ハードとソフトな「世俗化」後の宗教

アゴラ 言論プラットフォーム

チェコの宗教社会学者トマーシュ・ハリーク氏の講演内容について、先日このコラム欄で書いたが、同氏の発言の中に「ハードな世俗化」と「ソフトな世俗化」という表現があった。「ハードな世俗化」とは、共産主義政権下の宗教政策を意味するのだろう。チェコ人の同氏は「ハードな世俗化」が何を意味するのかをよく知っているはずだ。史的唯物論を国是とした無神論国家のチェコスロバキア(連邦解体前)では厳しいキリスト教徒への迫害があった。当方の知人の1人は神を信じているゆえに牢獄に送られ、そこで獄死した。同国のトマーシェック枢機卿(当時)は共産政権の迫害下で沈黙を強いられていた。政治体制に基づいて、宗教が否定され、学校でも職場でも神が否定された社会だ。それをハリーク氏はハードな世俗化と呼んだのだろう(「ハリーク氏『教会は深刻な病気だ』」2022年1月24日参考)。

対話を通じてウクライナ危機の解決を訴えるフランシスコ教皇(2022年1月26日、バチカンニュースから)

にもかかわらず、1980年代からは信仰の自由を求める国民の声が広がっていった。最終的にはビロード革命となって成果をもたらしていったことはまだ記憶に新しい。そして「ソフトな世俗化」時代に入っていく。共産政権が崩壊し、民主化が行われ、自由な政治活動、言論・結社の自由、そして「宗教の自由」が保証されていった。国民は自身の信念に基づき政治活動をし、選挙に参加できる。学校でも検閲はなく、自由に考え、発言できる。これまで抑えられてきた「宗教の自由」は認められ、欧米からは新しい宗教や思想が入ってきた。

国家の統制による上からの世俗化がなくなったのだから、国民の宗教活動も活発化するだろうと考えるが、皮肉にも民主化後のチェコ社会は世界でも最も無神論国家といわれるほど急速に世俗化していった。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコでは無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合は76.4%だった(「なぜプラハの市民は神を捨てたのか」2014年4月13日参考)。

ハリーク氏が「ソフトな世俗化」と呼んでいる現象だろう。これはハードな世俗化国家であった共産政権時代への回帰現象とは違う。チェコ国民は共産政権時代からは決別している。昨年10月に実施された議会(下院)選挙でチェコ共産党(ボヘミア・モラビア共産党=KSCM)が議席獲得に必要な得票率5%のハードルをクリアできずに議会進出を逃した。チェコ共産党は1948年以来初めて議席を失ったのだ(「冷戦の生きのこり『共産党』議席失う」2021年10月13日参考)。

チェコで見られる現象はヨハネ・パウロ2世の出身国ポーランドでも見られる。ポーランドは久しく“欧州のカトリック主義の牙城”とみなされ、同国出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の名誉を傷つけたり、批判や中傷をすることは最大のタブーだった。同国の国家統計局のデータによれば、国民のほぼ90%はカトリック信者だ。ところが、同国の日刊紙デジニック・ガゼッタ・プラウナとラジオRMFが昨年11月4日、報じたところによると、ポーランド国民の65・7%が「カトリック教会の社会での役割」に批判的な評価を下し、評価している国民は27・4%に過ぎないことが判明した。同国の政治学者アントニ・デュデク氏は、「教会の危機は今始まったものではなく、長い年月をかけて深刻化してきた。原因として、①旧共産党政権との癒着、②聖職者の未成年者への性的虐待と聖職者の贅沢な生活スタイル、③聖職者と与党「法と正義」(PiS)の結びつき、等を指摘している(「ポーランドのカトリック主義の『落日』」2020燃11月7日参考)。

共産政権時代に「ハードな世俗化」を体験し、民主化後は「ソフトな世俗化」の嵐の中に巻き込まれていった欧州キリスト教会は今日、聖職者の未成年者への性的虐待問題で教会の信頼を失い、教会から脱会する信者が増えている。キリスト教会といっても新旧キリスト教会と旧ソ連・東欧諸国に根を下ろしてきた正教会ではその歴史と発展に違いはみられるが、「ソフトな世俗化」は欧州全土を席巻している。

ハードな世俗化時代、神を捨てるように強いられ、ソフトな世俗化では、溢れる自由と豊かな物質社会の中で神を忘れてしまった。ハリーク氏は、その神を取り戻すためには「組織改革だけでは教会の復興は難しい」と指摘する一方、ポストモダニズムには「教会から解放された新しいかたちの宗教、精神性」の出現を予想している。同氏の主張を当方流に解釈すれば、もはや教会といった組織を通じて神に出会う時代は過ぎ去り、人は神と対話しながら生きて行く時代圏に入ってきたことを示唆したのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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