私も支援するNPO法人で現在、「脳の運動教室」を展開しています。カナダでは「脳トレ」という分野が学術的に確立されておらず、誤解を招くという観点でその言葉が使えないのです。(というか、脳トレという言葉が使えるのは日本だけかもしれません。)現在提供しているプログラムは外務省の支援金に基づき、全20回のコースをオンラインで開催しているため、バンクーバーのみならず、広くカナダ全域から参加者があります。私も何度か参加していますし、講演もしました。
一回2時間で一般的な脳トレプログラムは全部網羅されており、非常によくできた構成でこれが無料で受講できるならずっとやってもらいたいと思うぐらいです。
さて、そこに毎週参加される方々のモチベーションは何か、と考えると二つ思い浮かびます。一つはオンラインながらも皆さんの顔が見える、そしてプログラムの途中で小部屋に分かれて他の参加者と密接なつながりや軽いやり取りができるので頑張らなきゃ、という気持ちにさせるようです。
もう一つは20回すべての回で違ったテーマで約30分の講演があるのです。講師は専門家の時もあれば私のような時もあればスタッフがやるときもあります。旅行テーマは人気があり、オンラインで見ているだけで行きたくなるような内容で私も思わず、へぇーと唸るような内容が連続しています。
脳トレも教育の一環だと思うのです。脳トレは継続することが最大のポイントですが、また来たくなると思わせる工夫が必要だと思うのです。一般的なプログラムだけは落ちこぼれ続出になるのです。
では私のこのブログはどうでしょうか?以前から申し上げているように私の書く内容より皆様のコメントの方がはるかに面白いのです。皆さん、真摯できちんと言葉にしてコメントをくださっています。毎日、見に来て下さる方が多いのは毎日テーマを変えること、日本時間の午前10時に絶対に裏切らずアップされること、もう一つ敢えて言うなら私は断言調をあまり使わないようにしている点でしょうか?つまり、誰でも「おまえ、それ、ちゃうやろー」という突っ込みを入れやすくしています。
私は以前、ハーバード大学教授のマイケル サンデル氏の授業風景を見て強烈な印象を持ったのです。学生は車座のような形で座り、全員お互いの顔が見えます。そして教授の与えるテーマに対して学生が様々な意見を発するわけです。教授はテーマだけ与えているので答えはすぐには分かりません。学生たちの議論の中から答えを模索し、最後に教授がまとめる、という流れでしょうか?
私は学問に絶対的な答えはない、と北米にきて学びました。もちろん、ルールや法則で決まっているものは別ですが、多くの社会問題に画一的な答えはありません。私もご多分に漏れず、偏差値世代で答えは一つという受験戦争を経てきました。それゆえに「考える」ということは実に新鮮だったのです。このブログは実はサンデル教授のように考える、という要素を取り入れています。つまり、どうだろうか、と投げかけ、それに対して一定の道徳的規範をもったコメント意見を通して議論をしていただくのです。実はこれ、寺子屋式でもあると考えています。
私の描く寺子屋式とは上から押さえつける教育ではなく、テーマを深掘りし、考え、議論をすることです。私が所属するもう一つのNPOでは「ばんてら」というイベントを私の発案でやり始め、現在、5年目が終わるところです。これもほぼ毎回、議論百出、だけど答えは出ないテーマが多いのです。でも集中して様々な意見を出し合い、インプットがあることが全ての参加者にとって最大のお土産になるのです。
教育とは授業なり、講義なりが終わった時、「気づき」がないとだめです。なるほどねぇ、と発見が欲しいのです。だけど、学校教育では興味がない人に興味がないまま押し付けるから身につかないのです。私なんてこの歳になって司馬遼太郎を貪るように読み、初めて歴史がスーッと頭に入ってきたのです。小中高で習ったことがようやく「あぁ、そうだったのか」となったのです。
日本電産の永守重信氏が立ち上げた京都先端科学大学に関して「ブランド主義が大学改革の壁」(日経)とあります。ブランド主義と言われると私は非常に頭が痛いのです。それは私の母校はブランドの塊。関東、東海地区では圧倒的NO1のブランド力。高校生が一番行きたい大学とまで言われています。私はその高校からなのですが、その当時、田中康夫氏の「なんとなく、クリスタル」が発売され、私の母校がモデルではないかと思わせ、イメージ先行型になったと思います。
ブランドは永守氏がそこまで否定するほど悪くはないと思いますが、学生がそのイメージで引っ張られることに対して質実剛健な氏には軟弱と映るのでしょう。どちらが良いかは判断できませんが、卒業した時、学んだなぁ、と思うことが大事だと思っています。そしてもっと学びたい、と継続の意欲が湧くことこそ本当の教育の在り方だと思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年11月4日の記事より転載させていただきました。