数十年に一度の規模で、自ら会社を退職する従業員(主にホワイトカラー)が続出する「大量退職時代The Great Resignation」が到来したと欧米を中心に話題になっています。マッキンゼー・アンド・カンパニーが2021年9月に発表したレポートによると、5カ国(オーストラリア、カナダ、シンガポール、英国、米国)で働く従業員の40%が、今後3〜6ヶ月の間に辞める可能性があると答えています。自主退職を後押ししているものは一体何なのでしょうか?そして日本にも近いうちにこの大量退職時代は到来するのでしょうか?人材紹介会社JACリクルートメントの黒澤敏浩さんに聞きました。
欧米の企業で相次いで人が辞めていく
――ヨーロッパやアメリカで会社を退職する人が止まらない「大量退職時代」と呼ばれる人材の動きがありますが、その具体的な理由は何でしょうか
まずもともと欧米、特に米国では転職へのハードルは日本に比べて低いという前提がありますが、今回のコロナ禍で「リモートでも問題なく勤務できる」ということに多くの個人が気づいたということは要因のひとつになったといえるでしょう。「今後もリモートワークができるかどうか」を基準に職場を考える人が増えたことは容易に理解できます。
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次に転職市場で求人の勢いが強まっていることも退職を後押しする一因になっているといえます。この求人が増えている理由は主に三つあります。
まず一つ目は「コロナショック」はほぼ解消した状態にあることです。今回のコロナ禍による欧米のホワイトカラー中途採用市場における一種のパニック状態は2020年夏に始まりかつピークとなりましたが、2021年に入ってからは平常化しています。
次に、財政・金融出動が求人の追い風になっていることです。2018年の米中貿易摩擦の激化により世界経済は停滞に入り一定の陰りを示していましたが、こちらもコロナ対策による財政・金融出動などで、現時点では再び好景気になりました。
最後に、IT人材の手堅い需要です。IT/デジタル関連は、継続的に求人が強化され、待遇も向上する傾向がずっと続いています。
ASEANなどアジアでも同様の動きは起きているのか
――アジアでも同様の動きはあるのでしょうか
ASEAN地域での動きは欧米に比べると低調です。その理由の一つ目は欧米に比べると景気の回復状況が不安定で、中途採用市場は一時の極めて厳しい状態は脱したものの、コロナ前に復調といったレベルには達していないと言えます。次に、そもそも採用企業の不安定さが欧米より高く、微妙な経済状況下で新しい職場へ移るリスクは相対的に高い状況です。また、コロナの感染状況はまだまだ落ち着いておらず企業がリモートワークからオフィスへの復帰を命じるという段階にありません。
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ただし、今後、遅かれ早かれ景気が十分に回復した時期には、「大転職」時代が到来するでしょう。理由は簡単で、転職率の高さは欧米に似ているかそれ以上、かつロックダウンなど、日本より欧米に似て強制リモートの傾向が強いからです。
これは一例ですが、例えばタイの日系企業では、オフライン(対面)での面接実施にこだわった結果、求職者が他社を選んだというようなケースも相次いでいます。
日本にも大量退職は迫る?
