「給与を引き上げた企業を支援するための税制を抜本的に強化します。企業の税額控除率を、大胆に引き上げます」
12月6日に行った所信表明演説でこう語った岸田文雄首相(64)。しかし、経済評論家の加谷珪一さんはこのように断言する。
「いいえ、税制優遇だけで給与は決まりません。企業への側面支援でしかないんです。逆に、経営が堅調で、もともと給与を上げようとしていた会社が、これを理由にして節税できることになってしまいます。給与を上げるには、『労働生産性』を上げる必要があります」
日本の生産性は米国の6割ほど
「時間あたり労働生産性(以下・生産性)」は、1人の従業員が1時間にどれくらいの製品やサービスを生み出したかを数値化したものだ。
「生産性の数式はシンプルで『付加価値(売上から原価などを除いた分)』÷『労働時間×労働者数』で、生産性が導き出せます」(加谷さん、以下同)
たとえば、10人の従業員が8時間かけて40万円の付加価値を生み出した場合、「40万円÷(8×10)」で生産性は「5,000円」という値になる。
12月17日、2020年の日本の時間あたり「労働生産性」がOECD加盟38カ国中23位、G7(先進国首脳会議)では最下位だということを日本生産性本部が発表した。その値は49.5ドル(約5,086円)で、米国は80.5ドル(約8,282円)の6割ほどの水準だという。
「日本の生産性の低さは、労働時間が長く労働者数も多いのに、そもそもの『儲けが小さい』ことが背景にあります。日本企業は終身雇用制で正社員の解雇は難しく、余剰人員は多い。一方、欧米はそれと比較して3分の2ほどの人数で生産しています」
それでは、どうすれば生産性を上げることができるのだろうか。
経営者のスキルの低さが生産性を下げる
「『生産性を上げる』には、(1)『付加価値』に対して『労働時間×労働者数』の割合を少なくする。(2)同じ『労働時間×労働者数』に対して、『付加価値』を多くする。(3)『付加価値』を多くして『労働時間×労働者数』を少なくする。この3つのパターンしかありません」
近年、「働き方改革」が叫ばれ、労働時間の短縮が図られている。さらに、各企業で早期・希望退職者を募る動きも増えているが……。
「しかし、現実問題として、10時間の労働時間を9時間できたとしても、3時間に減らすことはできません。労働者数もいきなり3分の1には減らせませんよね。生産性を上げるためには『付加価値を上げること』を最優先すべきなのは明白です。しかも、単純に言えば『売上を上げる』ことですから、青天井で伸ばせるチャンスがあるということなんです」
そのために必要なのが、まず経営者の意識改革だ。「日本の経営者のスキルを上げなければならない」と、加谷さんはいう。
「ドイツでは『利益を上げない会社は社会害悪だ』と認識されており、債務超過を放置した経営者には罰則があるくらいです。日本は逆で、大企業が破綻しそうになると国が補填して守ることさえある。諸外国の経営者は、『(経営者への)就任=チャレンジ』ですが、日本の経営者は『就任=ゴール』。日本の多くの上場企業では、経営者は年功序列型で、3、4年後には後輩に地位を禅譲します。そのため、短い任期中、冒険せず問題なく過ごして、無事に退職金をもらおう……という考えになる」
その結果、経営改革の意識もリーダーシップも希薄なのだという。
「経営改革を進めていくと、日本でも欧米でも反発はあるでしょう。しかし、欧米では、反対があっても経営者は改革を推し進めますし、それに乗り遅れる人は『クビにします』といえます。それを受け入れる社員も大変ですが、そのために勉強したり研修したりするので、個々のスキルアップにつながる。一方、日本は終身雇用が強く、経営者も反発する社員をクビにはできませんから、傍若無人になれず、反発されてまで改革を推し進めようしない。ローリスク・ローリターンの経営となる所以です」
企業、政府がスキルアップを後押しする
経営者が“チャレンジ”しないので、社員もスキルアップをしようという意識が働かない。その結果、社員が労働で生み出す「付加価値」も高まることはない。
「先日、私は外資系企業の近くのカフェに入ったんですが、隣にアメリカ人上司と日本人社員が座っていました。すると2人の会話が聞こえてきまして……。上司は、『君はすごく頑張っているが、想定レベルに達していないよね』と。言われている日本人社員は、かわいそうに顔面蒼白です。上司は続けて『アチーブメントプログラム(=研修)を受けてみないか』と。おそらく、それを受けて、かつスキルが上がらなければ、彼の行く手は暗いでしょう。外資系は、経営者も社員もプレッシャーのかかり方が違うんです」
近年、社員のスキルアップを通じて生産性を高めようという動きは、日本の一部大企業でも見られるようになった。
「先日、Yahoo! JAPANが約8千人の全社員に、AI、データサイエンティストなどの最新テクノロジーのスキルをアップさせるプログラムを始めることが明らかになりました。数年後には全員が身についていることが目標だといいます。オンライン講座などの設備費や環境は会社が準備し、後は個人で習得してくださいということ。また、GMOインターネットは2023年度から、新卒採用をエンジニアや統計のスキルがある人材に絞ると発表。ほかにもこうした方向にシフトする会社が出てきている。そうしないと生産性が上がらないんです」
しかし、こうした個々の民間企業の努力だけでは、日本全体の生産性を向上させるには至らないという。政治に求められることは多い。
「企業の経営のためのルール作りが不十分で、債務超過や不正会計への処罰が甘いことが経営者の甘えを生んでいます。さらに、日本は国策として『社会で通用するスキルを磨くための大学教育』をやらなければいけません。もうひとついえば、社会人になってから大学で学ぶ社会人入学率はOECDで最下位から数えて2番目なんです。そのために必要なのは大学教育の充実であり、それができているのは欧米です。日本はむしろ、お金がない人は大学に行くなというのが、昨今の雰囲気になりつつある。言われて久しい大学無償化を早急に進めるべきです」
会社への滅私奉公をやめるべき
私たちの意識改革も生産性の向上には必要不可欠だという。
「やはり、私たちにできるのは、経営者に対する接し方を変えること。上場企業の経営者が賞賛されるのは、『社長だから』ではなく、『高い責任感と能力を持っている人だから』でなければなりません。実績に対して評価すべきという理屈は、プロスポーツ選手が結果の有無で評価が変わるのと同じです」
長時間労働が当たり前という働き方も変えていく必要がある。
「会社への滅私奉公をやめるべきです。社員の多くが『もうこんな残業しないで帰る』と言って帰ったら、生産性を割り出す方程式の分母の一要素である『労働時間』が減ります。みんなが仕事の質を落とさず、私生活を大事にすれば、経営者が限られた労働時間で付加価値を上げるためのチャレンジや工夫を行い、生産性は高まっていくでしょう。さらにいえば、日本人が会社の株を買う習慣が浸透すれば、日本全体が、社員側が経営側に意見を言える空気になっていく。そうして社員の側からも広い意味で企業を底上げして行かないと、生産性は上がりませんし、生産性が上がらなければ給与アップにはなりません」