財務省の矢野康治次官の「文芸春秋」への寄稿が話題となっている。簡単に要約すると、国家の借金が増えており、プライマリーバランスが破綻して、今にも日本は破綻するという論。その様な状況での赤字国債発行、経済対策などは自殺行為であり、緊縮財政、増税路線を是と匂わせる内容である。
この論は、実は今に始まったものではなく、10年以上前から一部で囁かれていた。今直ぐ対策を打たないと破綻すると、しかし、何故かまだ破綻していないし、国際的格付け、信用も保たれている。とてもデフォルト、破綻が起こる国家として扱われていないのが現実である。
この矢野財務次官だが、この件以外にも様々な話題を振りまいてくれている。スーパーでの『ポリ袋ハンター事件』とでも言おうか、生もの等を個別に入れる無料のポリ袋を必要以上と思われる量を持ち去っている。
レジ袋有料化になった目的を考えると、このポリ袋も必要最小限に抑える事が必要だと、子供でも分かる事だ。スーパー側もこの種の行為が増加する事を問題視しているのも事実である。しかし、当人は、「商品は買っているから問題ない」と言わんばかりの発言までしている。官僚トップの立場として、あり得ない感覚の持ち主である事が窺い知れる。
またまた、噂レベルだが、この人物、目的達成の責任感の強さからか、目的の為には手段を択ばない様な噂もある。本来、官僚は法に則り、政治の決めた政策の方向性に沿った行政を執り行う。民主主義において、法や政策の方向性は政治家によって決定される。そして、政治側も現場の問題を熟知している筈の官僚の意見も吸い上げ、政策の方向性を定める。
ところが、この方、自分の考えを通すために、マスコミへ情報リークして世論を誘導するような行為が囁かれている。勿論、多くの官僚とマスメディアの持ちつ持たれずのズブズブの関係で行われている氷山の一角かも知れないが、テレ朝の玉川徹氏により匂わされた時点で、少なくとも説明責任が生じていると考えるべきだろう。そして、今回の月刊誌への寄稿である。責任を問われるべきではないだろうか。
借金で破綻するは間違い
借金というと一般人からは聞こえが悪い。イコール悪と扱われがちだが、浪費ではなく投資に向かう借金であれば、資産が残り、投資効果も期待できるという事が一般人にあまり理解されていない。
失われた30年と言われる時期に、緊縮財政に舵を切り、投資が減退する事で何が起きたかを考えれば明確なのだが。
企業経営の視点で言わせて頂く。古い機械設備を更新せず、騙し騙し稼働させれば、償却も終わった設備が稼働した分だけ目先の利益が増える。資材調達に関しても、非論理的なコスト削減要求を繰り返す事で目先の利益を生み出す。しかし、その結果何が起こるか。設備は老朽化し設備効率は落ち、品質も生産性も、時には安全性も低下する。サプライチェーン全体のデフレマインドを誘発し成長も阻害される。
本来であれば、設備は投資効果を前提に更新する事で、償却負担で目先の利益は圧迫しても設備効率を高め、長い目での成長を促進する。サプライチェーンも新たな開発投資で品質も含めた総合効果を目指す事で、生産性向上、利益拡大に繋がるのだ。
投資を減退させることは、資本主義社会において衰退に向かう以外に無いのが現実であり、それは国家でも同じである。
実際に自民党の高市早苗政調会長が10月10日の番組で真っ向からこの財務次官の論を批判した。
その中で名目成長率が名目金利を上回る状況で財政は改善すると正論を述べた。
また、元財務官僚、嘉悦大学教授、数量政策学者である高橋洋一氏も真っ向から批判した。(緊急配信の為音声音量に不備があるが、聞こえる範囲でも充分に内容は把握できる)
簡単に言うと、BS(バランスシート)で国家財政状況を示し、財務次官がP/L(損益計算書)だけで説明しようとする欺瞞を非難している。
経営状態を評価する為に、BSとP/Lで確認する事は、企業人であれば、最低でも管理職になるまでに数字が読み取れるように教育を受ける。当然経理部門や、事業戦略系の部門ではこの数字が無くては、経営者が経営判断する際の判断材料提示が出来ない。
ましてや、日本は通貨発行権を有し、その円は国際通貨となっている数少ない国家である。
失われた30年は、成長投資を積極的に行わなかった事により、生産性が低下し、その間、成長投資し続けた諸外国との差が発生しているのが実態である。無論、何の意味も無くバラマキ、効果の無い浪費が良い訳では無い。しかし、投資の無い所に成長は無い。この原理原則を誤ってはならない。
今現在、実行するべきは、増税による財政再建ではなく、積極成長投資による成長促進であると確信している。この財務省からの攻勢に政治が大所高所に立った英断が必要になってきているし、国際社会は注視している。岸田政権が乗り越えるべき最初の難題であろう。