初代ファミコンと歳が近い。だけど、ゲーム機にほとんど触れたことがない。
40歳になり、もしかしたら一生このままなのかも……と思い始めていた。だが、ある日急に自宅にゲーム機を迎えることになった。
感想は
「現代にタイムスリップしてきた侍は、こんな気持ちになるのかな?」だった。
文明に震えのだ。遅すぎるってことはなかった。
のんびり構えていたら令和になっていた
興味がないわけじゃない。遊んでみたい。一度は買ってみたい。そう思いながら、気がついたら令和になっていた。
のんびりにもほどがある。
確固たる「やらない」の意思があったのならばともかく、なぜこんなにも触ってこなかったんだろう。自分でも不思議である。
ゲームとあまり触れ合うことなく、大人になるとどうなるのか。まず、ゲームをたしなんできた人よりも、ボタンの連打が苦手な大人に成長する。
むかし、飛行機で旅行したとき、座席のまえに備えついていたゲーム機をいじる友人の指の動きを見て、高橋名人じゃなくても、指ってこんなに高速に動くんだ!とびっくりした。
国民的ゲームへの認識もぼんやりしている。『鬼滅の刃』を読んだことがない人が、ふんわりと「鬼と刃物の話なんだろう」と考えているくらいの解像度だと思う。
スーパーマリオが何をしている人なのか、きのことの関係性が何なのかわかってない。この記事をかくために少し検索したときに、ルイージが双子の弟と知って「そうだったんだ!」と驚いた。ひげが生えているので、おじさんだと思っているのだが、違ったら教えてほしい。
ゲームをたしなんでいる人に対しては、ずっと「すごいな!」と思っている。たくさんの人の手で、長い歳月をかけて作られた制作物だ。一筋縄ではクリアできないはずだし、頭も使うのだろう。そこそこ集中力がないと、続けられない気もするのだ。
自分もやってみればいいじゃないか、とは思う。
だけど、やらないでいた時間が長くなればなるほど、おっくうな気持ちが増えていく。
連続ドラマを途中から見る感じに近いかもしれない。民放の1クールのドラマというよりは朝ドラや大河ドラマ。いちど見始めたらそれが習慣化され、当たり前になるのだろう。でも始める前までは、生活のなかにどう組み込めばいいのか想像がつかないのだ。
いつかやりたいという気持ちは、「このまま一生手を出さないかもしれない」気持ちに切り替わりつつあった。
なんだか悔しい。
そんなときである。
ビンゴで当たったのだ。ゲーム機が。ニンテンドースイッチが。
棚からぼたもち
噂に聞いたことはあった。いちばんよく耳にしたのは、ニンテンドースイッチに対応している、リングフィットアドベンチャーというゲームを「毎日やっていたら痩せた」という話である。
痩せる痩せないに個人差はありそうだが、コロナ禍でしっかり太った自分にぴったりではないか。
ゲオの中古ゲーム機のコーナーに並べられている本体機器を眺めながら、買ってみようかなぁと思ったこともあった。でも、勇気があと一歩足りなかった。
そんなときに、棚からぼたもちが落ちてきた。
受け取って抱きしめたとき、「これはよいものだ」と、箱の質感だけで伝わってきた。なくすような大きさじゃないけど、なくさないように大切に持って帰った。
持ち帰ってから、あけるまでには時間がかかった。テレビのとなりに置いたら、妙におさまりがよかったので、一週間以上そのままにしていたのだ。
時々箱を眺めながらうっとりしていた。遠足の前日の気分に近い感じである。
そしてそのまま年越ししそうになっていた。
優しい世界はすぐそばにあった
……とすっかり前置きが長くなってしまったのだが、ある休日の朝、意を決して箱に手をのばした。楽しいことが待っているはずなのに、大掃除くらい気が重かった。
接続までに1日かかったら、必要なケーブルが足りなかったら、接続の仕方がわからなかったらどうしよう。まずはそこから不安なのだ。機械に弱いから。
でも開けた瞬間、その瞬間から、ひゅるひゅると力が抜けた。
手順はふたつ。文字数も少ない。
わたしにも、できそうじゃないか。
入り口からすでにホスピタリティのかたまりだ。頭が「これなら理解できそうです!」って喜んでいる。ゲーム機側はずっとこちらに両手を広げてくれていたのだ。これが、あらゆる年齢層にむけて作られた制作物の包容力なのか。
電気とインターネットに接続したら、さらに衝撃が走った。
図のわかりやすさ。一度に映し出される文字数のちょうどよさ。画面が切り替わるスピードの的確さ。
1メートルごとに道案内がされているみたいだ。
わからなくても、置いていかれない。常に、ずっと、わかりやすい。どこにも行けそうな気がしてくる。
こんなに優しい世界があったんだ。
優しくないのはトレーニングの内容だけだった。
息切れしながら見つめた画面には……
がんばろう。
自動車の免許をとる勇気が出た
運動不足の人間がリングフィットアドベンチャーを続けるのは、そこそこハードそうだ。でも、操作にはまったくストレスがなかった。それは、使う人にストレスを感じさせないため、作り手が細かに計算してくれているからなんだろう。
このプロダクトにどれだけの人が関わり、エネルギーを注いできたのか、考えていたら胸がいっぱいになってしまった。
ともあれ、ずっとやったことのなかったものに手を出し、優しく迎え入れてもらったおかげで、ほかのことにも挑戦したい気持ちがわいてきている。
いきなり飛躍しすぎているかもしれないが、もう一生運転することはないと思っていた、自動車の免許がとろうかと思い始めた。
来年の今頃には無事とれているといいな、免許。