いや、お前には勝てないといった上下関係を作ると思いますが、極めて高いレベルで完全フラットさせることを成し遂げているのではないか、と思い始めています。それは以前、原監督が述べていたことにヒントがあります。
「この子たちは卒業すると普通の社会人になるんですよ」と。
北米で大学の寮に入った仲間とはかなり深い付き合いをするといわれています。彼らも卒業すれば皆、違う業種に散っていきます。しかし、20年ぐらいしてお互いがある程度の地位になってくると人脈がモノを言うようになります。その時、大学の寮で寝起きした関係は独特の連帯感を生むとされています。
青学の陸上部も寮生活で一定の制約の中で明白な目標を掲げ、多少の不自由を覚悟して二度と戻れない学生時代を駅伝に賭けるのです。そんな熱い4年間を過ごせるのはうらやましい限りです。今、満たされすぎている現代社会において誰もゲットできない自分だけの勲章、数千万人の人が見た駅伝で駆け抜ける人生を多くの若者、そして日本の方すべてに分かってもらいたいのです。4年限りの達成感を求める人生観を。
彼らの連帯感は20年後も熱く、きつく繋がっていると思います。そしてへこたれることはないでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月4日の記事より転載させていただきました。