小林よしのり『コロナ論』から分かるマスメディアと「専門家」の危うさ

アゴラ 言論プラットフォーム

漫画家・小林よしのり氏の漫画『コロナ論 』と『コロナ論2』(何れも扶桑社、2020)が併せて10万部を超える勢いで売れている。新型コロナウイルスに狂奔する政治家・専門家・マスメディア・国民を一刀両断する内容であるだけに、それを書評などで取り上げるメディアは殆どなく、小林氏によると「無視」されている現状だという。

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私もこれまで言論プラットフォーム「アゴラ」などにおいて、緊急事態宣言など政府の過剰な対応を批判してきた立場であり、小林氏の見解に大いに同意するところである。そこで、本稿では『コロナ論2』を参照しつつ、マスメディアに登場する専門家の危うさについて見ていきたい。

小林氏は『羽鳥モーニングショー』(テレビ朝日)に連日のように出演していた岡田晴恵(白鴎大学教授、専門は感染症学)を特に指弾している。それは、なぜか。

新型コロナウイルスの治療薬として期待されていた「アビガン」を岡田氏が「政府には、アビガンをとにかく早く承認していただいて・・早く患者さんを見つけ、早くアビガンを与え・・岡江久美子さんもアビガン投与ができていれば・・医療従事者にはアビガンを持たせ、症状が出たらすぐ飲めば、院内感染から守れると」と執拗に推薦していたからだ。

しかし、アビガンという薬は、妊婦のお腹の中にいる胎児に障害が現れたり(催奇形性)、同薬を投与された人が「223名が死亡」(1918名中。致死率11.6%)したりする危険な薬であったのだ。

アビガンの観察・研究を行ってきた藤田医科大学は、アビガン投与による「有効性は確認できなかった」として研究を終えている。そのような薬を「医師免許」も「薬剤師免許」も取得していない岡田氏が強烈に推薦していたのである。

更に岡田氏は前述の番組に出演し「2週間後の東京は今のニューヨークです。地獄になる」などと煽っていた。東京が「地獄」にならなかったことは、歴史が証明していよう。岡田氏は「感染者が悪いということではないんですね」と述べつつも「誰がウイルスをまき散らしているかわからない」「人を見たらコロナと思え」ということを一方で主張している。

小林氏が言うように「恐怖を煽りながら、差別はいけないというのは、完全なる二重規範」である。もちろん、コロナの恐怖を煽っているのは、岡田氏のみではない。連日、過剰なコロナ報道を続けるマスメディア全体が、恐怖の醸成に一役買っているといえよう。

最近では「野戦病院」などというおどろおどろしい用語が登場したが、これも過剰な表現であろう。療養施設や臨時病院などの言い方でも良かったはずだ。元厚労省医系技官で医師の木村盛世氏は「羽鳥慎一のモーニングショー」に出演したが、その際、番組関係者から「この話題は長引きますよ。この新型コロナ、ガンガン煽って、ガンガン行きましょう」という趣旨の発言があったという。

また、同番組に出演しているテレ朝局員の玉川徹氏は「煽っていると言われるくらいでいい。もっと強い手を打っておけばよかったって思うよりは、強めに言っておいて、そうでもなかったというほうがいい」との発言をしたとされる(藤井聡・木村盛世『ゼロコロナという病』産経新聞出版)。

これらの発言は一体、何であろうか? 1つには、コロナの恐怖を煽ることによって、視聴者を引きつけ、視聴率を上げたい、そうした想いがあるのだろう。もう1つは「善意」ではないか(好意的に解釈するとであるが)。先の岡田氏の発言にしても、玉川氏の発言にしても「悪意」から出た可能性が低いように思う。目の前のコロナ患者を救いたい、コロナの感染拡大を防ぎたい、そうした思いから、前述のような発言へと繋がったのだろう。

しかし、私は過度な「善意」こそ危険だと感じている。主張している本人は「善意」からの発言と思い込んでいるだけに軌道修正をなかなかしないだろうし、近視眼的になりがちだからである。「煽っていると言われるくらいでいい。もっと強い手を打っておけば」という発言の裏で、泣いている、苦しんでいる人がどれだけいることか。緊急事態宣言下で、廃業した人、精神的に苦しんでいる人、路頭に迷っている人、自殺した人。そうした人々の前で「煽っていると言われるくらいでいい」などと言えるであろうか。

善意は盲目になりやすい。この場合、コロナを煽っている人々はコロナしか見えていないのである。コロナとインフルエンザの比較、緊急事態宣言の長期化によってどれほどの経済的打撃があるのか、自殺者がどれほど増えていくか、そうしたことが見えていないのではないか。

岡田氏は先の「予言外し」について「週刊新潮」から取材されると「いえ、これから時間差で出てくるんです(中略)私は政策屋。政策屋っていまを見るんじゃなく、2週間後がどうなっているか、どうしたらいいかを必死で考えるの。そもそも私が痛いと感じるのと、国民が感じるタイミングとは違うのかもしれません」(2020年8月13日、20号)と語ったという。

2週間後がどうなっているか、どうしたらいいかを必死で考えた末に外したわけだから、「外しました、申し訳ありません」と答えるのが誠実さというものであろう。政策というものは、情勢を客観的に分析し、先を見通してこそ、意義あるものとなるはずである。的外れな政策を提言したのでは、過剰な間違った政策により、国民を苦しめるだけだ。

小林氏は言う。「岡田晴恵は、サイエンスを語っているのではなく、騙っているのだ。他にも医師や学者を含め、エセ科学者ばっかりだった。専門家を無条件に信じるわけには絶対にいかない」と。

専門家といえど、全てのことに精通しているわけでもないし、ミスをすることもある。専門家自身もそれを自覚し、謙虚に振る舞うことが必要だ。視聴者・国民もそのことを、つまり専門家が完璧でないことを理解し、様々な情報・データに触れることが肝要である。自ら考える材料は、ネットや書籍はじめ膨大にあるのだから。

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