総選挙の投開票日を31日に控え、原発事故被害者たちがジレンマを抱えている。2011年3月の事故発生直後、当時の枝野幸男官房長官が連呼した「ただちに影響ない」が魚の小骨のように喉に引っかかっているのだ。放射性物質は避難指示区域外にも大量に降り注いだが、政府は被曝リスクに正面から向き合わなかった。
わが子を被曝から守ろうと必死だった親は「せめて謝罪を」と願う。「枝野だけは許せない」と憤る人も。しかし、政権交代のためにはグッとこらえて野党統一候補に投票する…。立憲民主党の枝野代表に贈る、これが原発事故被害者の声だ。
【「まずは謝って欲しい」】
自民党総裁選がニュースの〝主役〟となっていた今年9月、SNSにこんな言葉が書き込まれた。書き込んだのは福島県から県外に〝自主避難〟している人だった。
「あの時の『ただちに影響ない』は許せない」
この想いは実は、原発事故発生から10年半が経った今でも、福島で被災した多くの人々に共通している。
いわき市で学校や公園などの放射線量測定を続けている千葉由美さんは「あの時、子どもに初期被曝させてしまったことを悔やんで自分を責めている母親はたくさんいます。『あの言葉は間違いだった』と言うか言わないかは重要ではないでしょうか。そうでなければ『立憲民主党に投票するが、それはあくまでも政権交代のため』という人は多いと思います」と話す。
浪江町で今なお帰還困難区域になっている津島地区。中通りに避難した男性は激しく怒っている。
「放射性物質の拡散を私たちにいち早く知らせることができたはず。それなのに『直ちに影響は無い』しか言わなかった。津島に住んでいた私たちや、津島に避難してきた皆が無用な被曝を強いられたのです。井戸水が枯れてしまい、積もった雪をペットボトルに入れて溶かして飲んだ人もいたんですよ。『ただちに影響ない』のなら、なぜ私たちの住まいは今も帰還困難区域なのですか?まずは謝罪を。そうすれば共感できる人もいるでしょう」
飯舘村で〝測定の鬼〟と呼ばれる伊藤延由さんも「あの発言の説明責任を果たせと言い続けます。被曝のリスクを説明していない。当時の責任者として責任を果たせと言いたいです。本来は『ここは住んではいけない』と国が宣言すべきだと思う」と指摘した。
中通りで暮らす女性は「私が一番謝罪してほしい点は、福島県だけ追加被曝線量を年1ミリシーベルトから年20ミリシーベルトに引き上げたこと。間違った決定に対する謝罪が必要です」と語った。そのうえで「枝野さんが謝罪しないとしても、今回の選挙では最悪の自公政権を覆すために、野党統一候補を応援しています」とも口にした。
10年前、民主党政権の官房長官として連日記者会見を開いた枝野代表。当時の発言に対しては「正しい情報を住民に伝えずに、安全宣伝を垂れ流していた」との怒りの声が今も多い
【「過剰反応しないで」まで】
2011年3月16日午後に開かれた記者会見。官房長官だった枝野氏は、実に6回にわたって〝あの言葉〟を口にしていた。
「本日測定をされ、発表をされた数値については、直ちに人体に影響を及ぼす数値ではないというのが、現在の概略的な御報告でございます」
「現在、特に20~30kmの圏内において、本日文部科学省においてモニタリングをいただき、文部科学省から公表される数値について、専門家の皆さんのまずは概略的な分析の報告に基づきますと、直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」
「こうした地域で、例えば365日24時間、屋外でこの数値の場所にいた場合に問題が出るかもしれないといったようなレベルでありまして、短時間こうした地域で、外で活動する、あるいはこうした地域に数日という単位でおられるということで人体に影響を及ぼすといった数値ではないということでございますので、その点については御安心をいただければと思っております」
「先ほど申しましたとおり、20~30kmの地点のモニタリングの数値は、当該地域において、例えばその地域の中に入ること等が人体に影響を及ぼすような数値のモニタリングはできておりません」
「是非御理解をいただきたいのは、屋内退避の出ている地域においても、当該地域で屋外で一定の活動をしても、それが直ちに人体に影響を及ぼすような数値ではありません」
そして、こうも言った。
「30kmから越えている地域、例えばいわき市は大部分の地域が30kmから越えている地域でございますので、そうした意味では過剰な反応をすることなく、しっかりとこうした地域の皆さんに物流で物を届けていただきたい」
郡山市から静岡県に避難・移住した長谷川克己さんは「『これからどうなっていくのだろうか』という切迫感、焦燥感のなかで、枝野官房長官が連呼した言葉はとても玉虫色で意味深で、不思議な響きの言葉だった」と振り返る。
「今さら謝ってもらいたいとの気持ちすらわかない一方、『枝野さん、あなた自身はそれで良いのか?』とも思います」
特に幼い子どもがいる親は、わが子を被曝リスクから守ることに必死だった。だからこそ「ただちに影響ない」などという言葉ではなく被曝リスクの情報、もっと言えば国の責任で避難させて欲しかったと考えるのは当然だ
【「最善を尽くしたつもり」】
20日午前、福島県川俣町のスーパー「ファンズ」前で応援演説を行った枝野代表は「10年前の原発事故で川俣町の皆さん、山木屋地区の皆さんを中心に大変なご苦労をおかけしました。私なりに最善を尽くしたつもりではありますが、至らない点があったのではないだろうか。今も忸怩たる想いであります」と述べた。
「復興はまだまだこれからだ。私自身が強く感じています。物の面では一定の復興は進んでいます。でも、あの地震と津波と原発事故で壊されてしまった人と人とのつながり、地域の活力。そうしたものをしっかりと取り戻していくために引き続き全力を挙げてまいります。そのことが、あのとき官房長官として危機管理の先頭に立った私の責任だと思っています」
しかし、「至らない点」とは何を指すのか、言及はなかった。2017年の前回総選挙の応援演説で福島市を訪れた際にも、枝野代表は「原発事故の避難地域。年配の皆さんは長く住んだ故郷に1日も早く帰りたい。でも若い皆さんはお子さんの放射能のことが心配だ…帰りたい。帰った方が良いのかな。帰らない。帰らない方が良いのかな。それぞれの心のなかにも、いろんな複雑な想いがある」などと語るにとどまった。
立憲民主党の関係者は「あの件は既に何度も頭を下げている」と不快感を示す。たが、「謝罪された」と実感している人はどれだけいるだろうか。
浜通りから福島県外へ避難した女性は「『脱原発』を政治利用してるだけで、本気の姿勢はあの党には感じない。枝野氏からは何も感じない」と厳しい。
田村市の男性も「逆に将来の不安感を煽る発言でもあったのだから、あの発言には何らかの言及なり謝罪なりがあって然るべきです。少なくともあの発言に至った経緯は説明するべきではないか。それもなく、選挙の時だけ福島に来てパフォーマンスをするのは野党も与党もやめていただきたい」と怒りを口にした。
一方、中通りから〝自主避難〟した女性は複雑な想いを明かす。
「当時は絶対に許せないとまで思いました。謝罪する事ができたのではいないかと。しかし、いつまでも憎み、怨み続ける事は私自身が鬼と化す。いつも怖い、険しい顔で過ごす事は身体にも心にも良くないですから」
10年前の原発事故対応は許せないが、いつまでも怒りを抱えてばかりもいられない。政権交代のために怒りをこらえる…。この気持ちを枝野代表はどれだけ理解しているだろうか。
(了)