競馬界のレジェンド・武豊騎手が、何度挑んでも跳ね返され続けてきた関門・朝日杯FSで、遂に「22度目の正直」を果たした。
3番人気、ハーツクライ産駒・ドウデュースでの差し切り勝ち。
「何で勝てないんだ」「七不思議」とずっと言われてきていたものの、冷静に考えれば元々は中山競馬場で行われていた「関東地区」のレースで、初騎乗はデビューしてしばらく経った1994年。文句なしの全国区の騎手になってからも途中何年も騎乗していないときもあったりしたから、確率的にはそこまで・・・というわけではない。
舞台が阪神競馬場に移って間もない2015年、絶対視されていたエアスピネルでこのレースを落とした時には、ちょっと嫌な予感はした。
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だが、その後も意地を見せるかのように毎年騎乗。
2019年のタイセイビジョンの2着を挟んで、今回、馬主・キーファーズ、調教師は友道康夫師、というまさに武豊騎手のために用意されたセッティングで、何とか”不思議”の伝説を払拭することができた。
残念なのは、4年前、ホープフルSが平地GⅠに昇格したことで、エアスピネルの時はまだ「最後の一冠」だったこのレースが、「ラスト二冠の一つ」になってしまっていたこと。
自分のような、更新されたはずの知識が時々バグる世代の方の中には、今日のゴールシーンを見て思わず「平地全GⅠ制覇おめでとう!!」と叫んでしまった人も少なからずいたと思うが、アンカツ氏が何を言おうと、公式にはまだ「完全制覇」ではない。
ただ、この記事を書くために過去のブログ記事を見返して気付いたのは、武豊騎手が約10年前、サダムパテックで「初めてのリーチ」をかけた時点で、既に「かつてのNo.1」という形容詞を付けてしまうような大ベテランだった、ということ。
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そして、その頃、武豊騎手がGⅠを勝つたびに、「もうこれが最後になるんじゃないか・・・」とドキドキしながら記事を書いていたのに*1、それ以降も彼のGⅠ勝利記録はまだまだ更新し続けられている、ということ。
ノーザンファーム系の馬主が外国人や若い騎手に手綱を委ねる方向に流れても、キタサンブラックのような超名馬がめぐってくる。
50代に突入しても、今回2度目のリーチに貢献したキーファーズや今年から参入した藤田晋氏のように「やっぱり武豊でなきゃ」という馬主が出てくる。
そうやって積み重ねていった結果が、昨年、一昨年の3ケタ勝利。今年はさすがに現時点で75勝にとどまっているものの、今日の勝利で2年ぶりのGⅠ勝利も手に入れた。
ここまで来るともう、何とも形容する言葉が思い浮かばない。
これで再び、9年ぶり2度目の「完全制覇リーチ」となった武豊騎手が、現役生活の中で、最後のホープフルSのタイトルを手に入れられるのか、今の時点では何とも言えないところはある*2。
ただ、これまで「ここで勝ったら出来すぎだろう」というところで、何度も美味しいところを持っていったのがこの千両役者。
もう一度、様々なめぐり合わせも重なって、最後に不世出の大記録が打ち立てられる日まで声援を送り続けたい、と今は思っているところである。