急死ダービー馬 騎手と叶えた夢 – 村林建志郎

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「大きな自信をワグネリアンにもらった」

2021年の日本ダービーをシャフリヤールで制した福永祐一が、勝利ジョッキーインタビューで語った言葉である。

2020年にもコントレイルでダービーを制している福永祐一は、ここ4年で3度ダービーを制しているのだが、2018年の記念すべき初勝利で騎乗していたのがワグネリアンだった。

寂しいニュースが飛び込んできたのは、年が明けてまもない2022年1月6日。

ワグネリアンが、多臓器不全で急死。昨年のジャパンカップ後に体調を崩し、治療が施されるも年末に容体が急変、1月5日に栗東トレセン内の入院馬房で天国に旅立った。

骨折でリハビリ中の福永も駆けつけ、盟友を追悼。以下のコメントを寄せた。

「本当に残念です。昨年末から具合が悪いとは聞いていましたが、ここまで悪くなっているとは思いませんでした。関わってくださった方々が手を尽くした結果なので仕方がないことなのですが、残念です。自分の人生を変えてくれた、特別な思い入れのある馬。ダービー後はワグネリアンに何も返すことができなかったことが心残りです。素晴らしい経験をさせてもらって感謝しかありません。心からご冥福をお祈りします」

ワグネリアン急死 18年ダービー馬 福永「自分の人生を変えてくれた」)より引用

衝撃のデビュー、クラシック戦線の主役に

ワグネリアンでまず思い出されるのはデビュー戦だ。同世代の有力馬ヘンリーバローズとの壮絶な叩き合いを上がり3F32秒6の末脚で制したレースは、あまりに強烈な印象を私に残した。

連勝街道を突っ走りクラシック戦線の主役に躍り出たワグネリアンは、弥生賞(現:弥生賞ディープインパクト記念)で前年に2歳王者となっていたダノンプレミアムの後塵を拝し2着となった後、クラシック1冠目の皐月賞に出走。ダノンプレミアムが直前に回避したこともあり1番人気に支持されるも、稍重の馬場で7番人気(エポカドーロ)→9番人気(サンリヴァル)→8番人気(ジェネラーレウーノ)の順で決着するという大荒れのレースで7着に甘んじた。

そして、すべてのホースマンが夢見る最高の舞台、日本ダービー。

皐月賞で1番人気ながら7着に甘んじたのが影響したのか、ダービーでの単勝人気は5番人気。それでもデビュー戦以降すべてのレースでワグネリアンに騎乗していた福永にとっては、満を持してのダービー参戦となった。

2018年5月27日、五月晴れの東京競馬場は良馬場。絶好のダービー日和だった。

ワグネリアンが引いた枠はピンク帽の8枠17番。外枠が不利といわれるダービーで、アンラッキーな枠を引いてしまったように見えた。それでもスタートしてから後方に待機することなく前へ進出、第4コーナーを回って迎えた運命のホームストレッチで先頭の皐月賞馬エポカドーロに襲いかかる。1番人気ダノンプレミアム、2番人気ブラストワンピースも猛追するが、ゴール前残り50mのところでようやくエポカドーロをとらえたワグネリアンが勝利した。福永祐一は、自身19回目の挑戦にして初のダービー勝利となった。

共同通信社

そしてこの勝利は、福永祐一のみならず、”福永家”が悲願を叶えた瞬間でもあった。

競馬ファンならご存知だと思うが、福永祐一の父親・洋一氏は元騎手で、かつて天才ジョッキーといわれた方だ。落馬事故で騎手生命を断たれるまで9年連続で年間最多勝、皐月賞や菊花賞など数々のGⅠ勝利を手にしたのだが、その洋一氏でも手に入れられなかったのが、「ダービージョッキー」という称号だった。

祐一自身、1998年のダービーでは初挑戦ながら2番人気のキングヘイローに騎乗し14着、1番人気のワールドエースで挑んだ2012年は4着、翌年はエピファネイアで挑むも最後の最後にキズナに差され2着。なかなかダービージョッキーの称号は手に届かなかった。

洋一氏から紡がれてきた福永家の悲願はワグネリアンとともに叶えられ、人馬ともに平成最後のダービー馬、ダービージョッキーという最高の名誉を手にしたのである。

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母亡き後の神戸新聞杯…そして3年間遠ざかった勝利

2018年9月6日午前3時07分、北海道胆振東部地震が発生。

震度6強を計測した安平町のノーザンファームでけい養されていたワグネリアンの母・ミスアンコールが犠牲となった。夜間放牧中に被災し、明け方に左後肢飛節の骨折が判明、そのまま安楽死処分となってしまったのである。

この時の心境はよく覚えている。

そもそも北海道出身の私にとってみれば、故郷が被災したことになる。友達数人に連絡をとり、函館に住む祖母にも連絡をとった。幸いみんな無事だったのだが、競馬ファンの私としてはノーザンファームの状況も気が気ではなかった。当初ノーザンファーム自体は無事だという情報を聞いていたのだが、結果的にミスアンコールが唯一の犠牲馬となってしまったのだ。

息子がダービー馬になった瞬間を見届けてから旅立った、なんていう綺麗事はとてもじゃないが言えない。あまりに美辞麗句に見える。ワグネリアンのファンとしては、ミスアンコールにはダービー馬の”これから”をずっと見守ってほしかった。

それから約2週間後に阪神競馬場で行われたGⅡ神戸新聞杯。ダービー以来初のレースとなったワグネリアンは、ダービー2着のエポカドーロ、4着のエタリオウを退け勝利。ミスアンコールの訃報を聞いていた私としては、このGⅡ勝利が、ただダービー馬としてのプライドと意地を見せつけたものではないように思えた。落馬負傷した福永に代わり代打騎乗となった藤岡康太、友道康夫厩舎、オーナーの金子真人氏など、たくさんの関係者の思いを乗せて亡き母へ贈ったGⅡ勝利だったはずだ。

その後は翌年の大阪杯(3着)、札幌記念(4着)など好走が続くも勝ち星を上げることができず、2020年の宝塚記念では着順掲示板を外す13着。昨年の富士ステークスでは6歳にして初のマイル挑戦(6着)。ダービー馬4頭が集結したジャパンカップでは最下位の18着に沈み、結果的にはこれがラストランとなった。

神戸新聞杯以降の3年間で、ワグネリアンがゴール板を先頭で駆け抜けることはなかった。それでも、多くのレースで安定的に上位人気になった事実が示しているのは、ワグネリアンが強い馬であるということ、それをみんなが知っているということだ。そしてこれから私たちがすべきことは、ワグネリアンの輝きをいつまでも忘れないことだと思っている。

福永祐一はまだまだ最高の騎乗を、素晴らしい騎乗を、かっこいい騎乗を私たちに見せてくれるだろう。

そんな福永の騎乗には、いつまでもワグネリアンがともにある。

共同通信社

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