――今後「大量退職時代」は日本にも訪れるのでしょうか
日本においては伝統的な企業で大量退職が発生することは今のところあまり想定できませんが、ITや外資系など高給求人の多い分野、また、家庭との両立の関係で女性中心にそれなりの規模で増加することは想定されます。
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それは、欧米と同じように、「リモートでも問題なく勤務可能」ということに多くの会社や個人が気づいたということがあります。実際、我々JACへの相談でも、会社(求人)サイドからのリモートワーク体制についての言及や、転職希望者(個人)サイドからのリモートワーク希望についての言及が、ほぼ皆無だったコロナ以前に比べると、大きく増えています。
これは、そもそもの「希望が増えた」と同時に、(特に個人側にとっては)そういう要望を言うことが、「非常識ではない」という認識に変わってきたことを意味しています。
しかし、全体として見たときに日本における正社員転職率は非常に低いということに留意する必要があります。そもそも、日本の正社員転職率は2.4%(2020年、総務省労働力調査より黒澤さん計算)と、非常に低く、この2%強程度という数字は以前から変わっていません。仮にこれが1.5倍の3.6%になったとしても、(我々のような関連業界にとっては大きな影響かもしれませんが)職場にとっては欧米のそれに比べると影響はずっと小さくなります。
今後10年程度を見た場合でも、突如劇的に日本の転職率が急上昇することもないでしょう。
高年収での転職市場は7年間で約4倍に拡大
――今後日本の転職市場はどのように変わっていくとみていますか
先ほど日本の正社員転職率が非常に低いということをお伝えしましたが、細かく見ていくと、大手・優良企業での中途採用の活発化や、高年収ポジションでの採用数の増加は、コロナ以前から継続的に起こっています。
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例えばJACでも、年収800万円以上でのご紹介人材の中途採用決定は2013年に比べて2020年は3.7倍に増えています。つまり、「高年収での転職市場」が日本でも拡大しているのです。また、IT関連の転職市場では、いわゆる正社員ポジションでも、転職希望者のこれまでの転職回数など気にせずに、目下のプロジェクトに役立つかどうかというスキル本位で採用が決まるということがコロナ禍以前から定着化してきていました。
なお、日本の転職率が低いことの背景には、転職しなくても社内で職位上昇、職務拡大、給与上昇などが行われるように運用される日本の雇用システムの影響があります。これが停滞すると、現職での立場に満足のいかない層から順に転職を選んでいくことが増えていくでしょう。
実際、年功制の運用が行き詰まってきた結果、若手から順に離職していく企業の例は以前から多くあります。但し、これは、必ずしも「良い転職時代」とは言えません。
一方で、良い転職時代のスタートになる状況は、新産業・新企業・新規参入(外資、および旧産業・旧企業からのスピンアウト含む)などが盛り上がり、新規の高給ポジションが生じることによって、好待遇での引き抜きの連鎖が起こり、高給での中途採用市場が発達するといった状況になります。
この点、近年のベンチャー資金の増加による、スタートアップ企業の高年収と、それに伴う既存産業からの人材の移動は、大きな証拠になっています。例えば、設立10年未満の会社へ年収1,000万円以上で中途採用決定した紹介人材は2018年には2017年の3倍を超えて急速に増加しました。
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――社員が大量に退職することは会社の経営において大きなリスクになると思いますが、何かできる対策はあるのでしょうか
いくつかありますが「社員の部署異動」への理解は必要だと思います。特にキャリアアップ、給与アップに転職を必要としない日本では、転職希望の最も大きな理由が「職場の人間関係」となります。会社として直接的な改善への働きかけは必要ですが、どうしても相性の問題があります。そのため、本人たちが転職を決意する前に社内で部署異動をしやすくなるような声を上げられる仕組み(人事への相談、フリーエージェント、社内公募、自己申告など)が有効です。
また、エンゲージメント向上に関しては独立性が明確な第三者機関を用いて本音ベースで定量・定性での考えを回収することなどがあげられますが、本人の望むものと会社が与えるものが常に一致するとは限りません。よって、ある程度の人材流出は前提とした上で社外からの中途人材採用の力を高める必要もあります。
ただその基本はその企業で働くことの魅力向上であり、エンゲージメント施策を高めることと、共通する点が大きいと言えます。よく、自分から厳しいことを始めることに転用されていますが、故事成語本来の意味通り、社員のエンゲージメントを高めることにより中途採用力も高める、いわゆる「先ず隗より始めよ」の意識が大切だと思います。
JACリクルートメント提供
プロフィール:黒澤 敏浩(くろざわ としひろ)
ハイクラス・管理職の転職に強い人材紹介会社ジェイエイシーリクルートメントでマーケット研究担当等として、国際的なホワイトカラー転職市場や給与の分析など約20年の経験を持つ。人材サービス産業協議会外部労働市場賃金相場研究会委員。日本人材マネジメント協会執行役員。日本証券アナリスト協会認定アナリスト。国家資格キャリアコンサルタント。